第16話 奇々恋愛
「愛世ちゃんはさ、この人のためになら死ねるなって思ったこと、ある?」
「私はね、ある」
「カレと逢うまで、私の世界は真っ暗だった」
「私、四人兄弟の三番目なの」
「想像できる? どうでもいい、って親に思われる感覚」
「手のかかる可愛い長男。美しいけれど儚げで不安な長女。最後に生まれたってだけで愛される末っ子」
「私の価値はね、私にはないんだ。少なくとも、遺伝子のかけ算でしかない私は、予測可能な未来の一つでしかない。私の親には、私は生まれてきて当然の存在だった」
「カレが私を見つけてくれるまで、私は生きてなかったの」
「カレの最初の言葉はね、『うらやましいな』だった。今でも覚えてる。率直な欲望に、私は深海から無理やり引き揚げられるようなショックを受けた。正直、全部あげちゃいたいたいって思った。『いいよ、ほしいならあげる、ぜんぶ。私何もいらないから』って返した。ねぇ愛世ちゃん、カレが欲しがったものって、何だと思う?」
はぁっ、はあっ。すぅぅ、はぁぁ、ゼェ、ゼェ。息をするのもはばかられるほど、ミカちゃんは止まらない。本当の本当に、カレシさんへの愛情だけでできている。でもその元々の器が、はじめから壊れているのだとしたら。湧き出てくる感情はどのように受け止められるのだろう。
私には予想もつかな――
「答えはね、名前。書きやすいし覚えやすい。誰が見てもすぐ読める。クセもなくて、ただ純粋に、羨ましいって。それがね、小学校二年生の時。忘れもしない。十月六日。中休みの最初に、隣の席にいたカレが言った言葉」
「それからはもう、私はカレに手取り足取り教えてもらったの。歪んでいた字も綺麗に書けるようになったし、猫背気味だったのもピンと張った背筋になれたの。ほら、今みたいに」
「でもそんな些細なことより、カレは私に、愛とは何かを教えてくれた」
「愛とは」
愛とは、何か。止まらないミカちゃんを「愛。正直私、ずっとカレのことを好きって感情も持ってるとは自覚できてなかった」止めたくても止める術を持たなくて、だからミカちゃんが喋る中で必死に自分の答えを「人はどんな時に愛を自覚するのか。それはね」表情が死んだミカちゃんはやっぱり、どこかおかしい。そしてもう、分かっていた物語の謎の一つが、解けてしまっていた。人の人生を歪めるほどに影響を与えられる――彼の言い方を借りるとするなら、〝歴史に遺るだけの強い魂っていうかな、人格のねばっこさ、みたいなもの〟を持ってるような人間は、そうそういない。
「それを失った時、かなしいと思うかどうかよ」
「私たち時々、学校近くの公園に住みついてた野良猫に餌をやってたの。でもある時からその子はいなくなってて、代わりに〝ノラ猫に餌をやるな!〟って乱雑に書かれた張り紙があった。それを見てカレは震えるように泣いてた。私も泣いたけど、それはあの子がいなくなったからじゃない。私はずっと、カレと野良猫を愛してると思ってた。でも違った。私は小さな命を大切にするカレの横顔を見てた。消えた猫を惜しんで涙するカレを、絶対なくしたくなくて、私は泣いたの」
間違いない。カレとはきっと、彼――中辻君だ。二人の間に何があったのかは知らない。でもこの眼は、ミカちゃんが中辻君に移した病だ。長い時間を一緒に過ごす中で、乗り移った彼女の魂だ。
「ねぇ、ミカちゃん」
「なぁに、愛世ちゃん」
「カレシさん、とっても素敵な人だね」
「でしょ。世界で誰より、誰より、誰より、愛してるの」
渡せない。
(渡しちゃダメ)
悪いのがどちらか、何が原因か、全く分からない。でも二人の仲を毀したのは二人で、今のミカちゃんに、コグレ君を救うことはできない。それだけは、私に断言できる。
(だって、私は――あなたは――あなたが――)
コグレ君の、カノジョなんだから。
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