第11話 肉薄
私は意を決して文学部のエリアに足を踏み入れた――と言っても、私の属する工学部の隣でしかないけど。垢抜けた感じがすることもなければ、芋くさいわけでもない。彼らの一応大学生に擬態しようとする姿勢は、私の姿勢と似ているような気がした。経済学部や社会学部の男女はあんなにキラキラして見えるのに、何が違うのか。いや、それ相応の努力をしているんだ。分かってはいるけど、自分が頑張ったところでそうはなれないようにしか思えない。
(いるかも分からないのに来て、どうする気なんだろう)
図書館の前、大きな木の影の下にあるベンチに腰を下ろすと、すぐ後ろでチクタクと時限爆弾が音を立てているような気がした。もちろん、あくまでそれは心象でしかなくて、ある時は両脇から迫り来る壁だったり、またある時は本を積めすぎたせいで重さに耐えかねて限界が来ている本棚だったりした。
早い段階で決着を付けなきゃ、様々なものに。そんなに暑いはずでもないのに、じっとりと背中が濡れる。ナイテイという文字列が恐ろしい。今日だってもう二時間ほどしたらここを出なければならない。
企業研究なんてほとんど出来ていない。第何十希望かすら分からない。向かうまでの電車でカンペに目を通して、当たり障りのない受け答えをして、それで――
――田中様のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
「ミカ?」
顔を上げると、彼がいた。嘘、こんなに簡単に――
「隣、良い?」
私はこくりと頷いた。
「悩んでるのはまた就活のこと?」
「……そう。みんなちょっとずつ決まってきてる。私より全然頑張ってなかった子が、一流企業に」
「じゃあ、いっそのこと働かなきゃ良いじゃん」
「何を……」
「お金さえあれば何とかなるでしょ、あ、クレカとか保証人とかややこしいか。じゃあ、稼ぐのは俺の仕事、俺を癒してくれるのはミカの仕事。どう? フィフティフィフティの配分」
丸井君が見せてくれた写真に見えた冷酷さは感じられない。あの夜、間違いなくこの人は酔い潰れた私を心の底から介抱してくれたんだろう。
「私、あなたと一緒にいる時間、また増やしたいな」
「本当!?」
私、ミカじゃないけどね。チクリ。
「その代わり、就活の愚痴、たくさん聞いてもらっても良い?」
「そんなのお茶の子さいさいですよ、大将」
「私別に、あなたに寄りかかって生きていく気はないけどね? ちゃんと就職して、自活できる金額くらいは稼ぐから」
(そうだ、まだ名前確認してない)
とはいえ、どう確認するのが正解なのか。酔っている間に聞いたかもしれない。ただ、全く記憶がない。
ミカさんなら彼の名前は知っていないと不自然だし、どう確認すれば良いものか。
「あ、あのね、私、この前酔った勢いと病んでたので……実はLINE消しちゃって、アカウント変わっちゃったの」
ちょっと無理があるかな、と思ったものの、ミカさんもそうだったのか、あるいは特に気にしなかっただけなのか、彼はあっさり友だち登録をしてくれた。私のアカウント名は本名でもなんでもなくウサギの絵文字にしているから、特に怪しまれることもなかった。
ユズル。苗字はなく、ただカタカナで書かれたそれは、けれど確信させるには十分すぎた。
やっぱり、あなたは。
ユズル――山頭火――
「ねえ――」
(どこまで確かめる、私?)
歪を前にして、けれど引き返す道は要らないと思った。
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