第6話 四聖の誓い

 キマイラがアスターに突っ込んでくる。


「ガアアアアアッ!」


 その速さは鋼鉄猪アイアンボア以上、 しかもアスターが4人は乗れそうな巨躯で森を疾駆するキマイラ。だが、アスターの目は完全に速さを見切っていた。キマイラの強靭なタックルも脅威だとは思えなかったのだ。


 落ち着きを払い、キマイラに跳ね飛ばされようとしていたアスターはその場で踏ん張った。


――ズドンッ!!


 巨木をなぎ倒す、災害のような体当たり。

 以前だったら衝撃で挽き肉になっていただろう。


 以前なら……だけれど。


「グルアッ!?」

「どうしたキマイラ? こんな小さな人間を倒せないのか、お前は」


 驚くべきことに、アスターの足はしっかり地に着いていた。

 キマイラの突進に轢き殺されたわけでない。しかし撥ね飛ばされたわけでもなく、アスターは全身でキマイラを受け止めている。


 質量的に、絶対にアスターが押し負けるはずなのにだ。


「ガァッ、グルァ!」


 首元に張り付いた邪魔者を剥がそうと、キマイラがもがく。だが、自慢の剛爪で引き裂こうとしても、アスターを傷つけることは叶わなかった。


 爪を研いだり、じゃれつかれたり、仕草だけ見ればただの猫である。


ただ普通の猫と違い獅子の鬣はある。ふわふわモフモフとしていて、寝るときに枕にすると丁良さそうである。


「まあ暴れるな」


 アスターは襲われているというのに、キマイラの毛並みに指を這わせた。獣の毛でありながら、その触り心地は絹のようだ。金糸のような体毛を軽く撫でれば、隆起した筋肉が躍動しているのが分かる。


(柔らかいだけじゃないな、この毛。ああ、これは本物の金が混じってるのか……それも魔金オリハルコン。それに中型の魔物を一撃で屠れるくらいの前脚……やっぱりいい脚してる)


 この丸太のような前脚と太い爪で大木を薙ぎ、魔物を仕留めるのだろう。さすがタイランター帝国の象徴である。


 だがアスターの瞳には、それが恐怖とは映らなかった。


「うん。近くで触れ合ってみるとなかなか可愛いな、お前」


 アスターが獅子の顎を一撫ですると、キマイラはびくりと体を震わせた。沸き起こった感情は困惑だったのか、アスターの異質な雰囲気に怯えたからかは分からない。


 ただ、それがアスターを攻撃する理由になるのは充分だったようである。


「グルルルル!」

「んっ……」


 キマイラが口を開ける寸前、アスターの鼻をついた匂い。血を焦がした……有体に言えば、肉の焼ける香りが鼻腔を刺激する。


(ダマスカスを溶かす炎か。多分……直撃しても平気。だけどミスリルナイフが溶かされそうだから避けておこう)


 キマイラからは命の危険は感じなかった。


 しかし、アスターはソードディアの剣角をドロドロに溶かした業火を思い出す。いくらミスリルナイフだろうが、炎で刀身が歪むか、溶けてなくなってしまうだろう。

 サバイバル生活をするのにナイフを失うのは痛手過ぎるし、それに服を焼かれるつもりもない。


「ガアッ!」

「よっ」


 ブレスが放たれた寸前、アスターは体を振り子にしてキマイラの背中に回った。髪の毛をチリッと焼き焦がしながら、炎ブレスを避けたアスター。


 これでマウントを取った形だが……忘れてはならない。キマイラは尾の代わりに三匹の毒蛇を飼っているということを。


「シャーッ!」


 三匹の蛇たちは威嚇したり、攻撃してきたりと半狂乱になっているようだった。緑青の色味が強い毒蛇たちが、次々と噛みつき攻撃を繰り出す。


「ふむ」

「シッ!?」


 アスターはひょいひょいと避け、蛇の一匹を鷲掴みにした。


「グルアッ!?」


 なぜか足元の本体まで驚いたような悲鳴を上げたが、アスターは気にしない。それよりも興味深そうに毒蛇を観察している。


(爬虫類のツンとくる匂い。胴体の獅子とはまた指令系統が違うのか? それにしても、つやつやで良い皮してるな。銅の錆みたいな色で、ひんやりしてて気持ちいい……)


「シャーッ!」

「シーッ!」


 左右の蛇がアスターに毒牙を立てるが、甘噛みされているようにしか感じない。そうこうしている内に、獅子の胴体が暴れ馬のように動き回って激しく揺さぶってくる。


 身体が揺れるのが煩わしい。

 アスターはキマイラの背を軽く叩いた。


「ちょっと大人しくしてほしいな。

「ギャン!?」


 強引にキマイラを伏せさせると、掴んでいた蛇が手から離れてしまった。毒蛇はアスターから離れた瞬間、二匹の蛇に慰められながら震えていた。


 アスターは「心外だな」と頭を掻きつつ、這いつくばったキマイラの目の前に降りた。


「グ、グルルルル」

「えーっと、俺はアスター・フォン・ゼスティベルク」


 威嚇するように呻く相手に、アスターは自己紹介を始めた。こちらの言語を理解しているかは不明だが、危害を加える気はないらしい。視線を合わせてくれているのがその証明だろう。


 その反応から察するに、キマイラは話を聞きとれる知能を有しているみたいだった。アスターは語り掛けを続けた。


「一つ、頼みがあるんだけどさあ。もう俺を襲わないって約束してくれないかな」

「…………」


 それは森で生きていくアスターにとって、一番重要なことだった。森の主であるキマイラさえ大人しくしてくれれば、アスターの安全はほぼ完全に保証されるだろう。


 剣鹿や鋼鉄猪といった中型魔物なら簡単に狩ることができるようになったのだ。別にキマイラを仕留めなくても、アスターは生きていける。


 それよりも食物連鎖の頂点にいるキマイラがいなくなることで森の生態系が崩れる方が怖い。


「もし了承してくれるなら、首を縦に振って頷いてくれよ。そうすれば、俺もお前には手を出さないからさ」

「…………」



 それでもキマイラは黙ったままだった。鳴き声を出さないし、身動きもせずアスターの顔を見つめている。


(う~ん、やっぱ駄目? 適度に痛い思いをしてもらうしかないのかなー……)


「っ!」


 首を捻りながら応答を待っていると、キマイラが魔力を放出し始める。

 まさか魔法攻撃をして来るのか、と身構えるアスター。しかし、キマイラが「ガゥッ!」と一声鳴いた瞬間、魔力を感じなくなった。


 特に魔法が失敗したような雰囲気ではないが……。


 アスターが怪しんでいると、キマイラが大きな口を開いた。


「それは……アスター・フォン・ゼスティベルクが、この龍皇庭園・東の森の主になるということか?」



「へ……?」


 低くしゃがれた感じの男の声が聞こえ、アスターは周囲を見回した。だが辺りには、アスターとキマイラが暴れたせいで魔物の影一つない。


「どこを見ているのだアスター・フォン・ゼスティベルク。私が話しかけているのはお主しかいないだろう」


 もう一度、やけに深みのある低い声で呼びかけられた。まさか……とアスターがゆっくり向き直ると、キマイラは呆れたように鼻を鳴らしていた。

 嘘……とアスターが呟けば、「何が嘘なのか」とキマイラは当たり前のように言葉を発した。


「ま、魔物が喋ってるうううううう!?」


 そう、それはテスラ大陸全土で使われる共通語――――テスラ語だった。



 

 その後、アスターはキマイラの背に乗って拠点へ移動していた。キマイラの威を借りているせいもあり、小型・中型の魔物は一目散に遠ざかっていく。


(それにしても、まさかキマイラが高等魔法の念話を使えるなんて……おかげで会話ができるようになったけど)


 高等魔法は初級・中級・上級魔法のさらに上の魔法だ。

 ユニーク魔法ほどではないが強力な魔法が多く、使える存在は一握りのはず。それを使いこなすキマイラはさすが高位の魔物と言えた。


 何はともあれ、会話ができるようになったのは喜ばしい。

 アスターはキマイラに先ほど抱いた疑問をぶつける。


「なあ、キマイラ。お前さっき龍皇庭園って言ってたよな。それってお前の縄張りのことなの?」

「そうだ。正確には東の森のな。龍皇庭園とは中央にそびえる本山を取り巻く聖域であり、絶対龍皇インペリアル様が創り出した庭である」

「つ、創った?」


 アスターは規模の大きさに目を白黒させた。眼前に広がる広大なパノラマが創り出されたものだとは、にわかには信じがたい。


「うむ。他にも、北の森を青龍、西の森をグリフォン、南の森を赤龍が縄張りにしている」

「へえ……」


(確かに龍王結界・冒険録にも書いてあったな……そういう関係だったんだ)


「そして、お互いの縄張りを侵犯せぬよう四聖の誓いを立てた。龍皇庭園という聖域を守護し、統治するというな。だから私は、お主が東の森を奪うつもりなのかと思ったのだが、どうやら勘違いだったようだ」

「それで俺に、主になるかとか聞いてきたのか」


 まったくもって、とんでもない被害妄想である。

 アスターにその気は毛頭ないというのに。


「安心しろ。俺はここで生活できりゃそれでいい。それにそのうち出てくつもりだし、俺のことなんて気にすんな」

「出て行く? お主にいた人間界へか? そのことなのだが」

「あ、そろそろ俺の拠点だ。ほらあそこの折れてる木」

「いやだから……ん、あの木は!?」


 アスターはキマイラから飛び降り、拠点の洞を指差す。それを見たキマイラは拠点に慌てて駆け寄っていく。


「怪しい臭いがすると思い、私がへし折った木ではないか! なぜこのような場所が拠点なのだ!? それにこの場所のどこで寝ているというのだ! 木の上か!?」


 キマイラは不思議がって拠点を調べている。が、どこにアスターの住処があるのか分からず、拠点の木を爪でひっかいている。


 やはり転移初日の夜、アスターを襲ったのはこのキマイラだったようだ。しかし、アスターが取り付けたシダのカーテンのせいで、それが拠点だということが分からないようである。


「ああ、えーっと、俺はここでいつも寝てるんだ」


 カサカサとシダの葉を退けると、アスターの拠点が姿を現した。キマイラは言葉を失いながら、洞の中を覗く。すんすんと鼻を鳴らしている。


「なんと確かにこの中からお主の匂いが。まさか、こんな狭い場所で?」

「狭い言うな! これでも一生懸命作ったんだ」

「ぬ……しかし、お主ほどの強者がこんなところで寝るなどやはりおかしい。肥溜めの間違いではないのか?」

「意外と失礼な奴だなお前!?」


 知識と気力と労力の粋を持って作った拠点がトイレ扱いされるとは思わず、アスターは膝から崩れ落ちた。

 落ち込んでいるアスターに対して、キマイラはおろおろしていた。かける言葉を探っているような、そんな様子だった。


「そ、そうだアスターよ! これからは私と共に生きないか?」

「お前と?」


 アスターは首を傾げた。


「うむ。私もここに住もう。共に狩りをし、東の森を治めるのだ」

「キマイラと、ねえ……」


 少しばかりキマイラの提案に興味を惹かれる。キマイラがここに住みつくなら、他の魔物からちょっかいをかけられることもなくなるだろう。


 それに……とアスターは、キマイラのもふもふの鬣をチラ見する。


(ああ~枕にしたら寝心地がよさそうだなぁ……そうだ!)


 アスターはふっと邪悪な笑みを浮かべた。


「なら一つ条件を出していい?」

「条件か? よかろう、何でも言ってみよ。可能なら応じよう」


 胸を張って頷くキマイラは、アスターの企みに気付いていなかった。それが何を意味するのか知らずに、アスターの条件を待つ。


 ふっと笑みを溢したアスターは、キマイラの毛並みを撫でた。


「じゃあ、今日からお前が俺の背中の上で寝るから。よろしくな」

「うむ! うむ? いまなんと……?」

「俺が、お前の背中で寝るんだ」


 キマイラは首を傾げつつ「背中? 寝る?」と単語を反芻していた。どうやら魔物には布団やベッドで寝るという概念はないらしい。だから、アスターの言っていることがよく理解できないのだろう。


「なんだかよく分からないが、その程度なら喜んで体を貸そうぞ!」

「おお~、そうか! 背中を貸してくれるか! ありがとう!」


(よっしゃ、これで洞の中で眠らなくて済む! それに他の魔物に襲われずに色々作れそうだ……)


 これからの生活の文化レベルがあがるとほくそ笑むアスター。

 だが、その横でキマイラも尻尾の蛇と密談していた。


「ふっふっふ、龍皇庭園のパワーバランスが崩れるときがきた……アスターをその気にさせて他の主たちと戦わせ、あの憎き青龍と赤龍を私の配下に……!」

「シッシッシ!」


(いや、まあ丸聞こえなんだけど……ま、いいか)


 とりあえず、面倒そうなので聞かなかったことにした。

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俺は覇王、今から世界を統一するが文句はないな? @anima-story

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