第5話 覇王の卵に入る罅
一枚。また一枚。焼いたソードディアの肉がアスターの腹に消えていく。
(俺ってこんなに大食いだったっけ……?)
本人も不思議なほど、食事のペースは早かった。怒涛の勢いで後ろ足を骨にしたアスターは、腹をさすりながら心臓を取り出した。
肉を食べ始めてから食欲は止まらないし、身体もぽかぽか温まっている。よほど体がエネルギーを欲しているのだろう。
アスターは心臓を輪切りにした後、石板でじっくりと焼き始めた。
心臓は魔素を魔力に変換して送り出す器官だ。そして心臓が止まれば、魔力は魔素に戻されることになり、魔素が大量に残ることになる。
その量は筋肉の部位の比にあらず。
心臓の弱い人間は、一口で倒れてしまうほどだ。
だが魔力の多いアスターは必要な魔素が多いのか、ソードディアの心臓がたまらなく美味しそうに見えた。
「よだれが止めたいのに止まらねえ……も、もう食っていいかな」
完全に鹿肉の虜になった目だった。アスターは焼けた端から胃袋に叩き込んでいく。それはもう暴食レベルで。
後ろ脚の筋肉にはしっかりとした歯ごたえがあったが、心臓はまた格別だった。弾力があり、それでいて濃厚な肉の旨味が口いっぱいに広がっていく。
「ああ、うめえ……なんだろう。魔素? が身体に染みてる? とにかく体が焼けるように熱くなる……」
(しかも胸の奥から込み上げてくるような)
手で扇(あお)ぎながらも、どんどん火照っていく体。その熱があまりにも続くものだから、さすがのアスターも怪しみ始めた。
次第に呼吸も乱れてきた。体調が悪いわけではない。むしろ絶好調――を通り越して、体の中で魔力がお祭り騒ぎを起こしている。
過剰摂取による魔素中毒ではない。もっと別の何か
「もう、ダメだ。明日になれば良くなるかもしれないし、寝よう」
胸を押さえたアスターは、石竈の火を消して拠点に戻った。
体を丸めたアスターは、激しい心臓の鼓動を感じながら体をよじった。痛みはないが、とにかく寝苦しい。ウォーターの魔法陣で水をかぶっても、喉を潤しても、焼け石に水。
「ハアッ……ハアッ……ハアッ……肉が当たったのかなあ」
一度だけ、食中毒の線を疑ったが、痛みのない食中毒があるだろうか。思い当たる節は鹿肉以外思いつかなかった。
「このまま死にませんように……」
アスターは弱気に祈りながら、熱と魔力にうなされる夜を過ごすはめになった。
――そして、一睡もできないまま朝を迎える。
「…………ねみい…………腹減った。昨日、あんなに食ったのになんでだ?」
空っぽの腹がゴギュルルという凄まじい訴えをしていた。ひとまずパラバイをかじって誤魔化してみるものの、子供騙しにもならない。
初日も空腹を感じていたが、それより酷い。腹と背中がくっつきそうである。
「今日も狩りにいくしかない……と、その前に。俺の体がどうなってるのか調べよう」
アスターはミスリルナイフを引き抜いた。水洗いをして汚れを落とした刃は、心なしかしっとり潤っていた。
その蒼刃をスッと腕に当てる。
(うう……スパッいきそうで怖い)
アスターが試そうとしているのは、体の頑丈さだった。魔纏装を習熟したことで、頑強さに磨きがかかったことは間違いない。しかし、それがどの程度なのかは自身でも分からない。次の狩りで魔物と闘う事になる前に、知っておくことも大切だろう。
そんな言い訳を自分にしつつ、アスターは魔纏装をまとう。
アスターは震える手で蒼白い刃を腕に押し付けた。
――ギィ
「んん!?」
気のせいだろうか。人肌からは聞こえちゃいけない音がした。
今度は、ナイフを刻むように上下に動かす。
―――ギッ、ギッ、ギッ……
「……ええ? なんか金属が擦れたみたいな音が出たよ」
ミスリルナイフを離して、肌を見てみると傷一つ付いていなかった。むしろ魔纏装を使えば石すら削れるミスリルの刃が欠けそうだ。
(どれだけ防御力が上がったんだろうか見当がつかない。かなり怖いけど、魔纏装無しでも試してみるか……)
その結果は、ギッ、ギッ、ギッという金属音が聞こえてくるだけだった。
アスターは無言でナイフを鞘に戻すと、「はああああ」とドでかいため息を吐く。
「マジか。ミスリルナイフが効かないとか、完全に化け物じゃん……」
(そう言えば、屋敷でもメイドとかからは気味悪がられてたっけ。化け物だって)
思い返せば、憎々しい思い出がこみ上げてくる。ひそひそと遠目から陰口を叩くメイドや執事たちの声。理不尽に見下してくる両親と兄姉たちの視線。
ろくな記憶がなかった。すべては、生まれながらの薄気味悪い特異体質のせいだ。
しかし――。
(化け物扱いされる原因だったけど。この体質がなかったら、俺は龍皇結界で生きることはできなかった)
もしアスターが本当に無力な存在だったら? ソードディアには殺されていただろうし、美味い飯だって一生食えなかっただろう。
それどころか無力に絶望し、本で知識を収集していなかったら初日で死んでいたはずだ。
(俺のすべては、無駄なんかじゃなかった。今はそれが分かれば充分)
ふっと険しい表情が和らいだ途端、腹を空かせていたことに気が付いた。しかし、パラバイでは腹の足しにならない以上、やはり魔物の肉を確保するしかない。
アスターはニィと不敵に口角を上げる。
理性と本能の両者が、そろって魔物を求めている。
「考えたら余計に腹減ったし、今日は絶対、魔物の肉を食べてやる……」
昨夜のソードディアの肉の味が、記憶の中でじゅわっと広がっていった。濃厚な肉汁と歯ごたえに、魔
素たっぷりの心臓。
食欲を刺激され、じゅるりと唾が出る。
そこには、昨日まで狩られる側だった青年の姿はどこにもなかった。狩る側に変貌した純粋な捕食者がいた。
*
龍皇結界四日目の午前は、良く晴れた探索日和だった。アスターの歩む獣道には無数の木漏れ日が差し、太陽と木々によるステンドグラスの道ができている。
雑草が生え散らかったフィールドをぎゅむぎゅむと踏みしめるたび、近くで小型の魔物が音を立てて逃げていくのが分かる。
(…………五感が鋭くなってる? 視力、聴力、触覚、嗅覚まで。この分だと、味覚も鋭くなってそうだ。それに大気中の魔素も、敏感に感じ取れるようになってる。なんだんだろう、この変化は)
まだまだ、アスターの疑問は尽きない。
「体も異常に軽いし。ほっ!」
アスターはその場で跳躍すると、頭上3メートルはありそうな枝まで軽々飛び上がった。地面に着地すれば、ドズンと足がめり込んだ。
体感は軽いのに、体重は増えているらしい。
「意味がわからん」
こうなった原因は昨夜の飯、それもソードディアの心臓だということは何となく理解できた。だが、それで人間が急激に強くなるなんて聞いたことがない。
これではまるで、魔物や竜種が上位個体に進化するような……。
(いやいや……考え過ぎだ。さすがにそれはない。とりあえず、今は恩恵だけ受け取っておこう)
特異体質の謎はさておき、アスターは神経を尖らせた。
中型の魔物なら半径100メートルくらいでも気配を感じ取れそうだった。そうして移動しながら、アスターは新たな魔物の気配を察知した。
独特の泥臭さ。重く沈み込むような足音。極めつけは、ふごふごと鼻を鳴らす中型の魔物。
「アイアンボアだ」
今回見つけた個体は、どこかで泥浴びした後なのか少々臭っていた。そんなリフレッシュ後のアイアンボアは、木の根元に自生している茸を貪っていた。
雑食性なので他の魔物を襲うこともあったはずだ。人間を食う個体もおり、人の味を覚えてしまった個体は早急に、冒険者や騎士による討伐隊が組まれる。
(ソードディアよりも危険だが……殺るか)
アスターは足音を殺し、息遣いを風に潜ませた。垂れ流していた殺意と食欲すら、深い心の闇に沈めた。
これは狩り。
茂みに隠れたアスターは、ミスリルナイフに触れる。
(いや……ナイフじゃダメだ。こいつの肉には刃は届かない)
アイアンボアの纏う鋼鉄――鉄殻は、厚さが5センチ以上だ。普通ならブロードソードだって通らない。定石通りに討伐する場合は、中級から上級の炎魔法で動きを止めてから……となる。だがソードディアのとき同様、魔法の使えないアスターには不可能な手である。
しかも、ソードディアの剣角がダマスカスだったように、アイアンボアの鉄殻までダマスカスのようだった。もはや魔鉄殻といっていい。
ことごとく、龍皇結界の魔物は規格外のようである。
ならば、とアスターはおもむろに拳を握った。
(俺が魔纏装をまとった状態で思いっ切り殴ったら、一体どうなるんだろう?)
ミスリルの尖刃すら歯が立たないのだ。急激に上がった身体能力を加えれば、攻防一体の凄まじい一撃が生まれるのではないだろうか。
例え、それがダマスカスの甲殻であろうとも。
(やってみる価値は、あるよな?)
「フゴッ!」
アイアンボアが食事を終えた。
そしてアスターの方を向き、地面を蹴る動作に入る。それはどう見ても突進前の動作で――。
「フッ、フゴッ!」
「バレてるぅ!?」
(まさか匂いで? 風下に立ってたんだぞ! 鼻良すぎだろ!?)
確かに鋼鉄猪の鼻の良さは魔物の中でもトップレベルだが……と憶測を立てても仕方がない。アスターは迎え撃つべく立ち上がる。
「フゴォォォォォ!!」
同時にアイアンボアが弾丸――否、砲弾と化した。アスターとの間に生えていた大木すらなぎ倒し、ほぼ反応不可避であろう速度で突っ込んでくる。
しかし、今のアスターには止まっているようにすら見えた。
(あ、集中したら見える)
猪突猛進のアイアンボアを動体視力だけで見切る。避けて追いかけられても困るので、アスターは鋼鉄猪と衝突する寸前でひょいと退く。
自分でも驚くくらい、冷静に相手を観察していた。
そして、無防備になった側面をアスターは思いっきり、
「ハッ!」
魔力と気合を込めて突いた。武術の心得など何一つない、ただの横殴り。ただそれだけでアイアンボアの魔鉄殻は粉々に砕け散り、人を超える巨大な体躯が森を飛ぶ。
周囲の大木、土手、小型の魔物を巻き込んで、アイアンボアは終点で破裂した。
アスターは目を点にした。
「…………え、俺の肉、なくなったんだけど」
別にアスターの肉ではないが、本当なら食べるはずだったものだ。それが消滅してしまい、あまつさえ大規模破壊をしてしまったのは誤算でしかない。
「俺の、俺の肉ぅぅぅぅぅ、肉がああああああああ!?」
失意のあまり、アスターはズドン、ズドンと地面を叩きはじめた。
その威力は地形に軽い凹凸をつけた。危険極まりない破壊の力だったが、腹の減ったアスターには至極どうでもいいことだった。
「すまない、本当は食いたかったんだ! 肉も、内臓も、心臓も! 食えるところは全部! ちくしょおおおおおお!」
アスターは悲しみで泣き崩れながら、アイアンボアに謝るのだった。
ひとしきり懺悔したアスターは「今後は、狩りでは絶対に本気で殴らない」と心に決めつつ、次の獲物探しに移る。
「はあ……このあたりの魔物は今の騒ぎで逃げちゃったし……まーた移動か」
深い嘆息とともに、アスターは歩きはじめた。
そのはずだったのが……
――ズ、ズン、ズ、ズン!!と聞き覚えのある足音が届いた。それに混ざるように、獅子の咆哮が森中に轟く。
「グオオオオオオオオン!!!」
森の主が、消し飛ばした鋼鉄猪に気付き、高速で近づいてきているのだ。
「…………ああ、ちょうどいいや」
既に、アスターには恐怖など存在しなかった。あるのは、サバイバルを邪魔されてきた怒り。そして鋼鉄猪を失った八つ当たりの感情。それらはすべて、これからやって来る大型魔物にぶつけられることになるだろう。
一応の正当性はあるはずだ。
「ちょっと俺の八つ当たりに付き合ってくれよ」
これから始まるのは狩りではない。
龍皇結界に捨てられたゼスティベルクの麒麟児(きりんじ)と森の一角を支配するキマイラとの闘いだった。
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