第30話 青の仙女

 さて、夏が近づいてきたある日のことである。


 ふたりがいつものように泉へ行ったところ、見知らぬ女が一人、ほとりに座っていた。

 後ろ髪を一本の三つ編みとした女は、質の良い純白の長袍チャンパオ――袖と裾が長い上衣をまとっている。その腰帯は青。下衣は黒だった。


 大仁ダーレンたちの気配に気付いてか、女が振り返った。


「こんにちわ」

 柔らかに微笑む、その右目は太極図を模した眼帯に覆い隠されていた。


 大仁は訝しんだ視線を投げ掛け、石蜜シーミーを背後に庇う。


 したらば眼帯女は「怪しい者じゃないのよ~」と、右手の二本指を立て、泉に向けて振った。

 途端、水の柱が天に向かって伸び上がる。

 それは飴細工かなにかのように、ぐねぐねと姿形を変えて、最終的に亀めいた形となって、地に降り立った。

 女はその背に座り直して、ふたりに近づいてくる。


「はじめまして。わたしは青錫君ショウシャククン――見ての通り、仙人をやっているわ」

「は、はあ。おれは大仁って言います。後ろの子は石蜜です」


 自己紹介されても戸惑いが消えることはない。

(仙人? 本当、なんだろう。でも、なんで、ここに?)


 石蜜がまさしく、それを大仁の背後から問いかけた。

「あの! 仙女さまは、どうして、ここに?」


「友達と一緒に、弟子を採ることになってね~。どう? 仙術に興味ない?」

「それって体の……えっと……」

「ふん? なにかわけありかしら?」


 石蜜は迷いながらも、毒の体質について説明した。


 初めて会った相手に話していいものか。

 大仁は少し心配にはなったが口を挟まずに、彼女を見守った。

 なにせ、仙女の力が本物であることは目の当たりにしたばかりだ。

 期待しても無理からぬこと。

 大仁にも、その気持ちがなかったとは言えば、嘘になる。


「なるほどね~。それで、あなたたち、そんな変な距離でいるのね。痴話喧嘩中に来ちゃって、間が悪かったかなぁ、なんて思っていたのよ」


 仙女が得心いった風に頷く一方、石蜜は顔を赤くして、

「ち、痴話喧嘩なんて、そんな……うふふっ。あたしたち、そう見えます?」


「へ? うん。恋人同士……よね?」

 彼女の反応に、青錫君はかえって自信がなくなったのか、大仁に訊いた。


「はい。ただ周りにはまだ隠していまして……でも、傍目からはそう見えるんだったら嬉しいような、恥ずかしいような、ってところなんだと思います、石蜜は」

「なるほどね~。そりゃ、町でのことは知らないけれど、こんなところでふたりっきりだもの」


 ――よし! と、仙女が急に高らかな声をあげた。

崑崙コンロンには医に明るい仙人がいるわ。その方を紹介しましょう」


 大仁と石蜜は顔を見合わせ、同時に叫んだ。

「本当ですか!?」


「ええ。その方とは面識もあるし、きっと良くしてくれるわ」


 数日後。大仁たちが、前回と同じくらいの時間に泉へと向かったところ、青錫君と、もう一人、

「はじめまして。三指仙サンシセン、と呼ばれている」

 長い白髭を蓄えた細身の男が待っていた。


 青錫君いわく、彼は俗界にいた頃から、三本の指で脈を取るだけであらゆる病気を見抜くと名高い医師だった。

 彼の住処は北方にあり、金沙アイシン国の南進の際には戦場へと赴き、兵を手当てしたという。

 捕虜にされ、金沙兵の治療をさせられていたところを崑崙の仙人に誘われ、今に至る。


「もはや崑崙では、この方に並び立つ者はいないくらいなのよ~」

「いやはや……嘆かわしいものです。一個の出来ることなど、たかが知れておるのですから」


「そういうわけで、今は自らの研究の上に、人界で後進の育成に励んでいらっしゃるのよねぇ。それに敬意を表して、本人は仙人になることを固辞しているけれど「人に生き、人に老いて、人に死するが健全な「け~れ~ど、三指仙の号を太上老君さまより賜ったの! これって凄いことなのよ~」


 凄くて気難しいことがよくわかったところで、早速、三指仙は言った。

「では、脈を診ましょう。手首は触っても平気ですかな?」


「主に掌と呼気、それから血液のようなので」

「わかりました。手袋はそのままに。……失礼」


 ほんの数秒の後、彼は「ふむ」と頷き、手を放した。

 そして、事もなげに言った。


「治療は可能です」

「ほんとですかっ!?」


「なに簡単なことです。体内に蓄積した毒気の所為で、こうなっているのですから、解毒してやればいいのです。ただ、それには、これまでに飲んだ毒の種類と量を知らねばなりますまい。つまり、お父上のご協力が不可欠です」


「お父さまの……」


 不安そうな顔をする石蜜に、大仁は言った。

「大丈夫さ。薬師さまだって、きみの幸せを願っている。そうだろう?」


「……うん。そうね、そうだわ」


 彼への説明には仙人たちも赴いてくれるという。

 石蜜がほっとしたところで、三指仙は話を戻す。


「また、あなたがこうなったのは、およそ四年前のことでしょう? そして今も服毒は続けておられる」

「は、はい」

「数年ではこうはなりませんからな。いや、そもそもが、こうなる人が稀ですが。十年の蓄積、その解毒には同程度か、それ以上の時間を要するでしょう。十年か、十五年か……それ以上は掛かるまい」


 石蜜は、これまた不安そうに大仁を見た。

「待ってて、くれますか?」


「もちろん!」

 笑顔で答える、当然だ。


 青錫君が、とても嬉しそうに言った。

「良かったわね、ふたりとも」


「ありがとうございます、仙人さま!」


 それで――と、三指仙。

「その間は崑崙の我が屋敷に滞在してもらうが、よろしいか? 細かな投薬が必要となるし、それに石蜜は、幼い頃はどちらかと言えば病弱で、毒身となってからはだいぶ良くなったのでは?」


「そうです、そうですわ! すごい。本当に三本指でなんでもわかるのですね!」

「推測ですが、毒気が病気を殺しているのでしょう。となれば、毒気を取り除くことで却って体に不調が出る恐れもあります。まあ、成長しているので杞憂かもしれませんが」

「経過観察のためには、屋敷にいたほうが都合が良い、と」

「そういうことです。また、それに関しては武術を取り入れることも考えています」

「武術、ですか?」

「内功――氣の扱いを修めれば毒気を生ずるも可能となる、と聞いたことがあります」


 青錫君が頷いた。

「そうね、そういうことも出来るらしいわ。わたしの周りには、いないけれど」


「なれば、その逆も可能でしょうし、肉体を健康に保つことにも一役買うはず。仙境には武に秀でた者もおりますから指導役には事欠かないでしょう。薬術と武術、この二つの術でもって治療を進める――よろしいか?」

「お願いします!」


 石蜜は深く頭を下げた後、でも、と青錫君を窺った。

「この大恩を返すには、どうしたら良いでしょう? 弟子になることも考えていましたけど、こうなっては、たぶん、難しいですし……」


「そんなの気にしなくて良いのよ~。こうして出会ったのも、きっと天命だわ」


 とにかく良かったと言う仙女の前に、大仁は跪いた。

「どうか、おれを弟子にしてください」


 石蜜が目を丸くする。

「ま、待って大仁! あなたが、そんな、あたしの代わりにみたいに」


「おれも、きみのために、なにかしたい、なにか出来ないかと、あの告白以来、考えてきた。でも、出来ることなんてなんにもなかった。ならば、せめて、きみの近くにいたいんだ。どうでしょう、青錫君さま。これは、おれのわがままです」


 愛する恋人のために、自らの身でもって彼女が受けた大恩を返したい。

 素直にそう言っては、石蜜も心苦しいだろう。

 だから、あくまで、自分のためなのだ。


「どうかおれも、崑崙に連れていってください」


 そうした真意を汲み取れば、青錫君も断るのは気が引けるというもの。

 恋する少年の思いに応えたくなるというもの。


 仙女は悩まし気に口元をもにょもにょさせた後、言った。


「良いでしょう。大仁、貴方を我が弟子とします」

「ありがとうございます」

「ただし! その前に、ご両親を説得すること。良いですね?」


 片や治療のため、片や恩返しのため。

 かくして、少年少女は仙境に足を踏み入れるに至ったのである。

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