第7章 胎児連続殺人事件

第31話 邪法師

 水珠スイジュは街道の空を急いでいた。

 その目には、怒りの炎が燃え上がっている。


 時は――数日ほど前に遡る。


 南に向かうことになった雷壮たちと別れた後、水珠たちは北へと歩を進めていた。

 日が沈む前に越えられると臨んだ山は、少し見通しが甘かったらしい。

 峠を下る途中で野宿することになった。


 どこで怪事に出くわすかわからない以上、徒歩移動を基本としているけれど、ここは飛んでしまっても良かったかもしれない。

 そう思いつつ、水珠は野宿の準備を進める。


 木の枝と蔦、葉で簡単な小屋を作る。小屋と言っても屋根のみの形。

 必要な土地は自分が寝る分だけで良い。

 狭いほうが資材は少なく済むし、熱も逃げない。

 今夜だけ、風や露から身を守れれば良い。


 師に教わったことだ。

『呼吸できずに三分、体温が維持できずに三時間、水を飲まずに三日、なにも食べずに三週間。以上を過ぎると生存が難しくなります。覚えておくように』


 彼のおかげで水珠は、術の使用を禁じられて全裸で山に放り出されたとしても、生存環境を確保できるようになった。

 となれば野宿など、なにもかもあるようなものだ。


 寝床が出来たら、

(火起こしは……こないだやったし、今回は良いか。水と火が術でまかなえるだけで、かなり楽だぁ)


 食料を探す。

 山中ゆえに早々と薄暗くなっている。まだ夜目の術を使うほどでは、ないか。

 獣が見つかったら狩っても良いが、狙いは野草と茸、木の実だ。

 手持ちの干し肉と合わせて、汁物でもこしらえるつもりだった。


 そうしてうろついていると、小さな明かりが遠目にあるのに気付いた。


 肩の白鼬シンシンが言った。

「ちょいと一晩、屋根を貸してもらいましょうよ。野宿しないに越したことはありませんよ」

「うーん……まあ、聞くだけ聞いてみようか」


 近づいてみれば、どうやら陶工の家らしい。

 脇に立派な竈がある。


 水珠は興味深そうに眺めた。

 崑崙にいたとき、何度か土をこねたことがある。


「頼んだら、少しやらせてもらえるかな? 好きなんだよね。粘土、気持ちいいし」

「だとしても明日の話でしょうね。ほら、お嬢、早く休ませてもらいましょうよ」

「ごめんごめん。疲れちゃったよね」

「あたしはね、お嬢がお疲れだと思って言ってるんですよ。空も飛ばず地に足ついて。ねえ、間違っても自分のためじゃあないんですよ。そこをね、お嬢、誤解してもらっちゃあ」

「わかってるって。……ごめんくださーい!」


 民家からの返事はないものの、人の気配はする。

 こういうとき、いきなり顔を出してくれるほうが珍しいもの。


「わたし、旅の道士なのですが、もしよろしければ、部屋の隅で充分なので」


 全て言い切る前に、戸が勢いよく開いた。

 背の高い、案山子のように細身の男だった。額の中央に十字の傷跡がある。

 格好はいかにも旅の僧侶らしい。右手には金色の錫杖。


 左手には、ずた袋を握っている。

 


「お嬢!」

「咲きこぼれて! 晃蕩槍コウトウソウ――」


 杏花を変じるよりも、男の前蹴りこそ速し。

 鋭く、重い一撃に水珠は難なく突き飛ばされた。

 鳩尾に受けていたら膝を折っていたに違いない。


 僧侶が、くは、と口角を吊り上げる。

「せっかちな小娘だなァ」


 水珠は痺れる左手を握り直し、睨んだ。

「くっさいんだよ、お前!」


 漂う血のにおいは、あまりも濃密。

 ちょっと怪我をしたとか、そんな程度では断じて、ない。


 水珠が「しっ!」と掛け声あげれば、辺りにたちまち霧が立ち込める。

 濃いそれは己の手すら見えなくする。だが水珠に問題はない。

 肩にしがみつく白鼬が鼻でもって目の代わりになってくれる。


「こんなもんかァ?」


 水珠が晃蕩槍の切っ先を向かわせんとした刹那、男が錫杖を鳴らして、

「破ァ!」

 その一声が響くや否や、霧はたちまち消えてしまった。


 水珠は目を丸くしながらも動きを止めず、男の右側から羽衣を一直線に放つ。

 僧侶は一跳びして部屋の上へ。


「やっぱ、ちょろいぜェ、小娘」

「偉そうに!」


 水珠も追って飛び上がる。

「疾!」

 水の球と、羽衣の応酬。


「破ァ!」

 術を消し、錫杖で揺蕩う双槍を捌く。

 技量もさることながら、錫杖が恐ろしい。


「なんだよ、それ!」

 花剣が通らない。


 斬りたいものを斬れ、斬りたくないものを斬らないこともできる霊剣とて、霊威や呪力を宿した相手にはその限りではない。

 ないのだが、それにしても固い。

 これほどの逸品を、この男が所持しているだなんて信じられなかった。


「二百年に渡って代々、霊力を継ぎ込まれてきたからなァ。これを手にするために、三十年もくだらん修行に付き合ってきたんだ。このくらい出来なくてはなァ!」

「宝の持ち腐れ!」

「殺したもん勝ちだァ!」


 邪悪にして強し、この僧侶。

 だが――勝てない相手ではない。

 水珠はそう感じた。


(白銀君さまのほうが、うんと強い!)


 錫杖の横薙ぎを退いて躱すと共に、霧を生ず。


「破ァ!」

 と奴が消し飛ばすまでの一瞬のうちに、左から回り込みつつ、反対側からは水の球を撃つ。


 しかし、読まれていたか。

 男は飛び退き、屋根から降りた。

 民家の影に入られた。


「くっ!」一瞬躊躇する水珠。

 慌てて飛び込めば影から攻撃されるかも、と。


 白鼬シンシンが鼻をひくつかせて叫ぶ。

「逃げた! 逃げましたよ!」


 木々の合間を駆け抜ける、袈裟姿が見えた。

 舌打ちして、追い始める水珠。


 男がちらと彼女を見て、ニヤリと口角を吊り上げた。

「いいのかァ!? まだ生きているぞ!」


 水珠は「はっ!」と家のほうを振り返る。


 男が先よりも遠くから声をあげた。

「俺の名は独覚ドッカク! 殺したければ――巳陽シヨウに来くることだァ!」


 白鼬は「嘘ですよ!」と叫んだ。

「今なら間に合います! 討ちましょう!」


 確かに……あの血のにおいをして、本当に生存者がまだいるとは思えない。

 だが、もしも、本当だったら。


 今なら辛うじて、命を繋ぎ止められるとしたら。

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