第6章 大仁
第28話 大仁と石蜜
垣根の向こうで、ふわふわの栗色の髪が揺れ動いていた。
歳は同じく、十くらいだろうか。
草花の世話をする目付きは少々きつくて、世間でいうところの可愛さ、美しさはないかもしれない。
その丁寧な手付きと、なによりも真剣な眼差しに見惚れていると、少女と目が合った。
「……なに?」
余計に目つきが悪くなった気がする。
「ち、父が二日酔いで! 薬を買いにきた、んだ。その、ほんと、それだけで」
「そう」とだけ答えて彼女は家の中に引っ込んだ。
入れ替わる形で、薄いひげの優し気な男が現れる。
彼から二日酔いの薬を貰って帰った。
家族でこの町に引っ越してきた、翌日の出来事だった。
初めこそ、生まれ育った地を離れることに不満たらたら、唇を尖らせていた少年が、その日を境になにも言わなくなったことを、両親は心底、不思議に思ったものだった。
彼らは、ここより二山ほど離れた町から引っ越してきた。
大仁の父は、そこで料理人をしていたのだが、独立を機に故郷へと戻ってきたのだ。昔馴染みは元より、そうでない者も、よく店に足を運んでくれたおかげで、生活はすぐ軌道に乗った。
薬師も店によく来ては料理を持ち帰った。娘が外に軽々しく出られぬ体質なうえ、一人親となれば、さもありなん。
彼の植物の知識は、料理人たる大仁の父にとっても興味深いもので、ふたりは話をすることも多くなった。
そして、大仁はしばしば、薬師の家にお使いに行くようになった。
薬膳などに使える材料を買うために。
意中の相手と顔を合わせる口実になる。
そんな下心もあり、率先して役目を引き受けるようにしたのだ。
彼女はたいてい、庭先にいた。
最初の頃は挨拶程度で、名前を聞けたのは五度目くらいのことだった。
「
「薬の名前」
彼女は実に素っ気ない態度で、大仁の言葉に一つか二つ返したら、さっさと奥に引っ込んでしまうのが常だった。
だから、一つの話題を何度かに分けてすることもざらとなった。
「こないだの続きになるんだけれど、
「木のうろとか、岩の隙間に作られた蜜蜂の巣から溢れた蜜が、土なんかと混じって、とても長い年月をかけて固まったもの」
その四日後に、ようやく効用について訊くことができた。
「色んな臓器に作用するそうだけど、特に心臓や胃腸に良いとされているわ。それから、痛み止めとか、解毒とか。とにかく色んな病気に効くのよ」
「へー! すごい薬なんだね」
「毒が……ないから、長く服用し続けても良いし、そうすると精神や肉体を強くしてくれて、飢えや老いに強くなるの」
「うん? 薬なんだから、毒がないのは当たり前じゃ?」
「薬の中には毒を利用したものもあるわ。だから、無毒で、どれだけ飲んでも害がなく、それどころか、体を軽くし、気を充実させ、老いを遅らせ、寿命を延ばすものこそ、上薬といって至高のものなのよ」
「そうなんだ。すごいなぁ、きみは。おれなんかじゃ知らないことを、いっぱい知ってる」
「別に。全部、本に書いてあったことよ。すごいのは、先人たちだわ」
そして、また、さっさと家の中に入ってしまう。
(今日は少し、長く話せた……かな?)
次に会ったときは、
つまるところ、病気なのだという。
「だから……あまり近づかないほうがいいわ」
実際、彼女とは一定の距離感を保って話してきた。
だいたい三人分くらいの距離を。
「
「いえ……感染りはしない、けど」
申し訳なさそうに目を逸らす石蜜に、大仁は微笑んだ。
「そう。わかったよ。今まで通り、だね?」
「また来るつもり?」
「きみが嫌なら、もう、来ないよ」
「……そういうわけじゃ、ない」
数ヵ月ほど経って慣れてくると、薬師に用がないときでも、他の買い物の帰りなんかに少し立ち寄ることも増えてきた。
石蜜は大仁を見るとあからさまに「またか」という顔をするが、それでとっとと家の中に入るわけでもなし。
嫌われては、いないのだろうとは思った。
あまりしつこくして嫌われたくはないから、挨拶だけで済ませる日もあった。
その日もそうしようと思ったところ、
「大仁」
と、初めて呼び止められた。
「な、なに?」
もしかして、もう来るなとか、そういうことを言われるのではないかと大仁は緊張した。
というのも、石蜜の目付きが、いつもより鋭く見えたからだ。
声もちょっと低かった。
彼女は「ちょっと待ってて」と言って家の中に引っ込み、またすぐに出てきた。
「これ、あげる」
そう言って彼女は、布きれを地面に置いて下がった。
こういうときでも三人分の距離感は破られることはないのだ。
大仁は、布きれに近づき、そのうえになにか乗っていることに気付いた。
小指の先よりも小さな、石だった。
薄い黄土色をしている。
「えーっと……?」
「口に入れてみて」
彼女はそれだけ言って、さっさと家の中に入っていってしまった。
大仁は困惑し、それと玄関とを見比べる。
(口に、って……ただの石にしか見えないけど、いいのかな)
とりあえず拾い上げて、においを嗅いでみる。
(……しないな)
いや、ほのかに土の香りがする。
(やっぱり、ただの石では?)
思いつつ口に含んでみた。
すると、びっくり。
素朴なれど奥深い甘みが、じんわりと舌の上に広がったではないか。
「あっ! もしかして」
彼女の名の由来となった、
大仁は口元がニヤけてしまいそうだった。
(思ったより好かれて――って、これ! 話を聞く限り、すっごい貴重なやつじゃないか!?)
小指の先ほどにも満たない欠片とはいえ、どれほどの価値があるかもわからない。
困った大仁は、翌日、薬師に事の次第を打ち明けてみた。
もちろん、手土産として家の料理も持参して。
都合の良いことに、庭に
話を聞いた彼は、苦笑いをして言った。
「すみませんね、大仁くん。かえって気を遣わせてしまったみたいで。あれは、娘が、いつも会いに来てくれるお礼にあげたいと言うものですから、それで少しだけ分けてあげたものなんですよ」
「そうだったんですか?」
「ええ。てっきり、ちゃんと言ったものだと思ったんですが……しょうがない」
薬師が家の中を振り返って、
「石蜜! ちょっと来なさい!」
やや間があって、彼女は二階から降りてきた。
「なに、お父さ」
大仁と目が合うと、ばつが悪そうにそっぽを向く。
薬師は呆れたように言った。
「石蜜。駄目だろう、ちゃんと言わないと。困らせてしまったみたいだぞ」
「なんで?」
「お前が、貴重なものを、説明もなく渡すからだ」
そう言って薬師は、奥に引っ込んでいった。
石蜜の鋭い視線が大仁を射抜く。
ちょっと怖いが、大仁はここに至って、もしや、と思った。
これは照れているのではなかろうか、と。
「ねえ」
と、彼女は相変わらず素っ気ない風に
「どうだった?」
「どう、って?」
「おいしかった?」
「ああ、うん、とても。それと、嬉しかった。あんな貴重なものを」
「別に。……あたし、こんなんだから、友達とかいないの」
石蜜がふと目を伏せる。
「目つきも悪いし。だから、不気味とか、変とか……。まあ、可哀想っていう人もいるけど」
大仁はなんて言ったものか迷った。
ここで「おれは好きだよ」と言うのも、それはそれで変な雰囲気になりそうな気がする。
そうこうしているうちに、彼女は言葉を続けた。
「でも、大仁は……よくうちに来て、話し相手になってくれる。こないだのは、そのお礼」
石蜜は彼の目を見て、深呼吸を一つ。
「大仁。いつも、ありがとう」
「あ、や、そんな、こっちこそ……えっと、きみと話すのは、楽しいよ」
「そう? なら、よかった。一緒ね」
そう言ったとき、彼女の目元はいつもより、柔らかかった。
大仁はにわかに顔が熱くなるようだった。
「そ、それじゃあ」
声が上擦った。
「また来るから」
「うん、またね。待ってる」
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