第25話 水珠の番

「お嬢、出てきましたよ!」


 肩の白鼬シンシンに言われて、水珠スイジュは門のほうを見た。

 屋敷周りの無気力な人たちに食事などを与えようとしながら――そのほとんどは徒労に終わってしまったが――待つこと、小一時間。

 意外にも早い帰還だった。


 駆け寄る水珠は、あれ、と思う。

 違和感。その正体は、彼の次の一言でわかった。


「悪い。敗けたわ」

「あっ! 花剣がない!」


 水珠が唖然とする一方、白鼬シンシンは毛を逆立たせる。

「かぁ~っ! なっさけない! 花剣道士が、花剣を失うなんて!」


 懐の小猿リーリーも、これ見よがしに溜息をつくが、

「全くじゃ。こんな情けない道士より、可愛い雌の道士とお供したいのォ」

 深刻さはまるで感じられない。


 ヂワンもだ。

「まっ、水珠が勝てばなんの問題もねえだろ」


「か、簡単に言ってくれますね……」

「そりゃそうさ。ここじゃあ、花剣も術も使えねえ」


 彼から相手の能力について聞かされ、水珠は眉を八の字にした。


「壮さんの言った通りになったわけですか」

「思った以上に厄場ヤバいぜ、あれは。屋敷に火ぃつけても、あの無敵っぷりじゃあな」

「ですね。聞いている限り、その力の肝は鶏頭なわけですし。場所は関係ないと思います」

「賭けに勝って吐き出させるしかねえ。やっぱり、お前を後回しにして正解だった」


 最も決闘に秀でる、レイヂワン

 最も術の発動が早く精密な、澄泥チャンニィ

 最も回復術に秀でる、大仁ダーレン

 そして水珠スイジュは、最も多くの技能を身につけている。


 その中には賭場で使えるものもある、とは言え、だ。

「正攻法で、相手の土俵でやらなきゃなんないってのは、結構な重圧ですね」


「だが、やるしかねえ。相手が相手だからな」


 水珠は屋敷の周囲で辛うじてまだ生きてはいる人たちを見た。

 町中の浮浪者、そして、家に帰ることのできなくなったあの奥さんを思い出す。

 彼ら、彼女らのためにも、紙牌シハイ浪子ロウシという人でなしを放ってはおけない。


「必ず勝ちますよ」


 小さな相棒が肩で「その意気です!」と勇気づけてくれた。


「そんじゃ、水珠。教えるぜ、俺がどんな勝負をしてきたのかを、な」



     ◇



 翌朝。日が昇るとすぐに、水珠は紙牌浪子の屋敷にやって来た。

 使用人の案内で通された部屋は、壮から聞いていた通り。


 男が薄ら笑いを浮かべて、言った。

「はじめまして。なんて呼べばいいかな?」


「水珠。お前から、全てを取り戻しに来た」


「ほう」

 紙牌浪子の眉が上がった。

「昨日の今日だ。きみも花剣道士というやつかな?」


 それには答えず、水珠は一歩、また一歩と卓に歩み寄る。

「お前は、なにがしたいの? 人から記憶を奪って、それが、なんなの?」


 彼は、ぽかんとした顔の後、ぷっと吹き出した。


「なにがおかしい!」

「おかしいさ。まるで僕が悪いかのように」

「そうでしょう!? 確かに、欲に目が眩んだのかもしれない! だけど」


「僕はちゃあんと事前に説明をしている。得られるものはもちろん、失うものもね。それでも、皆、帰らないんだ。いや、一人か二人くらいは、やっぱり……ってのもいたかな。賢明だね」


 そこでまた、彼は、ふっと笑った。

 薄ら笑いを浮かべながら、紙牌浪子は言ったのだ。


「賢くは生きられない人たちが、最後の最後、涙ながらに札を切る様! あれほど、おかしなものはないよ。何度見ても飽きない、うん。……ふふ。はははっ!」


 水珠の奥歯が軋んだ。


 彼女は搾り出すようにして、

「お前だって、人の胎から産まれたんじゃないのか!」


「なに言ってんの? そりゃあ、人は皆、そうでしょ」


「いいや、お前は人間じゃない」


「は?」

 彼は心底、なにを言ってるんだこいつは、と言いたげな目だった。


「今も外には、食うこともせず、厠にも行かず、死んだように生きている人たちがいる。そのまま死ぬ人たちがいる。ある家では、愛する奥さんを追い出したことにも気付いていない夫がいる。その病気の子供は! どうして母は帰って来ないんだって! 父はなぜ、母はいないと言うのかって!」


 きっと、わけがわらず泣いている。


「そんなこともわからない、お前は、人間じゃない」


 水珠は勢いよく椅子を引いて勝負の席についた。

「紙牌浪子――全てを返すと言うなら、今、このときが最後だよ」


 彼は、やれやれ、と呆れたように肩をすくめる。

「やる前から熱くなっちゃって……こりゃ昨日の彼より、つまらない勝負になるな」


 すると机の下から、

結構ケッコー。立ち会わせていただきましょう」

 という言葉と共に、白黒の鶏頭人身がぬるりと現れた。


「水珠様におかれましては、ワタクシの説明は不要のようですね」

「うん。本当に中立ならね」

結構ケッコー。信用されるとも、されぬともかかわらず、ワタクシはワタクシの役目をこなすのみ。勝負を取り仕切り、代償を取り立てる。そのために、ワタクシは産まれたのですから」


 それで、と異形は言う。

「勝負内容はお決まりになっておられますかな?」


 浪子に促されるまま、水珠は無数の箱の収まる棚を見せてもらう。

 いくつかの箱を開けて、閉めてを繰り返し、最後にそれを手に取った。


「コココ。ご希望は【ヂィ夫妻フゥチィ】ですな」


 昨日、壮が挑み、敗けた遊戯だ。


「説明はいりますかな?」

「一応、してもらおうかな」

結構ケッコー。っと、その前に、肝心なことを忘れておりました」


 いわく、賭けの代償について。


「水珠様がお求めになりまするは、我が主がこれまでに取り立てたもの全て。では、水珠様の差し出すものは」


「わたしの全て」

 被せるように水珠は言った。


「コケ! よろしいのですか? 貴女様のお考えになる以上に、全て、というのは重い。記憶、肉体、精神! 過去、現在、未来! 貴女様の大切に思う人! ありとあらゆるから貴女様を徹底的に取り立てることになります」


 それすなわち、この世界に存在した痕跡をことごとく消し去るということ。


 水珠の脳裏に浮かんだのは、もちろん、雪梅シュエメイの姿だった。

 これに敗ければ、彼女からも、自分のいた記憶が失われてしまう。

 なるほど、確かにそれは、全てと言うに相応しい。


「いいよ。勝つのは、わたしだから」


 鶏頭は目を細めて嘴を鳴らした。心底、愉快そうに

「コケッココ……となりますと、むしろ我が主こそ賭け金が足りぬやも。それでも構いませんかな?」


「じゃあ」

 と、水珠のほうから提案。

「能力も賭けて。二度と、こんなことが出来ないように」


結構ケッコー。まだ載せられますが、如何しますかな?」


「そう」

 少し考えて

「じゃあ、今後、誰の言うことにも逆らえないようにして」


「結構! さて、我が主……如何なさいますかな? この勝負、受けますかな?」

 それとも、水珠の賭け金を減らしてもらうか。


「わたしは減らしてあげてもいいけど、その場合、いくつか条件をつけてもらうよ」


 彼は、やはり余裕たっぷりの表情で答えた。

「遊戯の説明をしてあげて。どうせ勝つのは僕だけど。これまでも、これからも」


結構ケッコー!」

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