第21話 妹地獄

 目の前で妹が死にそうになっている!


雪梅シュエメイ!」

 助けんと手を伸ばして、不意に痛みが耳に走った。

 肩の白鼬シンシンに噛まれたのだ。


「お嬢、しっかりしてください!」


 そうだ、こんなところに妹がいるはずがない。

 我に返った水珠スイジュに、池の中より半透明の触手が襲い掛かる。

 間一髪で白鼬だけは逃がしてやれた。


「お嬢ー!」


 彼女の叫びは、もう水珠には聞こえていない。

 池の中は思いのほか、深かった。底は暗黒のみが広がっており、天を見遣れば、鱗のような明かり窓が果てまで続いている。

 まさか青龍谷の泉と泉とが、このように繋がっているはずがない。

 そもそも、この暗黒の深さ――明らかに異常だ。


(一種の異界……そして、その主が)


 水珠は自らを掴んで離さぬ、長い触手の先へと視線を送った。

 その距離、数十メートル。


 大きさは彼女の五倍はあろうか。

 海月の姿に近い。半透明の丸い傘は、傘と言うよりも兜のよう。

 ぶよぶよとはしておらず、烏賊の軟甲を思わせる。

 兜からは繊毛めいたものがゆらめいており、内には目玉が三つ、ぎょろり。

 兜の下には蝉の腹のような胴体あり。それから無数の触手が垂れ下がっている。

 また、周囲には風船の如く膨らんだ赤い器官が漂っている。

 その内部に薄っすら透けて見える影は、見間違えでなければ無数の人間のようだった。


(なるほど。そういうことか)


 風船の中身が、時々地上に現れるそっくりさんの正体に違いない。

 奴はこうして獲物を引きずり込んでは、次なる獲物をおびき寄せるため、喰らった獲物を元にした疑似餌を撒くのだ。


(記憶を読む力もあるんだな。だから、そっくりさんにしたって家族と話しが出来る。やけに昔のことに詳しかったっていうのも、そういうわけね)


 今、これの住処は青龍谷の池までらしいが、果たして将来はどうだろう。


(更に力を蓄えたら、この異界をもっと拡大するかも。水辺に誰も近寄れなくなっちゃう)


 こいつは、極めて、危険で、凶悪だ。


 水珠がそう認識する最大の理由は、その実、そこではなかった。

 だって杞憂かもしれない。

 実際には、こいつの異界は、ここまでなのかもしれない。

 もちろん、それでも危険には変わりないが、必ずや討伐せねばならぬという決意を水珠に抱かせたのは、やはり、よりにもよって愛する妹の姿を餌としやがったことに他ならなかった。


(わたしの思い出を、勝手に覗きやがった。あの子が溺れる様を見せやがった。許さない!)


 水珠は海月を睨みつけて花剣に念じる。

(咲きこぼれて! 晃蕩槍コウトウソウ白杏ビャッキョウ!)


 頭に咲く白き花が、光の粒となって瞬く間に姿を変じていく。

 剣でもなければ、槍でもない。両肩に掛け、脇の下を通してまとう、さながら天女の羽衣のような美しき純白の帯。

 それが、水珠の花なのだった。


 その両端でもって、まずは体に巻きつく触手を斬り刻む。

 まさしく晃蕩たゆたう槍の有様だ。


(術を使って……息は三十分ってところね。さて、と。それじゃあ、手早く本体を――っ!?)


 触手の破片が、ぐゃりと姿を変えていく。


「お姉ちゃん」「遊ぼうよう」「お姉ちゃあん」

「お姉ちゃあん」「どこに行っちゃったのぉ」「お姉ちゃん」

「会いたいよう」「お姉ちゃん」「お姉ちゃあぁん」


 年端もいかない姿から、つい最近の姿まで。

 様々な歳の雪梅が辺りを漂いながら、泡を、ごぽり、ごぽり、口から吐いて語り掛けてくる。


 その数、十を超える。


 なんて悪夢だ。

 寝込んでいるときだって、ここまでのものは見れやしない。


(でも、偽者だ! こんなもの!)

 水珠は衣の切っ先を、取り付かんと迫る妹たちへと差し向ける。


(今のは、五歳の。次は七歳だ。こっちは……三歳、懐かしい、可愛い)


 そうして刻んでいる間にも、次なる触手が向かってくる。

 それも当然に斬るのだが、さすれば、


「お姉ちゃん」「やめて」「あ゛あ゛あ゛あ゛」

「痛い、痛いいい」「痛いよおおお」「お゛ねえぢゃあん」

「いやあああ」「お姉ちゃあん」「殺さないで」

「お姉ちゃあん」「た゛す゛け゛て゛え゛」「お姉ちゃあん」


 と、余計に性質たちが悪い増殖を見せる。

 水珠は、斬れば斬るほどに、お腹がきりきり痛むようだった。


 異形に対する殺意も水泡に帰し、今では、懇願したいくらいだ。

 水珠の目元に浮かんだ涙は、すぐに水と混じってわからなくなった。


(も、もう、やめて! お願いだから、雪梅を斬らせないで!)


 通じるわけもなく、まとわりつこうとしてくる妹たちから、水珠は逃げる。

 追ってくる、妹たちと触手。


 せめて触手だけでも、と白き羽衣を構えるが、

(だ、だめ! 増やしたくない!)


 でも、

(斬らなきゃ、雪梅を、海月を、やっつけ、ない、と……)


 水珠は意を決し、改めて晃蕩槍の両端を走らせる。


 すぱっ、すぱぱっ!

 いとも容易く妹の首を狩り、胴体を輪切りにし、縦両断にしていく。


 もちろん、触手だって、そうだ。

 斬ること、それ自体は本当に簡単だ。


 見える範囲をあらかた片付けると、水珠は残骸を出来るだけ見ないように、すぐさま海月に向き直った。

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