第17話 追跡

「な、なにっ!? 大仁ダーレンくんも聞こえた!?」

「外からだ!」


 寝台から跳ね起きた水珠スイジュと大仁。

 ふたりの耳に続けざま聞こえてきたのは濡れ雑巾を同時にいくつも叩きつけたかのような、湿り気と重みのある音の連打だった。嫌な音だった。


 急いで玄関へ向かえば、同じように叩き起こされた者たちが、群がるようにして外を見ていた。

「またか?」

「だろうな」

 そんな風に囁き合う彼らをかき分け、水珠と大仁は通りに出る。


 すぐに提灯の明かりが目に入った。

 三人の男がそれを持って地面を見下ろしている。

 空には雲がまばらに出ていて、月は陰っていた。


 駆け寄ると、彼らの隙間から人の部位が覗く。

 惨い。その一言だった。

 腕や足、胴がバラバラになって散らばっている。


(いったい、どうやって……!?)

 奇妙なことに、血はほとんど出ていなかった。

 切断面が焼け焦げているように見えた。


 三人組の中には、その男だったものに見覚えある者もいたようだった。


「ついにフゥリィまで……」

「こいつも、あの化け物を?」

「ああ。だから、やめとけって言ったのによ……」


 彼らの背後から大仁が、それとなく訊ねてみる。


「なにをしたんです? 化け物って」


 男たちは振り向くことなく、

「ほら、先週のあれだよ。近くの川に流れ着いた、死体。何人かが金を貰って燃やしたっつー」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。これで三人目だ。残りの奴らは気が気じゃねえな」

「そもそも役人がよぉ、てめぇらで片付けてりゃ胡立のやつだって、こんなこと……」

「言ってもしょうがねえ。とにかく、お役人さまを呼んでこねえと」


 その役目を頼まんと男たちは振り向いたが、すでに大仁も水珠もそこにはいなかった。


「んだよ、ったく。……だが、ま、賢いか。面倒事は避けるに限る」


 その男たちの頭上、遥か高くに、ふたりの道士はいた。


 あの絶叫は上から聞こえたように思えた。

 二階よりも上、となれば屋根。

 そこで彼を肉塊に変え、ばら撒いたのではないか。


 雲は月の前を去り、視界は良好。

 なれど水珠たちが空中に飛び上がったときには、すでに犯人らしき影はなかった。


「もう逃げられちゃった?」

「早いな。彼らの言っていた化け物、その仲間が犯人、かな?」

「状況的には。どんな化け物なんでしょう?」

「聞きに戻るか……待って、あれ」


 大仁の指さしたほうを水珠も見た。

 それは眼下の家々ではなく彼方だった。

 町の背後に望む山のほうへと、黒いなにかが羽ばたいていく。


「蝙蝠? いや」

 親指ほどの大きさに見えるが、この距離で、それということは、

「もっと大きい」


「行こう。あれだ、きっと」

「あ、待って。石子の術、掛けとく」


 もう少し近づいてみると、その後ろ姿はまるで、蝙蝠の翼を持つ人間のようだった。


 石子の術を掛けたとは言え、相手は異形、効果があるかは不明。

 着かず離れずの距離を保つ。

 相手に気取られることのないように、相手より高いところを飛んでいく。

 もっとも、追手がいるとは思ってもみないのか、背後を気にする素振りはなかった。


 なだらかな山を二つほど越える。近くに村もない奥山だ。

 蝙蝠人間が山間やまあいへと降りていく。


 水珠は大仁を窺った。

「ど、どうしよう」木の葉の影に隠れてしまう。


 大仁はちらりと見上げた。月もまた雲の影に隠れてしまいそうだった。

「しかたない。見失うより良い」


 ふたりは意を決して、地上に舞い降りる。


「あっ」と水珠。「洞窟だ」辺りに異形の姿は見当たらない。

「中かな?」

「かもね。蝙蝠らしい」


 ぽっかりと空いた横広がりの暗黒。

 膝をちょっと曲げなくては、頭をぶつけてしまうだろう高さ。


 自然窟らしかったのは、入ってすぐのところまで。

 その先は整った坑道となっていた。もう屈む必要はない。

 地下水が染み出しているのだろうか。湿っている。


 ゆるやかな斜路を、ふたりは下っていく。

 道は異様なくらい綺麗に舗装されている。

 継ぎ目もなく、粘土を丹念に伸ばして固めたかのようだ。


(これも凄いけど……まだ人間にも手間暇掛ければ出来そう。それよりも)


 水珠は隧道ずいどうの天井を見上げる。

 等間隔に、丸い光源が配置されている。拳大ほどの大きさだ。

 これのおかげで術を使わずとも洞窟を進めた。


「火じゃない、ですよね?」

「そう、だね。揺らめかないし」


 静かな光は月明かりのよう。


「ちょっと、怖いですね」

 水珠は思わず、そう口走っていた。


 大仁も頷きを返す。

「確かに、不気味だ。妖術ってわけでもなさそうだし」


「なんていうか……仙境っぽさある」

「え?」

「人の世とは異なる技術っていうか……ごめんなさい、あんまり上手く言えなくて」


 水珠は、人型宝貝パオペエを初めて見たときに感じたものを思い出していた。


 故郷の暮らしはおろか、話に聞く都会の生活からも抜きんでた、まさしく、ここではないどこかに来たのだと思った。

 そこに暮らす仙人たちは人知を越えた術を使い、不老長生だったが、それでも人間だと思えた。

 ゆえに怖くはなかった。


 大仁は呟くように、

「ちょっと、わかるかも」


 それから深く息を吸った。

「気をつけて行こう。相手は、人でも、妖怪でも、仙人でも、ない。そのつもりで」


「です、ね」


 ゆるやかに蛇行する斜路の先は、広大な円形広場になっていた。

 半径百メートルはあろうか。


「な、なに? ここ……」


 高い天井。右手の壁には、また別の部屋に繋がる穴がいくつも空いている。

 わずかに内部の様子が窺えた。ただ寝台だけが、複数個あるようだった。

 奥の壁にも一つ、穴が開いている。その先は廊下になっているようだった。


 水珠たちと、奥の廊下との間には、大きな穴が広がっていた。

 部屋の大部分をそれが占めていると言って良いだろう。


 ふたりはしゃがんで、恐る恐る、深淵を覗き込んでみた。


 穴は、すり鉢状になっていた。穴の外壁に沿う形で螺旋の坂が作られている。

 底には、三十近い影があった。

 遠目ながら、それが蝙蝠人間でないことは、すぐにわかった。

 彼らには翼がない。


 普通の人間のようだった。

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