第3章 分割死体落下事件
第16話 第三の花剣道士
天元国の南部では雨の日が多い時期でもある。
水珠と
山の麓の小さな町だ。城壁はない。辛うじて石垣がある程度。
宿屋が三軒もあれば良いほうだろう。
周辺には田畑が広がっており、市場にはそこで採れた瑞々しい作物が所狭しと並んでいる。
大仁は、水珠の一つ歳上の青年だ。
胸元に咲く小さな花は
水珠は彼との面識はすでにあった。
恋人のために道士となったということで水珠は親近感を抱かずにいられなかった。
まだ朝と言って良い頃合い。
活気あふれる市場を歩きながら水珠は問うた。
「どうしましょうか?」
二度目の島外学習もやはり、占いによって選ばれた地へと赴いて怪事を治めることが、師の求めるところ。
まずは、この町に怪事が起きているか、あるいは、その予兆はあるか、見極めなくてはならない。
大仁が言った。
「前回の、きみたちの方法が良いと思う」
そして苦虫を噛み潰したような顔で付け足した。
「おれたちは、その必要がなかったから」
「あー……」
水珠は懇親会で聞いた話を思い出す。
生贄を要求する化け蟹が、夜な夜な町に現れていたら、そりゃ人から聞き出すまでもない。
また、その化け蟹のやって来た理由というのが、ある女が、結婚相手を乗り換えるために前の男を殺して海に捨てた――人の味を教えてしまったことにあるとなれば、そんな顔にもなろうというものだ。
「あ、大仁さん、あそこ」
市場の端っこにちょうど良い空きがある。
「あそこでやりましょう」
「うん。口上は、なんだったっけ」
「お困りごとあらば、なんなりと! 花剣でパパッと解決いたします!」
さて、意気込んで術の披露を始めたものの、反応はなんだか芳しくない。
この前の町では、わっと寄ってこられたものだが、ずうっと遠巻きにされている。
その顔には不信や怯えの色が、わずかに見て取れた。
水珠は、そっと大仁に耳打ちする。
「この町の人は、術をあまり好まないみたいですね」
「平和ってことかもね。なんにもない町に、おれたちのような怪しき力の持ち主が現れれば、避けられても不思議じゃない」
「早めに切り上げます?」
「そうしようか。幸い、まだ昼前だ。次の町か村に向かおう」
水珠たちは術の実演をやめて、怪しい者ではないことを示すべく、にっこり笑う。
「お騒がせしましたーっ」
そうして市場を出たところで突然、複数の衛兵に囲まれた。
いずれも腰には剣を帯びており、いつでも抜けるという構え。
長らしき髭の男が言った。
「妖術を使っていたというのは貴様たちか?」
正直に答えたら面倒なことになりそうな雰囲気なのは、水珠にもわかる。
だが、どうしたものかと口を閉ざす彼女に代わり、大仁が恭しく答えた。
「私たちは旅の芸人でございます。こちらは妹でございます」
「あ、はい、お兄ちゃんです!」
髭の衛兵が「ふん」と鼻を鳴らし、じろりと睨む。
「芸人? その恰好はなんだ。道士の類ではないのか?」
「いえいえ、道士のような恰好をした芸人にございます。妖術のように見えたものはいずれも、我らが技。人の技に過ぎないものです。驚嘆させることこそ我らの仕事と心得ておりますが、まだまだ未熟者ゆえ、怖がらせてしまいました」
そこで彼は懐に手を差し入れる。
衛兵たちの警戒度が見るからに上がった。
大仁はゆっくりと手を抜き、小袋を掲げる。
「こちらは、ご迷惑をおかけしたことの謝罪の気持ちにございます」
お納めください、と髭の衛兵に握らせれば、彼は「おほん」と咳払い。
「礼儀のわかっているやつだな」
急速に彼らの警戒心が薄れていった。害がない。
そうとわかったうえで、お気持ちが貰えるのなら、取り調べなどの面倒を回避する程度の理由にはなる。
「だが芸人ども、これでわかったろう? この町に貴様らの仕事はない。早々に発つことだ」
「お気遣い、痛み入ります」
大仁が恭しく礼をするのを見て、水珠もそれにならった。
衛兵たちが去ると「ふーっ」と息をつく。
「大仁くん、すごい! 落ち着いてる! やっぱり違うねぇ。大人だ、大人」
「いやいや、そんな……。それにしても、なんだか、過剰反応な気もするね」
「そうだね。まさか、お役人さままで呼ばれるなんて」
余所者への不信。神秘への畏れ。
町の人にあるのは、そういったものだと思っていたが……。
強気に出なくてはならぬ衛兵たちの、その目の奥にかすかに見えた怯えの色。
それは、水珠にとっては、どこか懐かしさを覚えるものだった。
「……なにか、いるのかも」
「なにかって?」
「妖怪とか……とにかく、そう、人ならざるものが、この町にいる……そんな気がします」
大仁は「ん、わかった」と優しい声音で頷き、
「じゃあ、少し、探ってみようか」
「はいっ。いやあ、良かったですね、大仁さん。早く帰れそうで」
「いやいや、そういうことは気にしなくていいからね、ほんと」
こうして町への滞在を決めたふたりだったが、調査は、やはり、と言うべきか、難航した。
小さな町だ。市場でのことは思いのほか早く人の間を吹き抜けていったらしい。
目立つ格好で聞き込みをしてみたところ、皆、口固し。
たまに話せる者あれど、肝心なところ――この町でなにか奇妙なことは起きてはいないか――を訊ねようものなら、手のひらを「しっ、しっ」と振られるばかり。
それこそが、なにかあると言っているようなものだ。
水珠と大仁は極めて薄く立ち上る煙の根っこに、火のあることを確信した。
問題は、その火が今どれほどの大きさとなっているのか。
大仁の所感。
「なにかはあるけど、町の人の大半には関係ない。そして関わりたくない、ってところかな。前回ほどの切羽詰まった感というか、陰鬱とした、閉塞感みたいなものが町にないから」
「なるほどぉ。でも、町のほとんどの人が、そのなにかを知ってはいる、って感じでしょうか」
「だから、それなりに目立つなにか、なんだろうけど……」
日も落ち、今日のところはこれ以上どうしようもないとなり、ふたりは宿に引っ込むことにした。
水珠は屋台で買ってきた肉入り饅頭をむしゃむしゃしながら、
「人の口には戸が立てられないって言いますけどねぇ」
「町守の厳命があるのかもね。衛兵もあの様子だしさ」
「うーん……むずかしい」
どうしたものか。水珠と大仁は膝を突き合わせ、相談を続ける。
それはまさしく、月のない夜の道を歩くときのような、どこに向かっているのかもわからない、覚束なく、頼りないものだった。
次第に口数は少なくなっていき、日の変わる頃には、どちらともなく眠りに落ちていた。
「――ぎいゃあああああああああっ!!」
突然、絶叫が響き渡らなければ、きっと朝まで寝ていたことだろう。
あまりにも凄惨の極まった声に、性別はおろか、人間のものかも、判別つかなかった。
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