第14話 水珠、キレた

「お前だって、人の胎から産まれたんじゃないのか!」

 怒声と共に扉を蹴り破る。


 澄泥チャンニィが止める間もなかった。

「こんの大愚おばか!」


 町守は突然の闖入者に目を丸くし、狼狽える。

「な、なんだお前は!」


 水珠スイジュは止まることなく剣を振りかぶって、彼へと迫る。

 町守は悲鳴をあげて部屋の隅に逃げんとしつつ、その名を呼んだ。


「ひぃぃっ! げ、黥食ゲイショク! 助けてくれぇっ!」


 瞬間、天井の掛け軸から――ぬるり、と――黒き蜥蜴が頭をもたげる。

 が、水珠は気付かない。目の前の、人でなしこそ最優先。

 花剣を振るい、町守の背に一太刀浴びせる。


 蜥蜴が水珠に向かって大口開けながら飛び掛かる。


 その首を澄泥の黒き花剣が斬り飛ばす。

 途端、その身は墨汁めいた液体と化して辺りに飛び散ると共に、消えていく。

 後には墨の、かぐわしい香りのみが残った。


 危機一髪のところを助けられた当の本人は、そのことに気付かず。

 関心は妖怪の消滅と共に八幅の女人画の中から転がり落ちてきた裸の女たちに移っていた。

 外傷らしい外傷は当然ない。

 被害にあってからだいぶ経つ者こそ衰弱した様子なれど、命はまだ繋がっているようだった。

 数日ほどはとこから出られず、お粥ばかり食べることになるだろうが、それでも生きていた。


 水珠は胸を撫でおろす。

「よ、良かったぁ」


 その背後に這い寄るは――無論、目を吊り上げた澄泥である。

 彼女は水珠のこめかみを両の拳で挟むと、ぐりぐりと締め上げた。


「そりゃ良かったでしょうよ、この大愚おばか!」

痛痛痛いたたたぁっ!」

「勝手に突入するなんて! 信じられませんわ、まったく! 水愚にでも改名なさい!」

「ご、ごめんなさぁい!」


 澄泥が頭を放す。だが謝罪を受け入れたわけではない。

 訊きたいことがあったのだ。

 彼女は部屋の隅を見ながら、問うた。


「それで水愚、貴女、なにをしたんですの? わたくしは、てっきり」

 町守を殺したのかと。


 そう思うのは無理もない。事実、白き刃は間違いなく、彼を斬った。

 しかし彼は壁に向かって額をこすりつけるようにして、さめざめと泣いている。

 しかも時折、後悔の言葉さえ聞こえてくる。

 その背には血痕はまるで見当たらない。


「ぐ、う、うぅ……私は……私は、なんて恐ろしいことを……!」


 水珠は「ああ」と事もなげに、あるいは冷ややかに答えた。

「心を斬っただけだよ」


「は?」


「心の、悪いところを。それで少しでも良きところが残っているのなら」

 見ての通り、後悔し、懺悔もしようというもの。


「その良心で、どう償うかは知らないけれど」


 澄泥は言葉に詰まった様子で、彼と水珠とを見比べた。

 それから頭を小さく振って、町守に向かっていく。


「ちょっと、貴方。わたくしの質問に答えなさい」


 彼がビクッと肩を震わせ、振り返る。

 そして今度は床に額を擦りつけた。


「ど、どうか、命でもって償いを……」

「わたくしに言われても困りますわ、そんなこと。それより貴方、あの妖怪はどこで? それとも貴方の能力かなにかですの?」


 町守がおずおずと答えた。


「い、いえ……あれは、買ったものでごさいます」

「誰から?」


 いわく旅の画人だったという。黒髪の翁で、名は臥龍ガリョウ

 如何に無名であろうと、光るものがあるかもしれない。

 そう思って屋敷に上げたところ、見せられたのは数々の魑魅魍魎の絵だった。


「私の趣味ではありませんでした、が……得も言われぬ、おどろおどろしさ! まるで本当に見たかのような、妙に真に迫っていて、背筋のざわつく絵でありました。混沌と狂気の滲んだ……まさしく魔性の絵でございます」


 事実、それは怪力乱神を秘めていた。

 その様を見せつけられた彼の内で、一つの欲が生じたという。


「わ、私はかねてより、己だけの傑作というものを持ちたいと思っておりました。私にも……その画人の如き力があれば、と。ほんの少し、羨む気持ちを吐露した……ただ、それだけ……それだけのつもりでした、本当です! し、しかし……」


 画人はこう言った。


『でしたら、こちらの黥食など、いかがですかな。私のそれとは似て非なる力ではありますが、これは元より絵に棲む魔でしてな、獲物を絵に捕え、少しずつ魂を食らう、蜘蛛のようなやつです。見た目は蜥蜴ですがな』


 町守は顔を伏せたまま、またすすり泣く。

「私は……なんて恐ろしいことを……」


「そう思うのなら、まずは彼女たちの服を用意なさい。あのまま帰すつもりですの?」

「は、はい、ただいま!」


 慌てて跳ね起きた彼が部屋を出ていく。


「水珠、念のために」

「あ、うん、そうだね。手伝ってくる」


 ふたりを見送った後、澄泥は改めて天井を見上げ、

「画人の端くれとして、わたくしは、この名を決して忘れませんわ」

 あの蜥蜴が描かれていた掛け軸――その隅の署名を睨みつけるのだった。

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