第13話 少女展示中

 勇んで宿屋を飛び出す道士ふたり。外はすっかり日が沈んでいた。

 月が犯行の瞬間を教えてくれたら、こんなにもありがたいことはないのに。

 そう思いながら水珠スイジュたちは、人気ひとけの少ない通りに来たところで、ふわりと宙に浮きあがる。


澄泥チャンニィちゃん、夜目の術は?」

「できますわよ、っと」


 町の長たる者の屋敷は流石の広さ。相方がいるときで良かった。

 水珠は東側、澄泥を西側を、猫一匹さえ見逃さぬという気概で監視する。


 あるいは、今日がその日ではないかもしれない。

 ならば明日も、明後日も――誘拐の起きる日まで、毎夜、繰り返すつもりだった。


 だがどうやら、天は彼女たちに味方したらしい。


 水珠は屋敷の塀をよじ登る影を、目の端に捉えた。

 人間ではない。まるで蜥蜴のようだった。

 その体表は墨の如く黒々しく、ぬんめりとしていた。

 闇夜にまぎれ、侵入するためにあるかのようだ。

 大きさは成人男性ほどはあろうか。


 その身で、どうやって誘拐するかはわからない。

(とは言え、無関係とも思えない!)


 澄泥に声を掛けると、彼女も同意見だった。

「追いかけますわよ」


 黒蜥蜴は民家の壁や屋根を這うようにして進む。

 その姿にはまるで迷いというものがない。

 最初から目的地が決まっているのだろうか。


 だとすれば、それは誰の意思によるものか。

 蜥蜴自身か、あるいは使役する者か。


 人知れず、町守の屋敷を巣にし、人知れず、人を攫っている。それよりもやはり、町守やその縁者が、かの妖怪を操っていることのほうがあり得そうだ。


 水珠と澄泥は、黒蜥蜴から充分な距離を取って追跡する。

 やがてそいつは、とある民家の中へ、隙間からぬるりぬるりと這入はいっていった。

 水珠は花剣を握り締め、その犯行を止めんつもりでいたが、


「待ちなさい、水珠」

「でも!」

「このまま巣まで様子見るほうが賢明ですわ。まだ確証もないのですから」


 と、言い合う暇も満足にないまま、黒蜥蜴はぬるりぬるりと這い出てきた。

 一見したところ、なにか変わった様子はない。


「丸呑み、とか?」

「連れ去る方法としては、そのくらいですわね、きっと」

「今なら助けられる」

「すぐに消化は、しないでしょう。あれが使役されているものならば」


 ふたりの表情は暗い。

 あれが単なる野良の妖怪で、単なる捕食者だとすれば、七人の安否は絶望的だ。

 そのことに、今はまだ言及したくなかった。


 町守の屋敷に戻っていったのだから、あれは使役されたもの。

 そういうことにしておく。


 黒蜥蜴の這入っていった戸から忍び込む前に、水珠は念のため、石子の術を使用する。その名の通り、自らを路傍の石ころの如き、特に認識する必要のないものへと、他者からの認識を歪曲する術である。

 大声を出したり、大暴れしない限り、解けることはない。


「まあ、効かない相手も稀にいる……澄泥ちゃんみたいに」


 説明を兼ねて先んじて実施してみたところ、間もなく看破されてしまったのだ。

 画家志望ゆえ、石ころに対する意識が常人と違ったのだろうか。


「水珠。そんなことより、どっちに行きます?」

 真っ暗な廊下の、右か、左か。


「別れる?」

「下手人が一人なら、そうしても良いですわ」

「敵地で分散は普通に危険か」


 水珠は懐から、例の糸を結んだ指輪を取り出す。

 失せ物探しの術をかけるとそれは、右に向かって、ふわりと浮いた。


「じゃあ」

 と、水珠は左を指差す。

「体感四割だしね」

「持ち物、宿に置いてきたのが痛いですわね」

「だいじょぶ。奥の手がある」

「へえ?」

「虱潰し」

「ふふ。完璧な策ですわね」


 軽口を叩いて、気持ちを少しでも浮上させてから、水珠たちは伏魔殿を慎重に進み始めた。

 壁伝いに、そろりそろり。いくつかの角を曲がると、やがて、それは見えた。


 戸の隙間から、かすかに漏れ出る蝋燭の明かり。

 こんな夜更けに仕事か。それとも勉強か、読書か。

 なんでもないときならば、そう思ったことだろう。


 水珠は息を殺して、そっと隙間を広げた。


 身なりの良い男が一人、椅子に腰掛けている。

 やや白髪混じり。この町の長と見て、間違いなさそうだ。


 件の妖怪の姿はおろか、女性の姿も見当たらない。


 ただ、そこは彼の趣味の部屋らしく、美術品が飾られていた。

 壺やら仏像やらも散見されるが、特に多いのは絵画だった。

 その多くは、水墨画であり、山水画である。

 遠大なる自然を見事に描いており、その方面には明るくない水珠でも、ちらと見ただけで名品とわかった。


 しかし、だ。


 彼が酒器を片手に眺めているのは、違った。

 それは正面の壁にあり、水珠たちにもよく見えた。


 色鮮やかな掛け軸が、八幅。

 そのいずれも画題は黒髪の女性だった。


 今では水墨画が主流であるものの、着色画が全く描かれなくなったわけではない。

 現に、その八幅は紙も色彩も真新しい。


 そして、なんとも言えない生々しさがあった。


 きめ細やかな長い黒髪。ほんのりと赤みを帯びた頬のやわらかさ。

 瞳に映る光のしっとりとした質感。艶めく唇からは、吐息が聞こえてきそう。

 なめらかな曲線を描く乳房の、上下する様さえ幻視してしまいそう。


 水珠は直感した。

(失踪した人たちだ!)

 特徴が一致している。数も合っている。


 まさか彼女たちを、ただ描いたものだと考えられるだろうか。

 否。こんなにも早く八人目を描けるわけがない。

 絵に封じ込めたのだ。


 あの妖怪の能力か、はたまた町守のほうか。

 それは些細な問題だ。


 水珠は目の奥が熱くなるようだった。

 怒りの炎が瞳の中で揺らめいているからだった。


 こんなことを、どうして出来るのか。


 単なる裸婦像を飾るのとはわけが違う。

 奴が飾っているのは人なのだ。


 人の分際でどうして、人を人とも思わぬ真似を出来るのか。


 こんなことは魔物の所業だ。

 人でなしだ。

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