第6話 隕石を斬る

 だったら最初から、と思わなくもない。

 そうだ、彼が最初からなにもかもしてくれていたなら、自分は父と母を斬ることはなかった。


(でも……もう遅い)


 彼の話もそこそこに剣を取ったのは、自分だ。

 そして、まずは妹を楽にしてやりたいからと、斬るべき相手を後回しにしたのも、自分だ。


(その挙句にほっぽり出して、あとは仙人さまお願いします、なんて)


 それじゃあ、自分は妹のために、なにをしたというのか。

 その機会を与えられておきながら、ただ、父と母に殺したいほど憎まれて、その弾みで斬りつけただけではないか。

 あまりにも、たちの悪い化け物だ。

 治ったあとの妹に、どの面さげて、良かったと言うつもりなのか。


雪梅シュエメイは、わたしが助けます! だって、わたしは、おねえちゃんだから!」


 そう啖呵をきったとき、水珠スイジュはすっかり、泣き止んでいた。


「では」

 と、白き仙人が突如として彼女の腰を抱える。

「参ります」


 そのことに、どぎまぎするような暇もなく、たちまち天高く飛び上がった。


「うわーっ!?」

 悲鳴を上げているうちに、山のてっぺんが間近に見えてくる。

 すると、密に重なり合った木々の狭間から、濃厚な極彩色の帯が伸びて二人へ襲い掛かってきた。己を討つ者が来たと、本能で悟ったか。


 躱す、躱す、仙人、躱す。


「わわわっ!?」


 蛇行飛行に宙返り。


「うひ~っ!?」


 団子の真上を旋回しつつ急上昇。

 そして、水珠の腰を両手で掴むようにして、頭の上に掲げた。


 それはまさに、投擲の構え。


「へっ?」

 そんな、まさか。冗談でしょう?

 そう思った瞬間、彼は大きく振りかぶって


 ――投げた。


「仙人さまああぁぁぁっ!?」


 抗議の声が虚しく夜闇を物凄い速さで落ちていく。

 群がる極彩色の帯を、水珠は必死に花剣を振り回して、ざっくばらんに斬り結ぶ。


 あっという間に木の団子に突入、その枝葉もろとももやを斬り払い、根源たること間違いなし、特に強き輝き放つ極彩色の塊は、地に半分、埋まった球の如くに、純白の切っ先を突き立てる。落下の勢い合わさって、それはいとも容易く柄まで刺さった。


 反動で思わず花剣から手を離した水珠は顔面を地面に強打。


「ぎゃんっ!」


 弾んで、絡まり合う枝葉の柔らかいところに背中を打ち付けた。


「い、いたぁい! 痛い! 鼻血でたぁ!」


 喚いているうちに、仙人は優雅に降りてくる。


 あれほど濃密だった靄はすでに薄くまばらになっている。

 その残滓を、彼は手にした瓢箪で余すことなく吸い取っていった。


 蓋を閉め、水珠に言った。

「お疲れさまでした。やがて、この地は元に戻るでしょう」


 水珠はむしった葉っぱを投げつける。

 ひらひら舞って、届くことはなかったが。


「投げるなんて、ひどい!」

「貴女も私の立場なら、そうするでしょう?」

「しませんよ!」


 ふと、彼の端正な顔に微妙な変化があった。小さな、小さな感情の滲み。

 それが、どういう種類のものか、正確にはわからない。

 ただ、なんとなく、水珠には寂し気に見えた。


 仙人は「そうですか」と、変わらぬ声音で答え「鼻血を」と、水珠の鼻に手を当てる。

 すると、にわかに熱が引き、止まったようだった。

 それから手拭いで鼻の下を拭いてくれた。


「あ、ありがとうございます」


 なにはともあれ、

「これで、終わった……ですよね? 雪梅は、もう、大丈夫ですよね?」


「ええ。それは間違いありません」


 改めて、そう言質を取った水珠は、ほっと胸を撫で下ろす。

 自然と溢れた涙には、もう暗い色は混じっていない。


「あ、ありがとうございます、仙人さま! ほんとうに、ありがとうございます!」


 何度も何度も頭をさげる。

 もしも彼が止めなかったら、きっと、朝までそうしていたことだろう。


「お礼を言われるようなことは、なにもありません。私は、私のために、したのです。そして、そのために、貴女に余計な苦しみを与えてしまった。だから、感謝されることは、なにもないのです」


「そんなことは! そもそも仙人さまが来てくれなかったら、妹はきっと……ですから、このご恩は必ず、返します。わたしで良ければ、弟子でもなんでも、なります!」


 白き仙人は、しばし沈黙し、

「……我々が弟子を求めるのは、我々に代わって、俗世の魔を討ってもらうためです。危険な目にあうこともあるでしょう。もちろん、対処するための術を与えてからのことになりますが、それでも、万全とは言い難い。率直に言って、死ぬかもしれません」


 水珠は、ごくり、と喉を鳴らす。まだ少し血の味がした。

 今まさに死に掛けた気分で、今になって手が震えてきていた。


「だ、だとしても」

 上擦った声で答えようとしたところで、彼の手が制した。


「今は、休みましょう」

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