第5話 父母を斬る
「痛っ!」
引き倒された水珠の上に、何者かが馬乗りなって首を絞めてくる。
声でわかった。
母だった。
「よくも、よくも! あんたって子は!」
窓から差し込む月明かりに、血走った眼が、よく見えた。
「その剣で、雪梅を! お前っ、おまえぇっ!」
しかたがない。
水珠は、ぼうっとしてくる頭で、そう思った。
そのときの、母の気持ちは如何ほどであろうか。
月明かりか、外の空気か、なにかを感じて、薄っすら目を開けてみれば、病に伏す、腹を痛めた我が子の傍に、水の玉から産まれた怪児が、剣を片手に立っている。
そのときの母の気持ちを、水珠の首を絞める両手の力が、流れる涙が、口角から飛ぶ白い泡が、なによりも如実に物語っていた。
「この恩知らずが! 化け物! お前なんか――拾うんじゃなかった!」
騒ぎに父も起き出してくる。
「ど、どうした」
「あんた! 包丁、早く! こいつが雪梅を!」
「わ、わかった!」
それでも水珠は思う。
両親は元来、優しい人なのだと。
でなければ、そもそも、自分のようなものを拾うだろうか。
一度でも我が子として育てようと思うだろうか。
だからこそ、雪梅と共に希望を抱けた。
いつか、また、と。
そんな父と母だったのに。
愛していたのに。
(もう……無理だ……)
変わってしまった。
――変えてしまった。
朦朧とする意識の中、水珠は、母だった人の腹に切っ先を突き立てた。
豆腐でも切ったかのような軽い感触だった。
鮮血の噴き出すことはない。
代わりに杏の白い花びらが、舞い散って消えていく。
母が意識を失い、崩れ落ちる。
喉が解放された水珠は空気を求めて咳き込んだ。
覆い被さる母を退かしたのは、父だった。
「ら、蘭! おい!」
その頬を叩く、彼の視線がにわかに水珠へ向けられて、
「お前、なんてことを!」
瞳が先の母の如く怨嗟に燃ゆると共に、握りしめられた包丁が振り上げられる。
「この、化け物め!」
「――う、あぁあぁぁっ!」
水珠は叫ぶように嗚咽し、反射的に霊剣を振るった。
真っ白な花びらが、ひらりひらりと舞い上がり、父も倒れる。
「わ、わたし……わたし……殺っ……そんな……っ!」
歯の根が合わない。ガチガチと震える。
胸が、苦しい。早鐘の如く鳴り続けている。
喉を締められていないのに、息が、できないみたいだった。
苦しい。苦しい。苦しい。
「やだ……やだ……っ!」
涙が止まらない。
水珠は、よろよろと立ち上がり、寝室を後にした。
そうして外に出れば、あの美丈夫がいた。
白き仙人が、地に足ついて立っていた。
「せ、せんにん、さま……っ!」
彼は、妹を助けたはずの水珠が、まさか泣きながら出てくるとは思っていなかったのだろう、目を丸くした。
「どうしました?」
「わたしっ! わたしぃ……っ!」
泣くばかりで答えられないと見るや否や、仙人は家に入っていく。
間もなく戻って来て、言った。
「大丈夫です。ご両親に大事はありません」
「嘘だぁっ!」
掴みかかった、その手を優しく解きながら、やはり抑揚なく、
「そう思うのなら、自身で確かめて来ると良いでしょう。傷はなく、息も正常だとわかります」
「で、でも……っ! わたし、たしかに、斬っ……だって、手に!」
やわらかな、肉の感触が残っている。
「それは霊剣です。ゆえに、斬っても斬らないということが、できても不思議ではありません。あるいは、斬るべきのみを斬ったか。なんにせよ、ご両親の命は無事です。妹君を悲しませるような真似を、どうして貴女にできるでしょう」
ならば、自分はあのとき、なにを斬ったのだろう。
ふたりの意識? それとも殺意や憎悪?
問うよりも先に、仙人が言った。
「妹君は
「あ……
水珠は悪夢から逃れるように里山の頂きに目を向ける。
「天狗とは違います。もっとも、名があるのかどうか、定かではありませんが。わかるのは、流れ星に乗ってやってきたということ、そして、周辺の土地を自分好みに変えようとしているということ。雷を呼び寄せるのは、食事でしょう。これまでの観察から、そう考えています」
「か、観察って、じゃあ、ずっと!?」
それなら、もっと早くに救いの手を差し伸べて欲しかった。
不満のあまり、震えたままの手に力がこもる。
そのことに彼も気付いてはいるのだろうが、顔色一つ変えることはなかった。
「我々、仙人は本来、俗世に関わることを良しとしていません。しかし……今、我々は弟子を求めており、奇しくも、この村に異常あり。果たしてあれは、花剣で解決できるものなのか。また、花剣を授けるに足る人物が、ここにはいるのか。見定める必要がありました」
とうとうと語る姿に、水珠はいくらか冷静さを取り戻す。
「弟子?」
涙を拭って問い返すも、また、じんわり目尻が熱くなった。
「はい。本当は、ここまでは説明が済んでから向かって欲しかったのですが……ああ、貴女が我が弟子となるかどうかは、今は良いでしょう。あれを討つまでは取り上げたりしませんから」
それとも――と彼はやはり、抑揚のない声で、
「やめますか? それなら、しかたがありませんから、私がどうにかしますが」
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