第2話 義理の娘と実の娘

 水珠スイジュは麓から村を見上げた。

 その向こうの里山を、恨めし気に睨んだ。

 夕焼けに照らされる山頂は、木々がこんもりと、団子の如く茂っている。


 数ヵ月前、空から燃える星が降って来て禿げた後、そうなった。

 村の作物の中に、変に甘ったるいにおいを発し、苦く酸っぱい奇妙な味のものが現れ始めたのも、その頃から。今では、村の作物の大半がそうなってしまった。


 今年くらいは蓄えで難を凌げるだろうが、それとは別に、金策に追われる家も少なくない。

 病人がいるためだ。

 熱が出て、ほとんど、ずっと眠っている。

 酷暑のせいかとも思われたが、治る様子が全くない。


 一週間が経つ頃には、その数は十を超えた。

 その中には水珠の幼馴染もいた。

 そして、なにより大切な義妹いもうと雪梅シュエメイまでもが罹ってしまった!


 今のところ死んだ者はいないが、それも時間の問題だろう。

 せめて雪梅だけでも……。

 そのための薬や滋養のあるものを買いたいのは、なにも両親だけの希望ではない。


 だが、いよいよ、町は村の者を門前払いするようになった。

 水珠はやむなく門の外で作物を売らんとしているが、当然、買い手はつかない。


 不意に天が光り、森の団子に一筋の雷が落ちた。

 もはや見慣れた景色――となったのは、これだけではない。


 村内で見掛ける花なども、七色が蠢くような、気色悪い色をしたものが増えてきた。やたらと足の多い蟻を見た者もいる。

 水珠も今朝方、籠を背負って下山する途中、小さな蛇ではあるけれど、それを押さえつけて、その首に噛みつく、常の倍はあろうかという飛蝗を目撃した。

 三度目だった。

 そして今、四度目になった。


 ゆえに、村の人たちは口を揃えて言う――あの流れ星は天狗テンコウだったのだ、と。そいつが悪さしているのだ。

 村長などは僧侶なり術者なり呼ぶ算段をし始めているらしい。


 決して裕福ではないけれど、賑やかで幸せに溢れていた村は今や陰気に侵され、誰もが顔色悪く、満足な飯もない。

 子供たちは外で遊ばず、大人たちの溜息や怒鳴り声が昼夜を問わず、あちらこちらから聞こえてくる有様となっていた。


 水珠は道を外れて、森に入っていく。

 やがて、忘れ去られた廃寺の姿が見えてくると、また、瞳を濡らした。



     ◇



 水珠が八つ、雪梅が五つとなった、その年、村は不作だった。

 だから水珠は、たとえ自分の分の食事が少し、減らされたことに気づいても、文句を言うことはなかった。


 まだ幼い妹が、より多く食べるのは当然のことだ。

 可愛い妹にひもじい思いはして欲しくない。


 ただ――両親のそれよりも、ほんのちょっぴり、少なく見えた、そのことには(あれ?)と思った。

 でも、言えなかった。訊けなかった。

 なぜ? なんて。


 その頃はまだ、肌で感じる程度ではあったけれど、水珠は、自分と両親との間に、どこか、溝のようなものを感じ始めていたのだ。


 なにかが違った。

 自分と両親とが話すときと、雪梅と両親とが話すとき。

 父と母の、声音や顔色やら、言葉遣い。


 でも、それは、しょうがないことだ。


 だって雪梅は――妹は可愛い。ちっちゃくて、でも、元気いっぱいで。

 おねえちゃん、おねえちゃん、と。にこにこ笑顔ですり寄ってくる。

 だから両親が、自分よりも妹のほうが好きだったとしても、しょうがない。

 特に、今は可愛い盛り。手のかかる年頃。


 だから、しょうがない。

 水珠はそう言い聞かせて、自分を見るふたりの目の奥にある影から、目を逸らした。


 翌年には、村は豊作とまでは言わないまでも、困ることはなかった。

 それでも水珠の食事の量は大差なく、かえって、両親のそれとの格差が浮き彫りになった。水珠は農作業の合間合間、里山に入り込んでは木の実などを採って、足しにするほかなかった。


 そんな、間食から帰ったときのことだ。

 妹の声は玄関にまで届くものだった。


「おっかあ、どうして!?」


 彼女の責めるような声は滅多に聞けるものではない。

 村には何人か、意地の悪い子や乱暴な子もいるのだが、そういう子たちに毅然と向かっていくときくらいなものだ。


 水珠としては、彼女のそういう姿勢を誇らしく思う一方、危うさも感じている。

 今はまだ、お互いに子供の力だから良いけれど、大きくなっても互いに変わらなかったら、きっと大変なことになるだろう。

 自分の同世代では、あまり諍いがないため、特にそう思うところだった。

 だからせめて、そういうときには自分や、他のお兄さんお姉さんを巻き込むようにとは言い含めてある。


 それにしても今日は、いったい、どういうことだろう。

 母と雪梅が喧嘩なんて。


 水珠は、そろりそろりと忍び足で台所へ向かい、影からこっそり覗き見る。

 母は夕飯の支度で忙しそうだった。


「あんたには」と、雪梅のほうを見ないままに「ちゃんと食べさせているでしょ」

「そんなの関係ない! なんで、おねえちゃんのご飯、少ないの!」

「……だから、不作でね」

「今は、ちゃんとご飯あるって、靖天ジンテンが言ってたもん!」


 なんでなんでと怒る雪梅に、とうとう母は苛立ちを隠せなくなったようで、深い溜息を一つ。

 そして彼女のほうを振り返って、言った。


「あれはね、うちの子じゃないんだよ」


 瞬間、時が止まったようだった。

 雪梅は、言っている意味をすぐには理解できず、目を大きく見開いて、なにか言おうと口を開くものの、すぐに閉じて、また開いて、閉じた。


 一方の水珠は、廊下の壁にもたれかかるようにして、両手で顔を覆った。

 予感は、あった。自分よりも明らかに妹のほうを大事に、可愛がっているのだから、もしかしたら、と。

 だけど、違っていて欲しかった。

 そして、こんな形で知りたくはなかった。

 じんわりと目元が熱くなる。


「それに、人間じゃない」


「なっ――」

 雪梅が地団駄を踏む。

「なんで、そんなこと言うの! ひどいよ、おっかあ!」


「あんたも知ってるでしょう。あれに、おへそのないことを」


 水珠は体を強張らせて、続く会話に耳を傾ける。


「あれはね、空から降ってきたんだよ。大きな雨粒にくるまれて」

「そ、そんなの、嘘だよ!」


「おっとうにも聞いてごらん。それから、うちが捨て子を拾ってきたことは有名よ。みんな、気遣って言わないようにしてくれているけれどね。それも、まあ、そんな出所の怪しさまでは言わなかったおかげでしょうけど」


 雪梅が二の句を継げずにいると、母は続けて、

「ねえ、そんなのを、あの年まで食わせてやって、今だって追い出さずに置いていてやってる。流石に、哀れだからね。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いは、ないんだからね」


 それで彼女は、もう言うことはないとばかりに、夕飯の支度に戻った。


 こんな話を突然に打ち明けられて、それをすぐに飲み込める者が、果たしているだろうか。

 雪梅は、喉になにか詰まったような顔のまま押し黙っていた。

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