第27話 窓の話

 動物というものは何か動いているものがあると、そちらについ目が行ってしまうものだ。

 ハインリヒも人間という一つの動物である以上、その習性に抗えなかった。


 その日は冬の大寒波が来ていて、ストーブに火を入れ続けないとやっていけないほどだった。

 薪をストーブにくべているのに疲れ、窓際の椅子にハインリヒはどっかと座った。

 窓は結露して曇っている。

 だが、なにかがサッと這いずっていったような気がした。

 ひどく気になってハインリヒが窓へ近寄ると、外でなにかが飛び回っている。

 鳥か何かにしては飛び方が下手なので訝しみつつ窓を開けると、黒い凧のような平べったいものが揺らいでいた。

 それは風にもてあそばれるがままになっているように見えたが、だんだんと振り子のような動きをしていることに気がついた。

 あちらの建物に近づいてはこちらへ戻り、こちらへ寄ってはあちらへ離れ、という規則正しい動きだ。

 ただ黒い凧のようななにかの正体がわかったわけではない。

 なにかろくでもないものに違いない、と思いハインリヒは窓を閉めた。

 首を傾げつつ椅子に座ると、窓の外ではまだ振り子のような動きが続いている。

 不快な動きではないし、窓は閉めてあるから、見ているだけならきっと害はないだろう、と思って黒いなにかをハインリヒが見つめていると、上で妙な音がした。


 引きずる音だ。

 それもかなり重たいものを引きずっている。

 ハインリヒは一体何事かとおののいた。

 この部屋より上には屋根裏部屋があるが、そこに今誰かが住んでいる記憶はない。

 引越しであれば律儀な家主が一週間前に告げているはずだ。

 では一体なんなのか。

 ハインリヒは火かき棒を手にして、屋根裏部屋を見に行くことにした。

 

 踊り場に出ると冷え切った空気が待ち構えていた。

 身震いをしつつ、ハインリヒは階段を上った。

 上るたびに階段は小さく軋んだ。

 屋根裏部屋のドアの前まではそう遠くないのだが、体感的に三階分上ったように感じられた。

 ドアは青いペンキで塗られている。

 安物のペンキだ。

 ドアは鎖で施錠されておらず、そしてハインリヒが見るかぎり備え付けられた鍵もかかっていないようだった。

 ドアノブに手をかける。

 気持ちとは関わりなく、ひどく軽い感触でドアが開いた。


 屋根裏は暗かった。

 ランプを持ってこなかったのをハインリヒは悔やむ。

 しかし、どうあれあれほど重たげな音を立ててなにかを引きずっていた相手である。

 そう簡単に逃げ出してはいないだろう。

 ハインリヒが考えていると、屋根裏部屋の奥からまた件の音がする。

 しかもこちらへ近づいている。

 ず、ず、ず……。

 少しずつだがかなり早いペースで近寄ってきている。

 あれほど重たげな音にもかかわらず、こうも速く動いてくるとは?

 ハインリヒは火かき棒を構えた。

 ず、ず、ず……。

 近寄ってくる音はしかし、急に消えた。

 しばらくの間、ハインリヒは右手で火かき棒を構え、左手にはドアノブを握ったまま、じっと立っていた。

 音の主がなんなのかは分からなかったが、どうも消え失せてしまったらしい。

 大きくため息をついて、ハインリヒは自室に戻ることにした。

 ゆっくりと屋根裏部屋のドアを閉め、半身にして警戒しつつ階段をゆっくりと下りていく。


 ようやく自室に戻ると、ハインリヒはうめいた。

 窓に黒い影が張り付いていた。

 あの振り子運動をしていた黒い凧だ。

 屋根裏の音に気を取られ、すっかり忘れてしまっていたあの黒い凧だ。

 ハインリヒは叫び声を上げたかった。

 そうできなかったのは、あまりにも驚きすぎて喉が固まってしまったからである。

 黒い凧は窓をすべて覆い尽くし、黒一色にしていた。

 あれが動くとどうなるのか?

 ハインリヒは考えたくはないが様々な悪い予感を浮かべた。

 なにかしなくては。

 しかし一体何を?

 手段を様々に考えるうちに、黒い凧は急に飛び去っていった。


 以来、ハインリヒの住む部屋ではカーテンが閉められたままになっている。

 特にこれといった害はなかったものの、黒い凧と屋根裏の音は、きっと次に会ったときは彼を容赦なく叩きのめすだろう。

 それを防ぐには、二度と黒い凧を見てはならないのだ。

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語り部はガムのように 木倉兵馬 @KikuraHyouma

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