第三十四話 発覚

 結局一睡もできなかった真帆が身を起こすと、体も頭も重かった。


 武雄はうまくやっただろうかとぼんやり思っていると、朝食の時間が訪れて給仕の鮫人が現れた。


「おはようございます、真帆様。大変なんですよ、凪さんの行方がわからなくなったそうで……」


 開口一番、彼女は張りつめた声で言った。


「えっ、そ、そうなの!?」


 我ながら下手な演技だと思ったが、給仕の鮫人に疑うそぶりは見られない。


「はい……今朝も厨房で手伝いをしてくれる予定だったのに、時間になっても現れないので、凪さんととりわけ仲の良い料理人が部屋に様子を見に行ったら、影もかたちもなかったそうで……」


 彼女のことばのひとつひとつが真帆の胸に突き刺さり、昨夜の場面の数々が脳裏を駆けめぐる。


「おまけに、北門では門番たちが倒れていて、狼人の護衛のひとりも行方がわからなくなっているそうなんです。ですから、狼人国の王様が陸も捜させてくださっているのですが……」


「えっ……!」


 今度は演技ではなく驚愕した。武雄も行方知れずになっている――?


 真帆の計画では、武雄は狼人の国の近くの洞窟に凪を隠し、夜明けまでには龍宮に戻ってくることになっていた。門番たちが倒れていれば、誰かが凪をさらったのではないか、その誰かとは狼人なのではないかという疑惑は生まれるだろうが、他国のひとびとが相手では厳しい取り調べはできまい。武雄には、狼人の国に帰ったら洞窟から凪を連れ帰り、凪が狼人の国の生活に慣れ、武雄を憎からず思うようになったら、龍宮に連絡してもらうつもりだった。


 自分でも杜撰ずさんな計画だとわかってはいたが、二日という時間と制約の多い状況ではこれが限界だったのだ。


 それなのに武雄もいないということは、予期せぬ事態が起こったということにほかならない。


 何があったの? 二人とも怪我をしたとか……。それともまさか……。


 二番目に悪い事態と最悪の事態を想像してしまい、顔から血の気が引いた。後悔しないなんて思ってはいなかったが、これほど後悔するとも思ってはいなかった。


 あたしは凪さんの体を傷つけたり、死なせたりしたかったわけじゃない。


 ううん……いまさら何を言っても言い訳にしかならないわ。だって、あたしは凪さんの心は傷つけようとしていたんだもの。体を傷つけるより心を傷つけるほうが罪が軽いなんて、どうしていえるの?


 言い訳を並べ立てているひまがあったら、いま自分にできること、いま自分がすべきことをしたほうがよい。そのためにどんな罰を受けることになっても――。


「ご、ごめんなさい。朝ごはんは要らないわ。あたし、陛下にお話ししなくちゃいけないことがあるの。朝食会は予定どおりおこなわれてるの?」


 真帆が口早に言うと、


「は、はい……。あの、でも、大丈夫ですか? お顔の色が……」


 給仕の鮫人は怪訝そうに、かつ心配そうに言った。


「大丈夫よ、ありがとう」


 真帆は無理やり口角を上げて立ち上がり、宴会場へと急いだ。


     ***


 いますぐに龍宮を出て鮫の姿になり、自分の体と鰭で凪を捜せたら――。


 もどかしく居たたまれない思いで広海が宴会場を出ると、


「陛下!」


 下のほうで真帆の声がした。目を落とせば、廊下の端で真帆が正座して三つ指を突いている。驚いたものの、凪の行方にまつわる話があるのだと直感した。


「申し訳ございません、少々彼女と……」


 広海が真帆を目で指し、狼人の王に頭を下げると、


「よしてください、元凶はわたくしの護衛なのですから。差し支えなければ、後程お話をお聞かせください」


 狼人の王は模範的なおじぎをして、先に歩き出してくれた。


「ここでは話しづらいことかい?」


 広海が真帆に向き直って尋ねると、真帆はこくりとうなずく。


 逸る気持ちを抑えて真帆を応接間へ連れていき、ぴったりとふすまを閉めた。広海に続いて真帆が腰を下ろすやいなや、


「お願いだ、何か知っているなら話してくれ」


 広海は身を乗り出して懇願する。


「あ、あの……」


 口ごもっていた真帆の金緑色の目から、やがてぽろぽろとしずくがこぼれ落ちた。尖りぎみの唇からは、「ごめんなさい……ごめんなさい……」という声と嗚咽が漏れる。


 こんなときながら広海は仰天した。ごく幼いころを除いて、真帆の涙なんて見たことがない。


「え、えーと……」


 女性に泣かれるのが大の苦手な広海がおろおろしているうちに、真帆は自力で泣きやんで、突然がばりとひれ伏した。


「わっ!」


 真帆が自分にひれ伏すのを見るのも久しぶりだったので、広海は再び仰天してしまう。


「ごめんなさい……! 全部あたしが悪いんです。あたしが武雄さんをそそのかして凪さんを攫わせたんです。三日前の晩餐会で、武雄さんが凪さんに一目惚れしたのに気づいたから……」


「おまえが武雄をそそのかした……?」


 はじめはことばが単なる音の連なりとしか思えず、数秒経ってようやく意味のあることばとしてとらえることができた。


「どうして……」


 言うやいなや、真帆の肩をつかんで揺さぶっていた。頭のなかはぐちゃぐちゃに掻き回されているようで、全身の血は怒りで沸騰しそうだ。


「どうしてそんなことを……!? おまえはあんなに熱心に凪の治療をしていたじゃないか!」


「どうして、って……」


 再び真帆の目がうるみ、広海ははっとして手を離した。右手で左の二の腕をつかみ、痕がつきそうなほどきつく握りしめる。


「本当に、鈍感なんですから……。あたし……凪さんに嫉妬してたんですよ……」


 続くことばに、弱々しく震える声に、さすがの広海も真帆の言わんとすることを察した。


「その……まさか、おまえは……私のことを……?」


 それでも確信は持てずに確認してしまう。


「そうですよ……! 医者見習いだったころから、ずっとお慕いしてたんですから……。陛下のお優しさも穏やかさもおっちょこちょいなところも本とお酒に目がないところも全部、大好きだったんですから……」


 真帆は捨て鉢な口調で言って鼻をすすった。


「そう……だったのか……」


 広海の怒りはすっかり雲散霧消していた。代わりにこみ上げてきたのは戸惑いと、どうして気づいてやれなかったのかという自責の念だ。自分が鈍感だったばかりに真帆には辛い思いを、凪には恐ろしい思いをさせてしまった――。


 だが、


「陛下!」


 真帆の凛とした声で我に返り、


「……すまない。そしてずっと……すまなかった」


 うなだれるように頭を下げた。


「……陛下が謝られることなんてありません。あたしは陛下の鈍感さも好きだったんですから」


 少しはいつもの調子を取り戻したらしく、真帆はぷいと顔をそむける。


「それより早く凪さんを捜さないと……! あたしの計画では、武雄さんに凪さんを、狼人の国の近くの洞窟に隠してもらうことになっていました。そこまでの道のりで何かあったんだと思います」


 そこまでの道のりで何かあった――。


 そのことばに、釣り上げられた魚のように心臓が暴れ出した。「何か」とは何なのか、漠然と想像するだけで、世界が色を失って崩れ落ちていくような気がする。


「いますぐ峻太郎しゆんたろうどのに話してくる……!」


 峻太郎――狼人の国の王であれば、きっとその洞窟の場所も知っているだろう。広海は立ち上がって身をひるがえし、弾丸のように廊下に飛び出した。これほど焦燥に駆られたのも必死になったのも生まれて初めてだったが、だからこそそのことを自覚してはいなかった。

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