第二十九話 晩餐会の予定

「ねぇ、凪ちゃん、知ってる?」


 広海の訪問から一週間ほどのち、厨房で沙織が声をかけてきた。気を遣ってはいるが期待と好奇心を抑えきれない、という顔だ。


 水際が沙織を軽く睨んだが、


「もちろん、凪ちゃんがそれどころじゃないってことはわかってる……。でも……ううん、だからこそ、気晴らしになるようなことが必要なんじゃないかって思うの」


 沙織は口早に、かつ真剣に言った。その様子とことばに凪の心も動き、


「ええと……何があるんですか?」


 まんざら社交辞令でもなく訊き返す。沙織の顔がぱっと輝いた。


「あのね、来週、狼人の国の王様を招いての晩餐会があるの。狼人の国では王様が替わったばかりだから……」


「えっ……じゃあ、厨房は大忙しになるんじゃありませんか?」


「うん……でも、心配は要らないよ。手助けのひとが来てくれるし、陛下も航さんも、あたしたちに無理を強いるような方じゃないもの」


 そう言われても心配してしまうのが凪のさがだったが、ただ忙しいだけなら沙織はあんなはしゃいだ顔をしたり、晩餐会を「気晴らしになるようなこと」と言ったりもしないだろう。


 凪が目顔で先をうながすと、沙織は可愛らしくて思わせぶりな咳払いをした。


「でね……狼人の国の新しい王様は、美丈夫だって評判なの!」


「そ、そうなんですね……」


 表には出すまいとしたものの、落胆したのは否めなかった。いまの凪は、広海以外のどんな男性にも興味を惹かれるとは思えない。


「もう……凪さん、困っているわよ」


 水際が半ばあきれたように、半ばたしなめるように言った。勉強の甲斐あって少しは鮫人語が聞き取れるようになっていた凪は、


「い、いえ、困ってなんか……」


 あわてて笑ってみせる。


「だいたい、狼人の国の新王は沙織の何倍も年上……」


 言いかけて水際は口をつぐみ、


「……ごめんなさい」


 凪に向かって小さく――だが丁重に頭を下げた。


「い、いえ……」


 広海の本当の歳と凪の歳は、もっと離れていることを気にしてくれたのだろう。今度は、凪はただもじもじするばかりだった。


 でも、忙しいこと自体は悪いことじゃないのかもしれない。一度ほかのことで頭がいっぱいになったあとは、かえって自分の気持ちがよくわかるようになるかもしれないし……。


 そう思うとたしかに、胸を覆っていた雲に細い切れ目ができ、光が差しこんでくるような気がした。

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