第二十二話 海案内(三)

 本屋を出ると、


「そろそろ昼食にしようか。何が食べたい?」


 広海は右から左へと視線を半周させながら尋ねた。


「あっ、実は……」


 風呂敷包みを持ち上げたところでことばに詰まる。


 もし広海様に、召し上がりたいものやお入りになりたいお店があったらどうしよう……。


 いくら航に勧められたからといって、自分はあまりにも差し出がましい真似をしてしまったのではないだろうか。


 だが幸いにも、


「もしかして……それはお弁当?」


 広海は風呂敷包みを目で指して尋ねてくれた。


「は、はい……でも……」


 凪が不安を口にするまえに、


「ありがとう、とても嬉しいよ!」


 広海はぱっと顔を輝かせた。


「一度、君がひとりで最初から最後まで作ってくれたものを食べてみたいと思っていたんだ……あっ、一度といったら語弊があるな」


「ですが、お口に合わないかもしれません……」


 別の不安に駆られた凪だったが、


「大丈夫。私は何でもおいしく食べられるたちなんだ」


 広海は自分の胸を叩いた。


「それは……」


 安心してよいのか悪いのかわからないせりふだ。


「そうだ、お弁当を食べるなら、ぴったりの場所があるよ……公園さ」


「こうえん……?」


「ええと……誰でも入れる庭のような場所だよ。百聞は一見に如かず、さっそく行ってみよう」


 半里ほど歩いたところで、緑豊かな空間が見えてきた。たしかに庭に似ているが並外れて大きく、植えられている木の種類も龍宮や銛田家とは異なるようだ。


 なかに入ると、大きな人造の池や、その中央で水を噴き出す塔、海の生き物の銅像、海の生き物のかたちに刈りこまれた木などがあり、本の挿絵でしか見たことのない華麗な花が咲き誇っていた。


「龍宮の庭は和風だけれど、ここの公園は洋風なんだ。洋風の公園は、この国にはまだここだけなんだよ」


 広海が教えてくれる。


 二人は、水を噴き出す塔の前の長椅子に腰を下ろした。改めて、海のなかに池があるというふしぎさに思いを馳せる。長椅子も洋風で、手すりと脚には曲線的な装飾がほどこされており、背もたれと座面は数枚の細長い板を並べて作られていた。


 凪は震える手で弁当箱のふたを開け、大きいほうを広海に渡した。


「うわぁ……とても美味しそうだよ」


 広海は褒めてくれたが、まだまだ油断はできない。


 広海は南瓜のそぼろ煮を口に運び、凪もあとに続いた。味見をしたときは悪くないと思ったが、いまは全く味がわからない。


「うん……美味しそうなだけじゃない、本当に美味しい!」


 広海が満面の笑みを浮かべてくれたとき、ようやく緊張が解けた。南瓜のそぼろ煮の味も口内に広がる。悪くないと思ったのは間違いではなかったようだ。


 広海は次々と料理を口に運び、凪が半分も食べないうちに平らげてしまった。そこで初めて二人の食べる速さの差に気づいたらしく、驚き顔で自分と凪の弁当箱を見比べる。


「す、すまない。あまり美味しかったものだから……」


「そんな……謝らないでください。いつもわたしにそう言ってくださっているではありませんか」


「そうだったね。ひとに言ったことを自分では守らないなんて、為政者失格だな。――ああ、君はゆっくり食べておくれ」


 広海はそう言ってくれたが、


「は、はい……!」


 答えたそばから、凪は茸の牛酪バター炒めを口に入れて大急ぎで咀嚼しはじめてしまった。


「え、ええと……」


 広海は鼻の頭を掻き、


「よかったら、私は本を読んでいるよ」


 紙袋から先程買った本を取り出した。


 ――たしかにそのほうがよさそうだ。凪は赤くなって茸を飲みこんだ。


 広海は愛情に満ちた手つきで本を開き、ページを繰りはじめた。お互い無言でちがうことをしているのに、ふしぎと気まずくない――それどころか心地好い空気が流れている。


 凪の弁当箱も空になり、少し公園を散策したところで、時計塔の鐘が一時を告げた。門に戻ると、青鮫人たちはもう戻ってきていた。


「君たちはどこでお昼を食べたの?」


 広海の問いに、


「洋食屋の金波亭きんぱていですよ。私はオムライスで」


「私はビーフシチュウです」


 青鮫人たちは阿吽あうんの呼吸で答えた。どちらも凪が名前を聞いたこともない料理だ。


「おお、奮発したねぇ」


「でも、陛下はもっと良いものを召し上がったのでしょう」


 先に答えた鮫人が如才ない笑みを、


「えっ、そ、そうだけれど……どうしてわかったんだい?」


「凪さん、風呂敷包みを持ってたじゃないですか。誰にでもわかりますって」


 もうひとりの鮫人が意味ありげな笑みを浮かべた。凪は恥ずかしいのと嬉しいのとおかしいのとで、意味もなく風呂敷包みを持ち替える。


「う、うーん、私はその『誰にでも』に入れないくらい鈍感なのか……」


 広海は顔をしかめて腕を組んだ。


「そんな、広海様は鈍感なんかじゃ……!」


 凪はあわてて否定したが、


「まぁ、陛下は……」


「少なくとも、こういうことについては、敏感とはいいがたいですね」


 青鮫人たちは目を見交わして肩をすくめた。またしても阿吽の呼吸で。

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