第二十一話 海案内(二)
街には、食料品を売る店、衣料品を売る店、宝飾品を売る店、文房具を売る店などが並んでいた。龍宮の談話室のように、店内で食べ物や飲み物を楽しめるところもあるようだ。街の中央にはひときわ大きな石壁の建物がそびえており、その上に時計塔が建っていた。
「気になるお店があったら教えてほしい」
広海はそう言ってくれたが、どの店も異国の本の挿絵のようで、凪はますます気おくれするばかりだ。
街の中央の大きな建物は、人間の世界にもある「百貨店」というものだそうで、その名のとおり、ありとあらゆるものを売っていた。まるで街のなかにもうひとつ街があるようだ。
ここでも広海は欲しいものがあったら教えてほしいと言ってくれたが、売り物はどれも自分などにはふさわしくないものに思われ、欲しいという感情自体が湧いてこない。
だが、百貨店を出て一町ほど歩いたとき、凪の目はある店に吸い寄せられた。――本を売っている店だ。
「あ、あの……!」
思わず広海の着物の袖を引くと、広海は
「本屋だね。――よし、入ろう」
店内には、書棚はもちろん平たい台もあり、その上にも多くの本が積まれていた。ひとつの階の広さは龍宮の図書室の三分の一程度のようだが、三階建てなので全体の広さは同じくらいかもしれない。
大勢に読まれてきた図書室の本も趣があるが、真新しい本もまた胸踊るものだ。匂いも図書室とは違う――どちらも好ましい匂いであることに変わりはないが。
胸躍らせていたのは広海も同様らしく、あっという間に十冊以上の本を籠に入れていた。
「お持ちします……! わたし、見た目よりは力がありますから」
凪が申し出ても、
「大丈夫、このくらい朝飯前……とまではいかないかもしれないけれど、昼飯前くらいではあるんだから」
おどけた言い方で断られてしまう。
龍宮に来て間もないころ、広海が本を落として足にぶつけたことを思い出し、凪はひやひやしながら見守っていた。その目に一冊の本が飛びこんでくる。異国の城と満月の描かれた表紙の本だ。
城には尖った塔がいくつもあり、そのひとつの露台に白いドレスをまとった金髪の女性がたたずんでいた。こんな不気味で物悲しい本の表紙を見たのは初めてだ。
広海は凪の視線を追って、
「それは幽霊の話だよ。といっても子ども向けの本だから、極端に怖いわけじゃないと思うけれど……」
半ば心配そうな、半ば意外そうな口調で言った。
凪も幽霊が何かということは知っている。銛田家にいたとき、使用人の少女たちが幽霊話をしているのを耳にしたことがあるからだ。
だが、幽霊を怖いと思ったことはなかった。当時の凪にとって怖いものは暴力だけだったのだ。だいたい、その話の幽霊も、暴力や病や過労で命を落とした使用人が化けて出るというものだったのである。
と、広海が本を手に取って籠に入れた。
「広海様もその本にご興味がおありなのですか?」
凪も少し意外に思って尋ねると、広海は微苦笑する。
「どんな本にも興味はあるけれど、これは君に贈ろうと思って籠に入れたんだよ」
「えっ……! そんな、だめです……!」
「この国に、王が誰かに本を贈ってはだめだなんていう法律はないよ。もともと今日は君に何か贈り物をするつもりだったんだ……いや、贈り物をしたかったんだ」
真摯なまなざしが、頑なに拒んでいた心を溶かしていく。
「で、では、おことばに甘えて……」
うつむくようにうなずくと、広海は少年のような笑顔を見せ、勘定場に籠を持っていった。戻ってくると、しゃれた意匠の紙で丁寧に包装された本を渡してくれる。
「ありがとうございます……!」
抱きしめると喜びがこみ上げてきた。だって、生まれて初めての自分の本なのだ。それも広海にもらった――。包装紙さえ宝物に思われ、慎重に剥がして大切にしまっておこうと思う。
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