中学校前で集合

@Saku-ren1122

中学校前で集合

 いつもの電車で最寄りに着いて、いつもの階段を降りて、いつもなら歩かない時間に、いつもと違う道に進んだ。スマホを見ると十一時三十八分、重松から「今から行く」の文字。あいつに……わざわざこんな昼間に、「今から会えないか」なんて聞くほど会いたいわけじゃなかった。それでも今は誰かに会いたい。何も触れてこない誰かに。

 いつもの中学校に着いて、ガードレールに寄りかかる。少し肌寒くてポケットに手を突っ込むとくしゃくしゃに丸まった紙が入っている。もう意味のないただの紙、いやゴミ。俺はさらにそれを強く握りしめた。

時間を確認しようと中学校のほうを見るとフェンスに見慣れない張り紙がある。目を凝らして見ると、俺はその紙に書かれている文字を理解するのに時間がかかった。

「え……」

俺は何度もその文を読み返す。理解できない。いやそんなに難しいことは言ってないはずだけど、そうか、まじか。

「よっ」

「おっ……重松」

突然の声に驚き、思わず先ほどとは反対に大きな声が出る。振り向けば両手をあげる重松。なんだそのポーズ。

「久しぶり」

「お、おう……久しぶり」

張り紙に意識を取られたまま重松のほうを向く。そして曖昧な返事をする。

「い、いつぶりだっけ?」俺は適当な話題で先ほどの情報を遮断しようとする。

「えー、受験生になってから会ってなかったからー、ほぼ一年ぶり?」

「あぁ……」

受験ぶり、か。受験、頭が一瞬重くなる。

「でさ、これ」

重松はそんな俺に気づかないまま、自信ありげに黄色い袋を俺の前に出す。

「なにこれ」

「東京バナナ」

「は?」

「お土産に」

「は?」

「ほら、お前埼玉の学校じゃん。俺東京だからさ、お土産」

こいつ馬鹿にしてるのか。それともこいつ自体がバカなのか。東京の高校に行くことを旅行だと思ってるバカなのか。

「いらねぇよ」

「なんでよ、もらえよ」

重松は不服そうに口をとがらせながら、東京バナナが入っているであろう黄色い袋を俺に渡そうとする。

「埼玉でも買えるし」

「買えねぇよ」

決めつけんな。東京バナナなんて下手したら千葉とかでも買えるぞ。俺は誰でもいいから会いたいと思ったことが間違っていたと思った。

「もう帰ろうかな」

「なんでだよ、呼んだのそっちじゃん」

「もういいよ」

東京バナナの黄色が俺を馬鹿にしてくる感じがする。

「なんだっけ、ほら合唱部、引退したんでしょ」

重松はなんとか話を続けようとしてくる。帰りたい俺も無理やり呼んでしまったので帰るに帰れない。

「まぁ」

「よかったな、毎日ダンベル持って歌ってな、辛いって言ってたもんな」

「言ってねぇよ」

合唱部が運動部並みにつらいと言っただけで、筋トレしながら歌っているとは言ってない。

「あ、でも卒業式で歌うんだろ、なんだっけ……キャプテン翼?」

「翼をくださいな」

「ダンベル持ってな」

「だから持たないんだって」

「あれ……卒業式は」

話題の雲行きが怪しくなる。卒業式、俺が今一番、いや二番目に触れてほしくない言葉。まずい。

「卒業式はさ」

俺は背中が冷たくなるのを感じた。なんて言おう、なんて言おう。

「歌ったの?」

きっと聞かれるから。聞かれないわけなかったんだ。

「てか、制服だしさ」

俺が、

「卒業式今日じゃないの」

卒業式をサボった理由を。


卒業式は春、そんなイメージは嘘だ。卒業式は冬の寒さが残る冷たいもの。卒業おめでとうと書かれた看板の前に立つ俺はそう思った。

 朝から行く気がしなかった。少し起きるのが遅い俺に親は事情を知ってか何も言わなかった。

「いってきます」

このままいっても卒業式の入場には間に合わないだろう。それでも形だけはと思って重い足取りで家を出たのが三十分前。俺はまだ学校の門を通れずにいる。形だけは、卒業証書をもらうだけは、そう思って門を通ろうと思うが一歩が重い。体育館に目をやると、本当に卒業式をやっているのかと言うほど静まり返っている。このまま静かなまま、俺に何も言及しないまま終わってくれればいいのに。きっとそうはいかないんだろうと思って、ため息が出る。ポケットに手を入れると丸まったゴミに手が当たる。戻ろう、帰ろう、誰でもいいから何も知らないやつに、会いたい。何も触れてこない誰かに。

 

 俺は何も言えず重松から目をそらす。

「あれあれあれ、西村さん、もしかしてもしかして、サボったんですか、卒業式」

「そう……ですね、黙秘ですかね」

俺をおちょくるいつも通りの重松に安堵し、冗談で返す。重松はニヤニヤしながら続けた。

「えー、どうすんのお前、卒業証書もらえないから卒業できないんじゃね?」

「できるわ」

「お前さー合唱部の十八番なんだから、サボっちゃダメだろ」

「十八番じゃないわ」

なんだこいつ。

「もーなんでサボっちゃったんだよ……」

重松は俺の背後を見て語気を弱くする。俺は眉をひそめ、重松の目線をたどって振り返る。

「なんて書いてあんの、あれ」

重松は中学校のフェンスに貼ってある紙を指して言った。俺は自分でも内容を確かめるように言った。

「内山中学校、合併いたします。それに伴って取り壊し予定です」

「え、ええええええ!」

重松は大きな声を出して俺の顔を見た。俺は思わず重松の背中を叩く。

「うるせぇよ」

「うるさいってお前、え、どうすんの俺たちの中学校無くなっちゃうってこと!」

重松はすごい剣幕で俺の肩をつかんで揺らす。東京バナナが俺にあたって痛い。

「いや、まぁ」重松の手をどける。

「なんでそんな冷静なんだよ」重松は睨むようにして俺に小突く。

「別に、さっき俺も驚いたよ」

「あ、もしかしてあれか、これが理由で卒業式サボっちゃったのか」

こいつどんだけ中学校大事にしてんだよ。

「そんなことでサボらねぇよ」

「そんなことってなんだよ、俺らの大事な母校だよ?お母さんだよ?」

「母校ってそういう意味じゃねぇよ」

「まじかー!すげぇ悲しいんだけど」

こいつこんな中学校に思い入れあったのか。特に覚えてないけど、お前みたいなやつは早く中学校、卒業したいとか言ってるだろ。

「俺の書いたトイレの相合傘とか、音楽室の相合傘とか、職員室の壁に書いた相合傘、全部なくなっちゃうってことだろ!」

なんでこいつどんどん見つかるリスク上げてんだよ。スリル楽しむな。

「別にいいだろ」

「よくねぇよ、おれと優ちゃんの運命はどうなんだよ」

優ちゃん、山崎優か。俺と重松が二年生のころ同じクラスだった子だ。重松が山崎と同じ委員会に入った時、好きになったらしい。山崎と同じクラスだったときは毎日、妄想のろけ話を聞かされて大変だった。本人は気持ちがバレてないと思っているが、山崎に「月が綺麗ですね」とバレバレなメールを送ってからは山崎から距離を取られている。それに加え重松は気づいていないが、

「山崎なら彼氏いるぞ」

「え、まじ?」

「うん」

「今言うなよ」

「なんで」

「逆になんで今言うんだよ。悲しさ二倍だわ」

重松は東京バナナで俺を叩く。

「すまん」

「でも、そっかーもう三年も経つもんなー彼氏ぐらいできるよな、じゃあなんで俺たちはできないんだよ‼」

重松はもう一度東京バナナで俺のことを叩く。

「できるだろ、いつか」

「そうだよなーもう大学生だもんなー」



「西村?」

「え、ああ、うん、な」

俺はまた背中に冷や汗をかく感覚を抱いた。

「え、西村?どした?」

「いや別に……」

触れるな。

「なんだよ、大丈夫?」

「大丈夫」

俺は別に気にしてないから。

「大丈夫じゃないだろ、めっちゃ汗かいてるしさ」

「大丈夫だって‼」

俺は今まで出したことのない声を、今、出した。俺は慌てて重松を見た。

「ごめん」

そしてすぐに目をそらした。


沈黙。気まずくて何も言えないでいると重松のほうからガサガサと音がした。バレないように目をやると重松は東京バナナの包装を開けようとしている。いや、開けるのに手こずってる。テープで止められているところを爪ではがそうとしているがうまくいっていない。あ、少しはがれた。でも斜めにはがれて全然はがせてない。あ、包装の重なってるところに手を入れてびりびりに破き始めた。こいつのこういうところが嫌いなんだよ。

「ん」

しばらくして重松のほうを見れば東京バナナを一つ出して俺に渡そうとしている。今じゃねぇよ。満面の笑みだ。

「食えよ」

「食わねえよ」

「バナナ食えよ」

「東京バナナな」

「東京の奴は東京ってわざわざ言わないんだよ」

重松がニヤッとして言う。それを見て俺も思わず口角が上がる。こいつのこういうところが好きだ。気まずい雰囲気でも冗談を言ってくれるところ。中学の時も喧嘩したときはいつもこいつから、謝るわけでもなく冗談を言い始めた。その時は決まってこの顔だ。俺もそれにはいつも助けられていた。笑うまでいかない、ニヤニヤしてしまうこいつと俺のいつもの雰囲気。それが俺は嫌いじゃない。


 俺は上がった口角を引き締める。


 こいつになら言えるかもしれない。


 俺の黒い、重い、思い。


 ポケットに手を入れる。紙に手を触れる。


「俺さ、大学落ちたんだよ」


 二度目の受験だった。高校受験、大学受験。これで二回目。高校受験はなんとなく行ける高校に行って苦労なんてしなかった。たまたま大学の付属校に行った。それでそのままその大学に行くんだと思っていた。そうやって毎日普通の日々を過ごしていくうちに、それでいいのかと俺は思うようになった。苦労せず高校に入って、苦労せずに大学に入るのか。俺の人生このままこんな感じで進んでいくんじゃないかって。

俺は大学受験を決意した。

三年の九月。付属生が大学に決まって有頂天な中、俺はクラスの中でまだ机と向き合っていた。十月、十一月、十二月、一月。周りは遊びに行ったり、バイトしたり、免許を取ったり。俺はまだ机と向き合う。辛くはないわけじゃない。でもあいつらよりも苦労して、いい大学に行って、全部全部見返してやるなんて一人で思っていた。

そして、二月。大学に落ちた。受かったのは付属大学よりも低いランクの大学。俺の苦労は、努力は、悔しさは、全部無駄だったんだ。一人、机に向き合う。言えない。誰にも言えない。言えるわけない。わざわざ受験して受かったのは付属大学よりも低いランク。言えない。何で受験したの。そんな言葉が聞こえる。俺だって、俺だって、そんなの。


「頑張ったな」


聞こえた声に顔をあげる。目の前には東京バナナを差し出す重松。もうしまえよ、それ。

「お疲れ様!大学受験!」

重松は東京バナナを持ったまま手を叩く。ちげぇよ、そんなテンションじゃないだろ。落ちてんだよ、こっちは。

「とりあえず食えよ!な?」

「なんで食わせようとすんだよ」

「俺バナナ苦手なんだよ」

「なら買ってくんなよ」

なんだこいつ。大学落ちたのに。こんなに、いや……俺は肩の力が抜けるのを感じた。俺、こんなに力が入っていたんだ。ずっと、誰にも言えないって思って。

「でもさ、お前も大学落ちたし、俺も失恋したし、中学校もなくなるし、悲しさ三倍だな」

「お前の失恋と一緒にすんな」

「なんでだよ!」

この雰囲気だ。中学生の時みたいな。何も俺にこれ以上言及してこない。ただ馬鹿言うだけのこの雰囲気。俺はいつもこの雰囲気に助けられていた。俺は心が、頭が、軽くなるのを感じた。

「あ!」

突然重松が大きな声を出す。

「なに」

「俺らの集合場所ここじゃなくなるなって」

「なんで」

「だって中学校無くなっちゃうじゃん」

「元中学校前でいいだろ」

「いやだよ」

なんでだよ。どんだけ中学校に思い入れあるんだよ。

「じゃあ駅とかでいいんじゃない」

「いやだ、お前のほうが近いじゃん!」

「じゃあ重松の家でいいよ」

「は?でいいよってなんだよ、俺んち舐めんなよ」

「別にそういう意味じゃねぇよ」

「俺の家がいいなにしろよ」

「気持ち悪いだろ」

重松は首をかしげる。なんでわかんないんだよ。俺と重松は次の集合場所を考える。二人にちょうどいい距離にある。そんな場所あるかな。俺はふと中学校を見る。そうか、中学校なくなるのか。俺たちの思い出、なんてたいそれたものじゃない何かが詰まった中学校が。今更この中学校に思い入れがあったことに気づく。そうだ。ここは俺たちの中では中学校前だし、きっとこいつがいれば俺はあの時に戻れるから。

「やっぱここで」

「元中学校前?」

「いや、中学校前でいいよ」

「なに?考えるのめんどくさくなったの?」

「ちゃんと考えたよ」

重松は口をへの字にし、少し考えたがすぐに「そうだな!」と言って笑った。同じことを考えたんだろう。多分。

「でもどうする?中学校無くなって保育園になってたら」

「どうもしないだろ」

「いや、それでさ、俺たち三十歳ぐらいになっても中学校前集合とか言ってさ、ここにいたら完全に不審者だよな!」

確かに。

「ていうか、俺たちそんな歳になってもここに集合してんのか」

「ほんと中一からなんも変わってないよなー」

「そうだな」

中学校の時計を見れば十三時。もうこんな時間か。一時間ぐらい話してたんだな。

「そろそろ帰る?」

「おう!俺まだお昼ご飯食べてないんだよねー」

「俺も」

重松は手に持っていた東京バナナをしまい、黄色い袋を俺に渡す。俺はしぶしぶそれを受け取る。

「家で食えよ!」

「ここで食わねぇよ」

「じゃあな!」

重松は思い切り走って遠くへ行く。

「また!中学校前で!集合な!」

重松は両手を振る。なんでわざわざ遠くで言うんだよ。近くで言ってから行けよ。

「じゃあな!」

俺も思い切り重松とは反対方向に走り、負けじと大きな声で言う。なにやってんだろ。口角が上がる。きっと重松もだろう。重松は最後に両手を思いっきり振り、歩き出す。俺も黄色い袋を持ったまま両手を振る。

そして、前を向いて歩き出す。ポケットに手を入れる。丸まったゴミ、いや紙、いや受験票に手が当たる。


俺は丸まった受験票を広げ、もう一度ポケットにしまった。



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