第2話


 私は齢を重ねても、懲りずにりんごを拒絶し続けていた。

 りんごが入っているかどうか分からないくせに、カレーももれなく拒絶していた。

 私と共に食事をする人は、あまりにりんごを避けるものだから、私がりんごアレルギーだと思い込んでいたらしい。

 ある時、アレルギーはないのだと伝えると、「前世でりんごに何されたの?」と言う言葉と共に、驚きや呆れなどが複雑に絡み合った表情を私にプレゼントしてくれた。そのプレゼントは、私に私の異常性を教えてくれる、とてもありがたいものだった。


 私は、りんごを避けるのは母が美味しく調理してくれないからで、それがある種のトラウマと化しているからだと考えていた。

 しかし、それにしても、どうしてここまで嫌うのか。もはや、りんごを嫌うことがライフワークと化してしまってはいないか。

 身体ばかりが大人になっていく。思考や嗜好はそのままに、身体ばかりが。いい加減、りんご嫌いに手を振るべきなのかもしれないと考え、りんごとお近づきになるべく、ある日私はケーキ屋にふらりと立ち寄りアップルパイを一切れ買った。このケーキ屋は「アップルパイがうまい」と評判で、普通は生クリームとイチゴで紅白めでたいみてくれのケーキが売れ筋だろう洋菓子店のくせに、店を出る人のほとんどはアップルパイの箱を手にしている。生洋菓子のあの見た目と味に勝るアップルパイならば、私のりんご嫌いに一石を投じてくれるかもしれないと考えたのだ。

 人前で食べるのはどうにも嫌だったので、そうっと検証用菓子を持ち帰った。


 ダイニングテーブルに箱を置き、ふうとひとつ大きく息をしてから、開けた。しばしにらみ合った後、行儀を気にせず、そのまま掴み上げた。左右上下、さまざまな方向からそれを見た。しっかりとりんごがそこにあることを確認し、口へ運んだ。

 煮つけられたりんごの、あの独特の食感。久しぶりのそれは、想像していたよりも苦痛をもたらすものではなかった。嘘偽りなく、心地いい食感だったと言えるものだった。サクッと切れるが、適度に柔らかく、高級なゼリー菓子を食べているような気がした。

 なぜあんなに嫌っていたのだろうかと、刹那思った。


 食べ進めていくうち、甘ったるい香りが鼻を駆けた。

 これだ、これのせいだ。そんな気がする。これが私のりんご嫌いを増強させたのだ。

 このアップルパイは問題ないが、しかし、これのせい。これが、犯人。

 犯人の名を、私は知っていた。犯人の名は――シナモンという。


 シナモンそれ自体はそれほどに嫌悪していないつもりだ。シナモンなんとかティーを飲んだとき、美味しくないと思ったことは確かだが、不味くないとも思っていた。評価としては、母の料理と大差ない。しかし、母のりんご料理とは明らかに異なる。シナモンがバカみたいに大量に入っていたら文句を言うが、そうではなくあくまでスパイスとして入れられているものであるのならば、喜ぶことはなかろうが、苦しむこともなく飲んだり食べたりすることができたのだ。おそらくは、シナモンとりんごが素人の手仕事によって融合させられた時に限って、私にとっての劇物と化すのだろう。


 大学に入り、サークルに加入後しばらくした頃。私に人生はじめての彼女ができた。

 彼女はサークル室でいつも「新商品のスイーツ買っちゃった」なんて言いながらむしゃむしゃと甘いものを食べていた。だから、よくよく観察する必要もなく甘いものが好きなのだと知っていた。

 しかし、皆で食事に行くとなると、皆と同じものを注文することが多く、担々麺やら、激辛鍋も笑顔でヒーヒー言いながら食べていた。だから、私は食事については甘みを求めない人で、デザートとして甘いものを楽しむ人だと思っていた。

 ある日のこと、彼女の家にはじめてお邪魔したとき、出てきた料理が全部甘くて驚いた。

「本当はね、辛いの苦手なんだ」

 彼女はそう告白したとき、とても苦い顔をしていた。

「みんなと違うものを頼んで、場の雰囲気を壊すのが嫌で、頑張ってた」

 舌がべたつきを感じるほどにしっかりと甘く味付けられた卵焼きを口に放り込んだとき、新しく発せられた苦い言葉が部屋を漂い始めた。

 私はなんと言葉を返せばいいのか分からずに、ただ彼女の話にうんうんと頷きながら、出された手料理を食べていた。全体的に甘いけれど、しかしそれにたいして嫌悪感はなかった。高級料理店で出てくるような味ではないし、そこら辺の弁当屋の味ともまた違う。まさにこれこそが家庭の味、と言えるような、あたたかい味がした。

「嫌いに、なった?」

 彼女は瞳を揺らしながら、私に問う。

「なんで嫌いになるの?」

 モゴモゴと口を動かしながら問い返すと、彼女の身体のどこか、いや、全身なのかもしれない――様々な部分から力がすぅっと抜けていっているように見えた。緊張からの安堵がもたらす、身体反応。

「あたしね、料理が下手だって言って、振られたことがあって」

 彼女は少し晴れやかな笑顔を浮かべながら、語りだした。



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