母と彼女とカレーライス

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話


 私は、母の料理があまり好きではなかった。

 けっして不味いわけではないけれど、おいしいわけでもない。

 食べられるけど、食べたいってわけでもない。そんな中途半端な、リアクションに困る料理が、毎日のダイニングを彩っていた。

 友人の家へ遊びに行くと、腕によりをかけた料理がどん、と出てきた。

 この世のものか、と言うのは大袈裟だろうが、私に衝撃を与える料理たちを食べれば食べるほど、母の料理が嫌いになった。

 もちろん、来客時に出すごちそうが毎日のご飯だとは思わない。けれど、このようなごちそうを作れる人がつくる毎日のご飯は、きっとおいしいものだと思う。

 おいしいご飯を作ってくれる母親のもとに生まれた人が、心底羨ましかった。


 母の料理の中でも特に、りんごが入ったものが苦手だった。

 さつまいもと一緒に甘く煮たやつを弁当箱の中にどさっと入れられた日には、午後のテンションはがた落ちだった。

 料理がたいして上手くないくせに、手が込んだお菓子を時々まれに作りたがって、それがアップルパイだったときはまた悲惨だった。

 カレーにすりおろしりんごを入れようと考えた人は誰だろう。誰だかわからない発案者を、私は呪った。

 誰もりんごを入れようと思いつかなければ、普通にカレーを食べられたんじゃないだろうか。

 母のカレーは、何かが違った。

 甘みであったり、香りであったり、とろみであったり。いろいろな要素が変だった。

 そんなカレーを食べていたら、いつの間にやらカレーが大嫌いになっていた。

 まだ幼い私がカレーに苦手意識を抱いてしまったのは、りんごと、母のせい。


 好きな食べ物は何ですか? と問われた時、カレーとこたえる子どもが多いのは、私の感覚で言えば、せいぜい小学校低学年までだ。

 それからは、カレーと双璧をなすハンバーグの勢いはそのままだが、パスタやらエビフライやら、食や旅の経験値が増えていくからだろうさまざまな回答が聞こえるようになる。こじゃれた名前の料理もランクインし始める。ガーリックシュリンプとか、ローストビーフとか、そういうオシャレ料理が。

 中学生やら高校生になれば、カレーは美味いもの、と言うよりも量をかっ食らえるものとして咀嚼されるようになり、あえて「好き」と思われるでもなく水のように口から喉、胃を流れ下る。

 この頃にはもう、「わあ、カレーだぁ。やったぁ」なんて声は聞こえてこない。もっとも、お年頃だから恥ずかしがっているだけなのかもしれないが。


 正直、嬉しいと思った。

 周りのカレー愛がしぼんでいくほど、カレーを嫌う自分が〈変わっている人〉ではなくなっていく気がしたからだ。



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