第4話
彼女はカレーを作るとき、市販のルーを使っていた。
彼女は私を気づかって、煮込んだ食材を別の鍋にとりわけ、甘口と中辛の二種類を作っていた。別に甘口だって構わないと何度か伝えたのだけれど、普段の料理が甘いのにカレーまで甘口を食べさせるのは申し訳ないと、辛さを分けるという面倒だろう作業を止めることはなかった。
彼女のカレーはトロリとしていて、おいしかった。母のカレーとは異なる味わいで、不味いとも思わず何となく口に運んでいた、よそのカレーに少し似ていた。
どうしてこうも違うのだろうか。母がカレーだと言い張って食卓に出していたあの料理は、実はカレーではない何か別の食べ物だったのだろうか。不思議に思い、ピリリと辛いカレーを食べながら、彼女に「母さんのカレーは何かが変だった。甘みとか、香りとか、とろみとか。なんでだと思う?」と訊いてみた。
彼女はうーん、と唸り、しばし閉口した。
「ルー使って作ってた、よね?」
問いに問いが返ってきた。
「分かんない」
「んー。分かんないけど、もしルーを使ってないんだったらありきたりな味にならないだろうから、何かが変、って感じるのかな、なんて思ったりはした。んー。でもやっぱり、ほら。食べてみないと分かんないよ」
「だよねぇ」
「食べてみないと、ね」
パチパチ、と瞬き。
実家へ行きたい、とでも言われている気がした。
いざ両親に紹介しようという時、私は「彼女にカレーを振る舞ってくれないか」と母にお願いをしてみた。しかし、幼少期、私が母のカレーを嫌いすぎたせいだろう。すっかりとカレー作りの自信を喪失していた母は、それを拒否した。代わりに、顔合わせをインドカレー屋でしようと言い出した。
個室のある和食屋ならまだしも、インドカレー屋とは。困惑したが、彼女がノリノリだったので、私だけが置いてきぼりを食らうようにして、とんとん拍子にことが進んでいった。
そう言えば、カレーに苦手意識を持っていたせいだろう、インドカレーを食べたことがなかった。
まあ、本場のカレーは美味いに違いないが、はてさて。なんとも嫌な予感のするエックスデーを、私は来るな来るなと念じながら迎えた。
シャバシャバとしたカレーは、美味かった。私からすればとっ散らかった香りをしているが、しかしそれぞれがうまく手を繋いでいた。誰かが主張しすぎるでもないくせに、誰もがきちんと主張をしていた。
甘みや香り、とろみといった要素を、私は変に気にしずぎていたのかもしれない。いや、母が作るとただとっ散らかったカレーになるから、気になってしまったのかもしれない。
「カレーを作る時、こだわりとかありますか?」
ラッシーを飲みながら、彼女が母に問う。
父はコーヒーを口に含んだ。苦い顔をした。
「私、カレーは作らないタイプで」
「それは……」
「この子から聞いているでしょうけど、私、カレー作るの下手くそなのよ」
視線をプロの、本場のカレーに浸しながら、母は語り出した。
「カレーって、子どもはみんな好きでしょ? 嫌いな子を探すのが難しいくらい。だからね、カレーは頑張って作ろうって思ってた。カレーに苦手な野菜を入れたら食べてくれるかな、とか、エキスだけでもって色々考えて。水分をトマト缶詰に変えたりとか、きのこをブレンダーでペーストにして入れてみたりとか。そうしたら、なんか味が変になっちゃって、だから『ルーじゃなくてスパイスを組み合わせるところから自分でやったらいいのかも』って、いろいろ。でもね、全部空回りだった。りんごと蜂蜜がカギだ、みたいに聞いたらそれを入れて、りんごと蜂蜜を入れるならシナモンだって思って、シナモンを入れて。ちょうどその頃ね、研究のためにって食べた戦隊カレーが、結構シナモン効いてたのよ。だから、これだーって思ったのよね。シナモン、シナモン! って突っ走っちゃった。その頃だったよね、そう、シナモンの頃。いよいよ嫌われちゃって。ついにって感じなんだけど、この人からも変な顔されちゃって。それからカレーを作るの、嫌になっちゃって」
父は、何も言わない。否定も、肯定も、しない。
「そんな感じで、こだわりはないのよ。あるのは空回りの経験だけ。私はもうカレーを作らないわ。カレーなんて、こうして食べに来ればいいんだもの」
ズズズ、と音がした。
ストローの音じゃない。彼女が、洟をすすったのだ。
「私、スパイス組み合わせるところからカレー、作ります。研究してきます。それで、彼が美味しいって思ってくれるカレーのレシピ、できたらお母さんにお教えします」
「ん……え?」
「カレー、作りましょう。ギャフンと言わせてやりましょう。美味しいって、お代わりさせましょう」
「え、えっと?」
「嫁に、なりたいです!」
公開プロポーズっていうのを、テレビとか動画サイトで見たことがある。が、こんなプロポーズは見たことも聞いたこともない。当事者意識が欠落した。スパイスで気持ちが変にでもなっているのか、女性陣が盛り上がる。見たことのない一面。
状況が把握しきれない。
ただ――彼女が母を大事に想ってくれているということだけは、理解できた。
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