第16話 序章

5人の探偵たちが帰国したのは、八代誠一殺害事件から2か月後のことだった。

キヨカが中心となって、事件後の国内外での余波をリサーチした上で、「D5」の存在がどこにも掴まれていないことを慎重に確認してのことだった。

ネギは、関東近県に日本国内のセーフハウスを新設した。

マイスターQとの闘いで、戦局に応じた作戦を可能にするためのハイテク機器を集中させた本部は、表向きはスーパーマーケットだった。

その地階には食料と水の備蓄庫を設置し、別の地点には、新たな移動手段を確保するための港湾も所有した。

この間にもD5のそれぞれが、自分たちの過去とマイスターQのつながりを探す調査に着手していた。

シリチア島での会議から3カ月が経つ頃、新設されたD5セーフハウス本部で、5人の探偵が再び顔を揃えた。

そこは一見、なんの変哲もない商業ビルの地階にある閉鎖されたゲームセンターだった。

いまでも使えるアミューズメント・ゲーム機器が並び、小さなボーリング・レーンやダーツ、バッティング・マシンもあった。

その一番奥にあるビリヤード台が会議テーブルとなっていた。

壁には、ミックの提案によるFBI仕込みのガラス張りのボードが置かれ、マイスターQに関する調査資料が掲示されていた。

「Well(さてと)…みんな、ひさしぶり。これまでに、なにか新しい情報は?」

「じゃあ、おれからいこう」―デカがコピーされた資料を配った。

「警察関係の協力者から、あの八代誠一殺害事件についての機密情報を入手したんだが。結論からいえば、事件そのものが揉み消された」

「警察が亡骸を隠匿したと?!」

「簡単に言えばな」

「ほんなら、マイスターQチームの工作員は、日本の警察内部にもいてるゆうことやね?」

「だろうな。どうやら公安警察と防衛省が関与している。ウルトラ・トップ・シークレットというやつだな」

「キヨカちゃん、ハッキングは可能なんか?」

「ああ、やってみたよ。でも、何もヒットしない。あの事件の後、マイスターQに関係ありそうな情報はゼロだ」

 デカが、ボードを睨みながら言う。

「おそらく、マイスターQ計画の関係者は、重要事項をインターネットで通信することを中止したんだろう。計画の推進をマン・パワーに切り替えたということだ」

「はっはー!皮肉なこっちゃね!世界の軍事産業が支配権を争うとる人工知能の運用を、人間様の手作業でやりよるわけや?」

 ミックが、ビリヤード台に置かれたドーナツをつまんだ。

「それ自体は普通のことさ。スパイ、諜報活動の基本は今でも人間だ。探偵なら判るだろうが、重要な情報はかたちに残さず、人の口から口へと運ばれる」

「然り!真(まこと)は、インタナットーに非ず!手がかりとなる者を縛り上げ申そう!」

「…預言者か?」

「Yes. あの預言者が、おれたちが遭遇したマイスターQの、唯一の腹心の部下だからね。キヨカが探ってはみてくれたけど…」

「あの日、おれたちがヘルメットの軍団に襲撃されていた時間、劇場付近の防犯カメラ映像も辿ってみたんだけど、見つかっていない」

「あの大都会で、どの防犯カメラにも映っていないってことか?」―デカが驚いた表情を見せる。

「いや、たぶんどこかには映っていると思うよ。でも、普通過ぎて判らないんだ」

「普通過ぎるとは、どういう意味なんだ」

「通常なら、検索対象の身体的特徴を数値化して、膨大な量の記録映像から近似値を持つ対象をある程度は絞り込める。けど、預言者には特別な特徴がない。だから、群衆に紛れて普通に歩いて移動されたら、コンピューターの機能では追跡し切れないんだ」

「うーん…わしらは特徴あり過ぎやな。着るもの変えたほうがえんかな?」

 ミックがビリヤードのキューで、ボードに貼られた「預言者」の写真を指す。劇場にいた際、キヨカが撮影していた画像だった。

「預言者は、劇場支配人の “影山”として複数の人間と接触している。そこから、人間としての預言者を追跡できる可能性はあるはずだ」

「預言者はメシも食えばションベンもする人間や。必ずシッポを出す隙があるはずやな」

「それなら…」と、デカが立ち上がる。

「…おれは、今夜ちょうど、例の劇団の山根君と会う。個人的に呑もうって話が延び延びだったからな。なにか情報につながる話を引き出せるかもしれない」

「それはデカさんに任せるよ」

「じゃあ、おれは早速、山根君と一杯やってくるぜ」

「あれ?デカはん、楽しそやね?デートに行

くようでっせ!」と、ネギがからかう。

「いや、任務は忘れんよ。ただ、彼の劇団で若い役者たちを見ていたら、なんだか希望みたいなものを感じてな」

「希望?」

「ああ。彼らは食うや食わずでも、芝居ってやつに全身全霊を賭けている。人工知能には到底、解析不可能な情熱ってやつだよ。この世界、多くの人間がカネで買えないものなどないと信じている。だから、山根君みたいな若者を見ていると、おれたちが何を守るべきなのかが、よく判ってくる」

「デカさんの答えは?おれたちは何を守るべきなんだい?」

 ミックが覗き込むように問うと、デカは少し考えてから言った。

「…人の幸せだよ」

 一同が肩をすくめた。

「もちろん、全面的に賛成や。まあ、そんな真面目な顔で言われたら照れますけどね!」

「おれも照れたんだ!たまには、決め台詞を言わせろよ」

そう言い残すとデカは先にアジトを出た。

 見送ったミックが、ビリヤードのキューをバトンのように、くるりと回した。

「Well…!(さて!)。おれたちも、ちょっと遊んでくか?せっかくネギちゃんが、アミューズメントな基地を作ってくれたんだからさ」

「同意!拙者、投げ矢ならば百発百中にござる!」

「知っとるわ!手裏剣投げたらあかんで、壊れるさかいに!」

 探偵たちの笑いが無人のゲームセンターに響いた。

 30分後。デカが約束の店に入ると、すでに山根はいた。

 学生や労務者風の客で満席の庶民的な居酒屋。山根はホッピーのジョッキに口をつけていた。

「あ!山崎さん!」

「ひさしぶり!元気でしたか?海外出張が重なって、結局、芝居にも行けなくて申し訳なかった」

「いや、いいんですよ。芝居が大好評で、早速、半年後の再演が決まったんです」

「そいつは凄い、おめでとう!じゃあ今日は祝杯だ」

 デカは山根と杯を重ねて談笑し、気がつけば閉店間際の時間になっていた。

「山根君、おれも今日はずいぶん、飲んだよ!」

「楽しかったス!ああ、でも終電の時間になる。明日は工事現場のバイトがあるんですよ」

「さすが若いうちは体力あるよな。アルバイトは長いのかい?」

「そりゃあね。まだまだ芝居だけで食えるわけじゃないから。学生の頃から、いろいろやりましたよ。ああ…そういえば、影山で思い出した…」

「え…?」―デカの酔いが一瞬で退いた。

山根との酒席では、結局、マイスターQにつながる情報を得るための駆け引きなどを忘れていたからだ。

突然、山根のほうから「影山」の名が飛び出たことで、デカは自分を任務に引き戻した人工知能を恨んだ。

「影山がどうかしたの?」

「いや、どうでもいいことなんスけどね。おれ、だいぶ昔…ああ、そうだ。ちょうど2000年だって、みんなが騒いだ年越しがあったじゃないですか」

「西暦2000年の…」

「そうです。おれも新世紀カウント・ダウンの呑み会ってのがあったんですけど、大晦日の午後に、奇妙なバイトを頼まれたんです」

「奇妙なバイト?」

「ええ。劇団の稽古納めが終わって、稽古場を片づけてひとりで残ってたら、おれらの芝居のファンだって男が訪ねて来て、おれに封筒を渡したんですよ。なんですか?って聞いたら、実は喧嘩別れした彼女に年内に手紙を出したいんだけど、もう郵便は間に合わないし、彼女のアパートに直接行く勇気もないから、代わりに投函してくれませんかって…ヘンでしょ?」

「まあ…それで?」

「ヘンなやつだなって思ったんだけど、アルバイトだと思って下さいって、ポンと10万円もくれたんだよね!おれらの劇団へのカンパも兼ねてって。なんか引っかかったけど、人に手紙を届けるのは犯罪じゃないだろうしと思って引き受けたんですよね。まあ、年越しパーティーの直前の小遣いが降って湧いたわけだからラッキーだと思って」

「それで?」

「教えられた住所に行きましたよ。すっげえオンボロのアパートで、悪いけど今時…まあ、十何年前にしたって、こんなボロ・アパートに住んでる女って、余程訳ありなのかなって。封筒の中身は見てないけど、もしかしたら、その彼がカネでも入れてたのかもしれないし。それなら、直接会わずに年内に届けたいっていうのも判るしね。そうだ、覚えてますよ。ちょうど、ドアについてるガタピシのポストに、その封筒を入れたのが2000年になった瞬間です。部屋の中からテレビの音が聴こえてたから。なんで、今頃思い出したんだろうな」

「それが…影山と関係あるの?」

「ああ、ですから。その封筒…妙にキラキラ光ってる白い封筒でしたけど、そのあて名が『影山様』だったんですよ」

 デカは、居酒屋の風景が歪むように感じた。

しかし、それが酔いのせいではないことは判っていた。

「…君にそれを頼んだ男のことは覚えてないかな。どんな感じのやつだった?」

 山根はジョッキに残った僅かな焼酎を口にして、記憶を辿ろうとしたが、諦めたような笑顔で言った。

「どんな感じって…まあ、いま顔見ても思い出せないでしょうねえ。つまり…」

「…つまり?」

「普通のやつでしたから」

 デカと山根は駅前の雑踏で別れた。

 スクランブル交差点の青信号が点滅し、山根は終電に急ぐ人々の波と一緒に、駅舎へと小走りに向かった。

 酔いはあったが、デカの頭には山根の最後の言葉が不気味な程に纏わりついて離れなかった。

「…普通のやつ」

 ―そのときだった。

 山根の背中を見送っていたデカの眼に、忘れられない男の姿が映った。

青に切り替わった車道の信号を合図に往来する車と車の間。

横断歩道の向こう側で、その男は棒立ちのまま、明らかにデカに向かって微笑んでみせた。

「預言者!」

 デカが反射的に車道に飛び込んだ。

 クラクションと急ブレーキがいくつも鳴った。

 運転席からの怒号の中を駆け抜けて、デカは対岸へと走り込んだ。

息を切らせて預言者を眼で追ったが、すでにその姿はなかった。

「幻想じゃない…やつは、おれを見てやがった!」

 デカの眼前には、数えきれない普通の人々の群衆だけがあった。


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5人の探偵 夏川文明 @bunmeinatsukawa1965

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