第2話 始まりはいつも “きゅうこん” から

 昼休み。

 私が園芸部の仕事で校庭にチューリップの球根を植えて水やりしていると、いきなり目の前の草木から美少女が湧いて出た。あまりに急なことに手から伸びるホースから出る水は的を失い、その美少女に降り注いだ。

 彼女は微動だにせず、私を一心に見つめる。いや、睨んでいるのか?

 沈黙の数秒が流れて、時間は音を取り戻す。


「見つけたわ。塩谷莉子しおのや りこっ!」


 どこか懐かしくもウザったらしくもある声だった。


――――――――――


 幾分か月日は経ち、顔の良さにかまけて有頂天になっている憎たらしいヤツの姿なんて、とっくのとうに忘れた。

 秋晴れが続いてカラカラに乾いた空気の中を空高くから突き刺す陽射し。若干、西側に傾いた太陽から漏れ出る橙色は青白いキャンバスを侵食していく。


 手を伸ばしても届かない空に少しでも近づきたくて校舎の屋上へやってきた。が、理由はそれだけではない。


 『立ち入り禁止』のテープを潜って古びた扉に手を掛ける。

 夕日で彩られた画角の中にぽつんとたたずむ男が映り込む。


 「わぁ、本当に来てくれたんだ。ありがとう」


 子犬のような無邪気な笑顔で尻尾をブンブン振りながら両手で私の手を包み込む。

 マンガの世界の如く、手紙を下駄箱に入れて、屋上に呼び出し、コピーされた定型文を読み上げる。

 きっとここからの内容もそういうことなんだろう。

 ふっ、ベタなラブコメ展開ね。

――そう思いながら彼の様子をうかがう。


 が、


「悪いけどさー、塩谷さん。彼女と仲良くしないでくれる?」


 それまで暖色系の雰囲気をまとっていた彼が闇落ちしたかのような真っ黒な雰囲気に変わる。目は死んでいて、妙に背景の橙は殺気を表し、さっきまでとはまるで別人。なんかおかしな展開に巻き込まれた。


「そっ、その……彼女って、だれの、こと……ですか?」


 声もかすれてしまうほどに恐怖を感じ、今すぐにでもこの場から逃げたしたい。

 それに彼がまとう雰囲気に違和感を感じる。『男』と言うよりも何かを欲する『』の闇を。


「塩谷さんってさ、お昼に校庭で寝るのが趣味なんでしょ? いつも隣にいる彼女、なんで一緒にいるの?」


 私が昼休みに校庭で昼寝をしているのは全校の話題になっている。なんでも寝顔がアホっぽいから起こさずに写真を撮るゲームが流行っているらしい。

 私にとってはその昼寝が背に腹はかえられない貴重な時間だから別に気にしていないけれど、いつの日からか隣に人影を感じるようになった。


「『なんで』って言われたって私は知らないですよ。第一、チャイムが鳴る前にいなくなっちゃって名前はおろか、姿さえ見たことないんですもの」


「しらばっくれないでよッ‼ あたしの『みらい』を奪わないで――」


 男は突然泣き出した。

 

 私が校庭で校庭で寝ていることと、隣にいる人と、彼の『みらい』とがどう関わったらこんなことになるのだろうか? 


 疑問を抱きながらも声を掛けられる雰囲気でもなく、ただ感情豊かな酔っ払いを蔑むかの如く高みの見物に徹するのは少し申し訳なく感じたが、結局ボーッと眺めていることしか出来なかった。


 さっきまでのかみ合わないやり取りを振り返り、情報処理のためのざるに引っかかった異物を一つ一つ手に取ってみる。

 

 男っぽい見た目の彼は自分のことを「あたし」と言った。

 多様性が認められるなか、別におかしくはないんだろうけど、不自然な感じがする。

 そして、『みらい』……。

 

 考えていくと、一つの噂にたどり着いた。


――校内のどこかに男装が趣味で、いつも『みらい』という女について回る金魚のフンみたいな面倒くさい女がいる、と。


――うん、こりゃ面倒くさいことに巻き込まれたなあ。


 確か、学校の裏掲示板に【注意⚠】の大きな文字とともに貼ってあった顔写真に似ている。別に興味がなかったからよく見ないでスクロールしていたけど。


 夕方を知らせるカラスの鳴き声とすすり泣く高い声。

 そこに校舎からこの屋上へと繋がる階段に響く鼻歌が聞こえてきた。

 音程があっちへ行ったりこっちへ行ったりして何を歌っているのかまったく分からない下手にも程がある鼻歌だった。


 その音はだんだんと大きくなってきて、止まった。

 すると、古びた銀色の扉はギイーという耳を痛めるような音とともに開き、ぴょこんと整った顔を覗かせた美少女は驚いた表情になる。

 それもそうだ。

 端から見れば私がこの近くで丸まって泣く面倒くさいヤツをいじめたと捉えられても仕方ない。……別に私が泣かしたわけじゃないけど。


 面倒くさいヤツ――名前がなくて呼ぶのも面倒くさい――は一瞬顔を上げて美少女の姿が目につくと、はっとこちらもまた驚いた表情になる。


「――っ! みらい‼」


 だんだん点と点が繋がってきて一つ線になってきた。

 私はこの美少女を知っていて、『みらい』と言うらしく、噂になっている金魚のフンで言えば母体の金魚であって、目の前で泣いている面倒くさいヤツは噂で言えばフンの方、要は面倒くさいヤツということか。


 そして、ここまでわかって、次の展開も次第に読めてきた。

――さらに面倒くさいことになるっ!


「ねー、なんでみらいがこんなとこにいるの? なんで? なにしにきたの?」


 始まった。

 勝手な想像だけど面倒くさいヤツ大体「なんで攻撃」仕掛けてくる説。


 一方で美少女――もとい、みらいは無言でこちらへと近づいてきて何故か私の手を取った。そして、階段の方へと向かっていくのを見逃さなかった女はすぐさま駆け寄って私の手を払った。


「みらいに触んないでよ」


――えー、これ、私が悪いのぉ? 面倒くさっ!


 私が小さい頭をフル回転して何か策を考えているのにみらいはただ無言で階段を降りようとする。「待って」といくら頼んでも待ってくれやしない。もしかしてコイツも自己中心的な面倒くさいヤツか?


 後ろからの視線は強く痛く、追いつかれたらやられてしまいそうだ。


……階段目前にして追いつかれた。


「ねぇ、あたしのみらいを返してよぉー」


 スーパーでお菓子をねだる子どものように地団駄を踏む彼女は私の腰あたりを掴んで前後左右に大きく揺らす。


「「「あっ‼」」」


 そのとき、バランスが崩れて階段の上から真っ逆さまに転落した。


 時空がゆがんでいるのか、視界がゆっくりと回転しながら、私とみらいは階段を駆け下りていく。


 気づけば私の顔の前には無駄に整ったみらいの顔面があり、右の方――階段の上の方に目をやると、この事件の発端は目をまん丸くして硬直している。


「おい、塩谷莉子」

 

 低音ボイスでみらいに呼ばれ、私は視線を戻す。

 強い眼差しが太陽を直視しているかのようで目を逸らしたくなる。

 が、両手で顔を押さえつけられ、身動きを取ることは出来ない。


「結婚しよ?」

 

――ん? どうしたどうした。さっきの衝撃で頭でも打ったのか?


 西側の窓から差し込む夕日に照らされて私は求婚されたらしい。

 だんだん唇を尖らせて迫り来る美女の顔面にやたらとリアルを感じ、彼女を頭突きで迎え撃った。


――痛いっ


 いきなり全身に痛みが走り、視界は急に暗闇に堕ちた。

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百合の花が咲く頃に 森乃宮伊織 @IORI-Morinomiya

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