第4話
「だいたいここじゃあ、人事からして所詮お友達人事じゃないか。出世するのなんて、上にいい顔をする人ばかりで、裏でみんなを支えている人のことなんて誰も見てやしない、上司だって人間だからね、楽な仕事したいんだ、わかりやすくアピールする人がいたら、その人にいい点つけりゃ、仕事してますって顔できるだろう。もともとそういうやつが上司になってって、そういうサイクルが続いているからな。目立たないけど大事なことなんて、いくらやってても、あいつは仕事が大好きなんだから勝手にやらせとけばいいくらいにしか思われないんだよ。俺が現役だったころも、管理職なんて、本当しょうもないようなやつらばっかりだったよ。人間なんて本来怠け者なんだ、なんでも丸投げできる立場になると、よっぽど自分を律することのできる人でもない限り、バカまっしぐらになるしかないんだ。ああ、俺は管理職なんてならなかった。なれなかったの間違いだろうってよく言われたけど、そもそも興味すらなかったね。管理職はトラブルが起きたときには大変だとは言っても、俺なんかみたいな下の人間が未然に抑えればトラブルなんて起きないからな。やつらはみんなからよく見える課長席で、居眠りすらしてたよ、上がすることないのはうまく回ってる証拠なんだ、とか言いながらな。でも少なくとも俺は、自分が人生を投げ出してないことに誇りを持ってたよ。頑張りに対して待遇が見合っていないなんて、そんなこと言い出したらおしまいだって、あいつらと自分とは違うんだって、自分にそう言い聞かせてたさ」
大貫は一気に話してしまうと、ようやく二人の視線を意識したようだった。
「誰が悪いんだろうな、いや、そんなことを考えちゃいけないのかもな。考えるだけ無駄だよ、考えても結論は出ない、辛くなるだけだ。それが社会ってもんだ、人生ってもんだと思うしかない。
でもね、こんなことは言いたくないけど、幹ちゃんは自分が感染したら、どうするんだ?病気になって、自分の意志とは裏腹に同じように無責任なことして、治ったときに『幹さんが病気してた間大変だったんですよ』って言われたら、戸惑わないか? だったら彼らを非難できるのかい? ふりかどうかは知らないが、一応彼らは病気ってことになってるんだから、それはもう、そういうものだと思って、受け入れるしかないだろう?」
幹は半分ほどになったミカンをじっと見つめる。
「もうこうなったら、幹ちやんも感染したふりしちゃえば?」
町田が明るく笑う。
「町田さん、最近たまにやってるだろう」
「うん、やってるかも、わかりませーん知りませーんって、あの子の真似してれば、相手も笑ってくれるしね」
「それって、冗談だと思われてるんですか? それとも感染したって思われてるんですか?」
「さあ、知らないけど、もうどうでもよくない? 今じゃあ感染してるのが標準じゃない。バカが勝ち組でしょう」
「自分が思う普通でいたかったら、もう辞めるしかないと……」
「そんなことしたら、やつらの思うつぼだよ」
大貫の言葉に幹が思いっきり首をかしげると、町田は、
「私らなんて使い捨てくらいにしか考えてないやつらのために、散々尽くして捨てられるなんて、幹ちゃんはそれでいいの? 余計なお世話かもしれないけど、もっとしたたかに生きたほうがいいよ。そういうときもあるよ。大貫さんは、そう言いたいんですよね?」
大貫は「まあね」と言った。
「真面目に仕事するだけが、必ずしもいいことじゃないんだよ。周りに合わせることも少しは覚えたほうがいいよ」
目の前がぐるぐる回るような気がしつつも、幹は最近読んだ本のことを思い出していた。その本には、「子供が夢中になって遊んでいるのは、たいがいどうでもいい遊びをしているときではなく、難しい遊びをしているときだ」と書かれていた。彼らが仕事に熱中できないのは、どうでもいいことばかりしているからなのだろうか。では、どうでもいいことばかり、この先何十年もやっていくのか。
これからここでどうやって生きていけばいいのだろう。大貫のように半ば隠居状態になって遠い目で見守るのか、町田のように諦念を身に着けるのか、仕事に責任感や達成感などの余計な副産物を求めず、お金をもらう以上のことを一切期待せずにやっていくよう決意するのか。
もはや、ただそこに存在するものを可能な限りそのままのかたちで維持することだけが目的となった組織、人はどんなことを思いながらそこに存在しようとするのだろう。しかし自分もここから抜けようとはしていないし、本当にこの状況をどうにか打開したいのであれば、労働基準監督署にでも行くべきなのだろう。もしくは彼らの住所を調べて、ここで日々行われていることを詳細に書き記し、もし恥を知る心があるのだったら心を改めるようご家族に言い聞かせてください、という趣旨の手紙を投函すればよい。しかし、そこまでしようとは思わない。
けっきょく自分も、めんどくさい、だったら辞めてしまえ程度にしか思えない、しかし今仕事を放りだすのはあまりに無責任なので年度が変わるまでは待たざるを得ない、そういう考えかたができている自分はまだ感染していないのだろうと、密かにそんな自分を誇りに思うよう頑張ってみて、消える寸前のやる気を絶やさないようになんとか耐えて……こんな自分も、傍から見れば同じ穴のムジナ以外のなにものでもないのだろう。
「周りに変な人がたくさんいると、色々と新たな発見があるんだね」
いつだったか、友人が苦笑いしていたのが思い出された。さっさと転職活動すればーという明るい声が聞こえてくるようだった。
無責任症候群 高田 朔実 @urupicha
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