第3話

「無責任症候群は病気だから、ハラスメントには該当しないそうです」

 幹は力なく言った。

「相談、したんだ」

「セクシャルハラスメントやパワーハラスメントは、社会的に認識されているから相談に乗ってもらえるんですけど、それ以外は前例がないから、安易にハラスメント扱いすると、今度は相談センターのほうに苦情がくるそうです。

 ないことを証明するのって、難しいですよね。上司に能力がなくて部下が苦労してるって言っても、どういう能力がどう不足してるかって、なかなか客観的に示せないんです。あっちにしてみれば、会社に認められてそういうポジションに配置されている人は能力があるというのが前提なんです。『上司だって人間で、完璧ではないんだから、まわりの人たちが協力して、フォローし合ってお仕事するのは当然なんじゃないんですか?』とか、『その上司の方も、部下の方を育てようとして、あえて答えを示していないのかもしれませんよ』とか、そういうマニュアルっぽいこと言われておしまいなんですよ」

「仕方ないよ、日本は災害が多い国だから、天災と人災を同様に考える文化があるんだよ。天災の少ない国だったら、人間の力で解決しようとするのかもしれない。でも日本の一般的な会社では、何年か待てばどんな嫌なやつでも転勤するから、嵐が過ぎるのを待つのが普通なんだよ。前の職場もそうだった。日本に生まれてきたからには、そうやってあきらめることを学ぶのも、生き残ってくためには必要なんだよ」

 幹は甘いカフェオレを一口飲んだ。

「なんだか、私がひまで、気に入らない人の揚げ足取りしてるんだって思われてたような気がします。ただ事実を述べてるだけなんですけどね。逆に、なんでもかんでもプラスに考えすぎるほうが、思考停止のような気がしちゃうんですけど。高校生の部活動だって、三年もやってればもう少しなにか身につくと思うんですけど……。それともなんですか、ああいう人たちは、ずるして生きる方法みたいなのを、先輩から伝授でもされたんですかね、お前は素が質ありそうだなって……」

 そのときチャイムが鳴り、幹の話は遮られた。みんなは事務室に戻っていった。

午後になり、やる気が出ないまま、今日は周りに人があまりいないこともあり、こっそり「ストレスがたまらない人たち」などと検索してみる。世間一般の人がこういうキーワードを見て思い浮かべるのは、周囲に適度に気配りしつつときには自分の言いたいことも気持ちよく聞いてもらえるように主張してみようというものが多いようだ。鈍感力がずばぬけてあるゆえにストレスがたまらない人たちのことは書いていない。

、関連する検索ワーとして「仕事のできない人たち」というのが出てきたので、そちらもでも検索してみる。こちらもたくさんのサイトが出てくるが、どれも書いてある内容は大差ない。責任感がない、洞察力がない、信用がない、つきあいの長い友人がいない、などなど。そうしてそれらのページの末尾では、必ずと言っていいほど、転職サイトにリンクが張ってある。仕事のできない人たちに会社での日々を脅かされている人は、世の中で自分以外にもたくさんいるようだ。そうして最もよい解決法は、ついていけない人がそこを去ることなのだった。

鈍感な人たち……、期限や約束を破って人に迷惑をかけてもてんで気にならない人、人に言われたことしかしなくて、関連することがらは放置したままで、「なんでやってないの?」と言われたら「自分、それやれって言われてないんで」と平然と答えられる人、確かにそういう人たちは、ストレスの溜まりようがない。

一方で他人に気を使う人たちは、そういう天真爛漫な人たちが放置した業務をせっせと片づけ、やってもやっても多忙な状況が改善されることはなく、やがて体調を崩して去っていく。

仕事をしない人ほど、権利を主張するのが世の常だ。義務を果たさない傍若無人な人は永遠に悠々自適な日々を送り続ける。また、無責任はつまり無神経ということである。他人から避けられたり嫌味を言われたりるうなことがあってもそのことに気づかない。確かにその生命力はゴキブリ並みなので、対処は難しそうだった。


昼を外で食べようとしたら店が満席で、コンビニでパンを買ってきた。いつもの部屋に入ろうとすると、中から声が聞こえてきた。

「幹ちゃんも、あんなに頑張んなくてもいいのにね」

「あの子は真面目なんだよ。こういう会社でなければ長所だろうけど、こんなとこで真面目にやったって、いいように利用されるだけなのにな、可哀想に」

「この間聞いちゃったんだけど、幹ちゃんがいつも残ってるの見て、課長がやらせすぎじゃないのって言ってたんですよ。そしたら係長、『彼女は好きでやってるんだから大丈夫ですよ』、とか言っちゃって。『生き生きしてて楽しそうじゃないですか、あれくらい仕事が好きだったら毎日楽しいでしょうね、うらやましい』、なんて言っちゃってさ、ほかの人もうんうん頷いちゃって」

「まあ、彼は感染してようがなかろうが、もう末期みたいなやつだからね」

幹は思った、彼らの存在意義はなんなんだろう、と。みんなの反面教師になることが彼らの生きる目的なのだろうか。しかし、もはや反面教師しか存在しないこの部署で、反面教師という役割にどんな意味があるのだろう。

幹はそっとドアを開けた。二人ははっとした様子を見せた。

「私がいけないんですかね」

 口から出たのは、自分でも思ってもいない言葉だった。

「私が甘やかしているから、言われたことなんでもやっちゃうから、あの人たちの労働意欲がそがれて、ますますなにもしなくなるって、そういうことなんですかね……」

「なんていうかさ、幹ちゃんみたいに、自分で考えてやるべきこと見つけたり、わからないことをちゃんと訊いたり、時間配分や優先順位を考えながらてきぱき動いたり、能動的に動くっていうの? あいつからすると、そういうの自分ではできないから、うらやましがられてるんだよ。あの人が生き生きと楽しそうに仕事してる姿なんて、もしそんな姿見たら、余命宣告でもされたのかとか、いらない心配しちゃうでしょう」

 町田は懸命にフォローするが、幹の表情は険しいままだ。

「けっきょく会社なんてこんなもんなんだよ。課長だからとかアルバイトだからということではなくて、役職も年齢も給料も、経験年数や知識も関係ない、ただやろうという気持ちがある人とない人がいるだけなんだよ。役職だ、待遇だなんだって、そんなのどっかの誰かがいつだかわかんない昔に適当に作ったルールで、お飾りもいいとこなんだ。

たとえば、親の借金を返済している真面目な大学生がいるとしよう、そういう人が明日からここにきてごらん、時給千円だろうが、あいつらよりよほどまともなことするよ」

 大貫はため息をついた。

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