第2話

あれよあれよという間に、幹たちの部署でも、感染者らしき人が増えている。陰で毎日のように、「あいつもあれか」などという言葉が飛び交うようになってきている。

この病気の厄介なところは、いつまで症状が続くのかよくわかっていないところだ。一週間程度で治ると言われてはいるが、定かではない。感染症らしいと言われながらも、まだ原因がわからず病気と認定されていないため、医療機関で「この人は病気だから療養が必要です」とお墨付きをもらうこともできない。騒ぎに乗じて罹ったふりをしている人も相当数いるらしい。ことあるごとに「もしやこの人も」と疑ってしまう。特効薬も見つからない中、同僚が感染してしまったら最後、災害に見まわれたのだと思ってただ耐えるよりほかに方法はない。

処理しきれないほどの、意味があるのかわからない雑用を言い渡され、当然期限内にできるわけなどなく「頼んだ僕がバカだったよ」と言われる。頼んだ自分がバカだったというのは明らかに正論ではあるものの、言われたほうは、どうにも腹の虫が収まらない。

今まで以上に正式社員との仕事の境目がなくなってくる。稟議書の該当欄にはんこを押すこと以外は、なんだかんだいってできてしまう。

丸投げしてひまになった係長は、「俺今日食事当番なんだよ、帰ってまでこきつかわれて、たまらないよ」などと言いながら、チャイムが鳴るが早いか姿を消す。

「ね、言ったでしょ」

と町田。

「あの人たち、私たちの倍はもらってますよね、なのになんなんですか、あれは……」

「考えちゃだめだよ、そういうこと考え始めると、本当、続かなくなるから。こういうときは、災害が来たと思って耐えるしかないんだよ、いずれ収まるからさ」

「収まらなかったらどうするんですか?」

「収まらなかったら、会社がつぶれて、雇用保険もらいながら求職活動? まあ、そこまではないんじゃない」

「大貫さんが以前いた会社でも、やっぱりこういうことってよくあったんですか?」

「私が現役だったころは、こういう状況が許される時代ではなかったな」

「今だって、まともな会社はそうでしょうよ」

「ここはまともではないと?」

「まあ、安定してる会社だからね」

「安定してるってのは、つまり、働かなくても辞めさせられない分、働く気がある人に負担がかかるってことなんだ。けっきょく『わかりませーん、できませーん』と軽く言える人が強いんだね」

 町田は「大貫さん、真似うますぎ」と笑う。町田は子供が小さいから、大貫はそれなりの年齢だからという理由で定時になればさっさと退社しているので、幹ほどひどい状況にいるわけではなかった。そうこうしているうちに、昼休みは過ぎていった。


あれから一月が経った。状況はますます悪化している。

「丸谷さん、昨日から休んでるでしょう。病院に行ってたんだって。ひとまず三か月休めって言われたらしくて、しばらく来ないんだって」

 隣の課では、丸谷以外は全員慢性的に感染者らしいという日々が続き、丸谷の負担は相当なものになっていたはずだった。

「課長が『最近の若いやつはちょっと疲れるとすぐ休んじゃうんだよな』とか言ってて……、なんなんですか、あれ」

「仕方ないよ、課長は病気なんだよ」

「いつまで病気なんですか? 病気だったらなにしてもいいんですか? 大貫さん、どう思います?」

「なぜ私に?」

「人生の先輩として、どう思うか参考に伺いたいんです」

「いやあ、でも、仕方ないだろう、組織ってのは、そういうもんだよ」

「そういうもんって、どういうもんですか?」

 幹はいつも以上にイライラが収まらない。

「大貫さんもやっぱそうなんですね。部下が困ってても、そんなの修行の一環だろうって、社会なんて元々が理不尽なもんだから仕方ないって、戦時中とか戦国時代とかに比べたか命を取られないだけまだましだって、大貫さんの世代の人たちって、基本的にみんなそう思ってるんですよね」

「それはちょっと極端じゃない?」

 町田は、にこにこしながら遮る。

「こんなこと言いたくないけど、幹ちゃんも、私がパートだからそんなことを言うんだよな。相手が課長だったら、もっと気を使ってるだろう? 私に八つ当たりしてるってことじゃないか? そういうのは、無責任だと言わないのかい?」

 黙り込んでしまった幹に、大貫は「同じことさ」と言った。

「やめましょうよ、二人とも。大貫さん、幹ちゃんも大変なんですよ。うちの課だって同じようなもんだし、不安になって当然ですよ。ここでまで気を使えなんて言ったら、もうほっとできる場なんてないじゃないですか」

 幹は目を潤ませながら町田を見た。

「けっきょくのところ、責任とるのは無能だろうが無責任だろうが上司なんだよ。こっちはあいにく無役職なんだから、上がバカだから知りませんーとかなんとか言いながら、適当にやるしかないよ、そこまでつきあってやれないよ」

「……いくら上司がバカだからって、自分まであほだって思われたら、嫌じゃないですか?」

「そんなこと考えたらやつらの思うつぼだよ。うまく利用されるだけだ。

それにね、頭いい人の下で働くのも、それはそれで大変なんだよ。ばかの下で働くほうが、ある意味楽なんだよ」

幹はこっそり大貫をにらんだ。

「丸谷さん、一人で毎日終電まで残って、一人でせっせと仕事して、『今は自分の実力がつくときだと思って、頑張ります』って一生懸命やってたんですよ……、丸谷さんが一生懸命調整していたのを引き継いで、あの課長は無責任にほいほいやって取引先ともめちゃって、そんなことも『あいつが弱いからいけないんだ、あんなやつが部下だなんて、俺はなんて運が悪いんだ』なんて、うまいこと丸谷さんのせいにして、周りの人も同調しちゃって……、だんだん、うちの会社が変なのか、変だと思ってる私のほうが変なのか、わからなくなってくるんですけど……」

「本当にどうにかしたいなら、私に言ってても仕方ないよ。ハラスメント対策委員とか、今はそういうのもあるんだろう?」

 黙ってしまった幹に、大貫は、

「他人のこと気にしてるなんて、時間がもったいないだけだよ」

 と言った。

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