無責任症候群

高田 朔実

第1話

 秋晴れというにはやや遅いものの、それでも気持ちよく晴れた日の昼休み、暖房の効きが悪い休憩室では、こんな会話が交わされている。

「最近、丸谷さんって毎日終電らしいよ」

「あの人、まだ二年目ですよね?」

「まあね。でも、こういうのって運もあるからね」

「運って、どうやったらよくなるんですかね」

「さあ、日ごろの行い?」

「丸谷さんって、そういう人でしたっけ?」

「いいや、違うと思う」

「じゃあ、大殺界とか?」

 幹と町田の会話が途切れると、

「あそこの課長、あれなんでしょう」

 二人の視線が大貫に集まる。

「最近流行ってるらしいね、無責任症候群とかいうのが。感染すると無責任になって、仕事ができなくなるという」

「なんですかそれ、都市伝説?」

 と幹。

「あ、私も見たかも。ネットのニュースに載ってた」

 町田は顔を輝かせる。

「その病気になると、昨日まで真面目に働いてた人がある日突然無責任になっちゃうんだって。今そういうのが、ちょっとした社会現象になってるらしいの」

「ふりしてるだけなんじゃないですか?」

「原因はまだよくわかってないそうだ。だけどあまりに突発的だから、ウイルスが関係しているんじゃないかと言われてるみたいだね」

 大貫は淡々と続ける。

「仕事するのに一番マイナスなのは、やはり責任感がないことだからね。多少能力が足りない人でも、とりあえず責任感があれば、自分ができないぶん人の力を借りようとしたり、仕事する時間を増やしたりして、なんとかしようとするだろう。でも、無責任症候群の罹患者になってしまったら最後」

 大貫はそこまで話すと、茶を一口飲んだ。

「若い人ならまだいいんだよね。仕事ほったらかして、進捗訊かれても『やってませーん』って天真爛漫に答えて、有休とってどっか行っちゃえばいいから」

 と町田。

「まるで見てきたようなこと言いますね」

「あのロッカーの向こうでは今、そういう日々が繰り広げられているんだよ」

 ロッカーの向こうには違う課がある。

言われてみれば、「やってませーん」「知りませーん」という声が、近ごろよく聞こえてくる。テレビでそういうのが流行っていて、誰かがふざけて真似をしているのかと思っていた。

「あの課、たぶんもう課長も感染しちゃってるよ。丸谷さんへの態度、明らかに変だもん。自分の仕事を押しつけて、質問されても『自分で考えろ』って繰り返すだけでなんの説明もしないんだって。やってませーんの子は元々変だけど、課長はそんな人じゃなかったよ」

「まあ、私たちには関係ないですよね、正式社員じゃないし」

「幹ちゃん、わかってないな」

町田は「そのうちわかるよ」と言い残し、席を立った。いつの間にか昼休みも終わろうとしていた。

 幹が契約社員としてこの会社に勤め始めてから、三年ほどが経つ。最初のうちは周りも気を使っていたのか、それなりの仕事しかしていなかったのだが、最近そうとばかりはいかなくなってきている。

正式な社員はくるくる転勤する。自分は来たばかりでわかんないけど幹さんなら楽勝でしょうなどと言われ、年々幹の業務が増えている。多少は仕方がないものの、給料は上がらないのに仕事ばかりは増えていき、どこまで見て見ぬふりしていいものか、気になってきている。

さらに、今年やってきた係長は、今まで会ってきた人たちと比べても、ちょっとおやと思うことが多すぎる。彼になにか聞かれて「今まではこうやっていましたよ」と何気なく答えるとする。普通の人であれば、一度書類に目を通して毎年多少状況が変わることを考慮してマイナーチェンジするところを、彼はそっくりそのまま使い回す。課長からなにか言われると、彼は待ってましたとばかりに、「幹さんがいつもこうやってるって言ってたんで」と言う。大貫に言わせれば、ばか丸出しということだ。

そんな彼も、人になにかを押しつけることに関してだけは抜きんでている。本来係長がやるべきことを幹にやらせようとして、幹が「それは係長の業務なので」と断ると、彼は正式社員の中でも最も忙しい人に、それを丸投げする。丸投げされた人に泣きつかれると、さすがにかわいそうなので、幹は手伝いをせざるを得なくなる。町田いわく「同情したら負けだよ」とのことなのだが、まだそこまでシビアになれない。

「あの人さ、今まで丸投げしかしたことないから、もうなにもわかんないんだよ。なんか言われたら、とりあえず下の人にやらせといて自分がやったことにすればいいやって、そんなんでずっと来ちゃってるから、自分の頭でなにか考えようって気がまるでないんだよね」

 町田の解説に、

「よくあるパターンだね」

 と大貫。

「よくあるんですか?」

「残念ながら、ここではそれでなんとかなっちゃうからね」

「なんであんな人が人並みに出世してるんですか? あんなのが係長なら、いる意味ないですよ」

「同期の人より係長になったの、一年遅いよ」

「たったそれだけですか? あんなのが係長なら、係長なんている意味ないですよ」

「一応名前だけでも誰か載せとかないと、名簿にハクがつかなくなるでしょう。それに年功序列はうちの会社の鉄の掟だから、業務がうまく進むかどうかより、そっちのほうが大事なんだよ」

「仕事できない人の顔を立ててるせいで、いつまでたっても無駄な残業が減らないじゃないですか」

「年功序列を維持するための経費だと思えば、残業代なんてはした金よ」

 幹は口をつぐんだ。

「あの人の今までが目に浮かぶようだわ。今まで自分で考えるってことを一切してきてない人が、はい係長になりました、これで私も係長の仕事ができまーすって、そんなことあるわけないじゃん。けっきょくやってるのは下々の者なんだから、下々の者は仕事できるようになっても、あの人は永遠になんにもできないままなのよ」

「丸投げ一筋三十年ってか」

「私、年度末までもつ自信がなくなりそうなんですけど」

「できの悪い子供がそのまんま大きくなったと思って我慢するしかないよ」

「じゃあここは保育園だと?」

「まあ、長く働いてれば、変な人なんていくらでも出てくるよ」

 町田は早々に弁当を食べ終えて、お菓子を取り出した。

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