散骨
メグの訃報が届いたのは、晩秋の冷たい朝のことだった。
彼女は大企業の会長夫人として、会合や食事会などの細々した仕事に追われていた。ときどき「大変だよお」と茶化したような連絡が届き、ヨーコは心配しつつも遠くから様子を見守るしかなかった。
そこに突然、彼女の死の知らせがあった。自宅で朝の一杯を淹れているときだった。コーヒーの入ったマグカップは床に落ちて、破片は大きく散らばった。それを踏んだ痛みすら感じられないまま、ヨーコはダイニングの真ん中でただ立ち尽くしていた。どこか現実味がないままに、これは何かの冗談だ、とまで思っていた。
翌日、メグの母親が訪ねてきた。海辺の寂れた喫茶店で向かいあう。初老の上品な女性で、かなり憔悴した様子だった。彼女は思いつめたように、ヨーコにこんなことを打ち明けた。
「遺言なんです。弔いは、あなたにお願いしたくて」
「それは、どういうことでしょうか」
「メグミの最期の望みなんです。お願いします」
メグは先祖代々の墓に入ることを望まなかった。遺骨を海に撒いてほしいと書き遺したのだ。
きっと彼女は最後の抵抗として、水葬を選んだ。ならばヨーコはそれを叶えるしかない。遺言を伝えてくれた母親に礼を言い、葬儀場に向かう準備をした。
火葬場に足を踏み入れると、喪服を着た大勢の遺族たちがこちらを見た。
それは一瞬のことで、彼らはすぐに会話を再開させる。それでも、こちらをうかがうような視線を幾度となく感じて、居心地の悪さをこらえてヨーコは待った。
やがて火葬場の職員とともに、メグの母親がやってきた。両手に骨壺を抱えている。彼女の遺灰だ。
私は歩み寄り、それをしっかりと受け取った。
「あの子を、よろしくお願いします」
濃い隈を目の下に作った母親を前に、ヨーコは無言で返すほかになかった。
踵を返し、出口に向かう。遺族たちの間を抜けていく時、ひそひそと噂する声が聞こえた。
「……たちの気も知らないで」「あの方、よく平気で……」「……にふさわしくない」
ヨーコは表情を変えないまま通り過ぎる。
火葬場の外に停めてあった車に乗り込み、助手席に骨壺を乗せた。それでようやく、ヨーコはふうと息をついた。慣れた手つきでエンジンをかけ、駐車場から出ていく。
フロントガラスの向こうに海が見える。ハンドルを握りながら、隣の骨壺へと語りかけた。
「やっと、二人きりになれた」
彼女は何も答えない。ふたりを乗せた車は港へと走っていく。
結局のところ、彼らはメグを大切にする気など少しもなかったのだ。船上で波に揺られながら、ヨーコは思う。両腕に骨壺を抱いて、目線は遠く水平線を見つめている。
ふと思った。メグは焼き魚をきれいに食べる人だった。背骨から丁寧に箸を通して、小骨のひとつまで丹念に拾って。食べ終わった皿は美しく、清らかだった。
遺族たちはメグの骨を箸で拾って、がさがさと骨壺に放り込んだ。メグの身体は彼らに搾取され、無残に食べつくされた。残ったのはこの遺灰だけだ。
骨壺を開け、中から小さな骨のかけらを取り出す。砕かれず残ったそれは羽のように軽く、清らかな色をしていた。
ああ、彼女は解き放たれたのだ。ヨーコはその時やっと、メグはもう居ないということを実感した。
骨壺を傾けて、中身を海面に撒いていく。純白の遺灰はさらさらと舞い落ち、海に溶けて消えていく。どうしようもなく綺麗で、彼女らしいな、と思った。
そうしてヨーコとメグは、二度目のお別れをしたのだった。
散骨 あおきひび @nobelu_hibikito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます