あれから17年、私は我を忘れて働いた。

東京へ帰っても、当然、取材した内容も、そしてあの村に受け継がれてきた哀しき因習いんしゅうさえも記事にする事は出来なかった。

 私が体験した恐ろしい出来事を、凄惨せいさんで忌まわしいあの村の歴史を記憶から消し去る様に、ただ我武者羅がむしゃらに働いた。

 そしてここ数年、記者としての仕事に余裕が出来たつい先日、取材で訪れた先の街角で私は垣根に咲く赤い椿を見た―――。

 その時、私は何故か無性にあの民宿を再び訪れてみたくなったのだ。

 理由は分からない。今まであれだけ思い出さぬ様に努めてきたのに、あの民宿で過ごした日々が、体験した恐怖の出来事が現実だったのか、磯女様は本当に存在したのか確かめたくなったのだ。

 そしてあの日の様に電車を乗り継ぎ、記憶の中の道を辿った。既に廃村になったのか道行く人は誰も居らず、道のあちこちに雑草が生えていた。

 そして遂に辿り着いた。

屋根は崩れ落ち、柱につたが絡んだその姿には、

嘗ての立派な民宿の面影は無かったが、それは確かに私が17年前に取材に訪れ宿泊した民宿に違いなかった。

 私はその朽ちた建物脇の今はもう殆ど枯れ、僅かに咲く赤い椿を一輪手折ると、裏庭にへと出た。ふと脇を見ると磯女様がいたという地下室への入口は崩れ去っていた。

 あの日、ここから磯女様が現れて私を襲ったのだ。ふと気付くと足元に何かきらりと光る物がある。私はしゃがんで土を払った。

 そして私が見付けたのは女将がまとめた髪に刺していた櫛だった。私はそれを大切に懐に仕舞うと、防風林を抜け海へと出た。

 目の前にあの日と変わらぬ海が広がっていた。17年という月日を経て、私は再びここに立って思い返す―――。

 遥か昔、さえ人身御供ひとみごくうという因習の犠牲となった。そしてその報われぬ思いが恨みとなり、さらなる生贄という犠牲者を生み出してきた。 それは確かに陰惨で目を背けたくなる歴史に違いない。しかし、そこには人々の「生きたい」という切実な願いがあり、この村の住人、そして生贄の儀式をしてきた羽村家の人達もまた、その因習の犠牲者だったのではなかろうか。

 村人のその願いを一身に受けていた女将の苦しみは如何ほどのものであったか計り知れない。最期の日、朝から悲しみにくれていた女将が夜になり急に元気を取り戻したのは、ある決心をした故だったのだろうか。

「これでいいんです」と言い、悲しく微笑んだ女将の表情と握った手の温もりが蘇る。

 ここにはもう彼女は居ない。

あの日、自らの命を投げ打って繰り返す忌まわしい因習の歴史に終止符を打ったのだ。

 そして私は救われた。

涙で景色が霞んでゆく。

 私は手折ってきた椿の花を海へ手向けると手を合わせ彼女に祈った。

雪乃さん、どうか今は安らかでいて下さい。

 ―――椿の花は、打ち寄せては引く波の合間に揺られ、いつしか消えていった。

    

               終

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いそめ様 zero @zero107

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