そして私は番頭に促され、彼の住み込む部屋へと通された。濡れた浴衣を脱ぎ新しい浴衣を着て半纏はんてんを上から羽織った。

部屋は静寂に包まれている。

「一体あれは何なんです?」

「一体、何が起きたんです?」

「女将さんはどうなったんです?」私は立て続けに番頭と板前の二人に聞いた。

 机の前に座った二人は俯き、私の問に番頭は重い口を開いた。

「本当にこの度は申し訳ありませんでした」と、先ず番頭は頭を下げて私に詫びた。その後、番頭が話してくれた内容はこうだった。


 事の発端はもう遥か昔の江戸時代にさかのぼるという。この羽村家は当時からこの漁村の地主であり、漁師達の親方の役目を務めていたという。

 ある年、激しい台風がこの漁村を襲い海は荒れ、津波が村へ押し寄せた。浸水し海水に晒された田畑の作物は、ことごとく枯れ作況は壊滅的となり、台風以降、何故か漁に出てもからっきし魚も取れなくなったという。  

 そして徐々に村人達は飢えに苦しむ様になって行った。このままではこの村は飢餓で多くの人が死に絶え壊滅してしまう。そう心配した村人達は話し合いをするべく、この羽村家に集結したそうだ。そして話し合いの末、

「農作物や魚が尽くとれないのは、全て神の怒りのせいだ。神の怒りを鎮める為には村のまだけがれのない娘を捧げるしかない」と結論づけ、

その人身御供ひとみごくうとして選ばれたのがさえという、

ある漁師の娘であった。

 しかしその冴は当時、羽村家の次男である正二郎しょうじろうと恋仲であり、祝言の話も上がっていたのだ。当初、正二郎は冴を人身御供として差し出す事に頑として首を縦に振らず、冴を守る姿勢でいたという。しかしそれから二ヶ月も経ち、更に飢餓が厳しくなり羽村家の蓄えも僅かとなり、正二郎本人も「飢え」を感じる様になったある日、遂に正し二郎は冴を人身御供として神に捧げる事に同意したのだ。

 これに事を急いだ村人達はすぐさま正二郎に冴を羽村家の裏庭に呼び出させた。そして何も知らぬ冴が呼ばれるがままにやって来た所、垣根や物陰に隠れていた村の男達が一斉に走り出て冴を捕まえたのだ。冴は泣きながら正二郎に助けを求めたが「許せ」と言葉を残して正二郎はその場を後にしたという。

 その後、泣き叫んで命乞いをする冴を村の大人達が総出で白装束を着せると縄で縛り、早急に儀式を執り行い、遂に冴の身体に重石をつけて海へ沈めたのだ。

 そして次の日より、願いが神に届いたかの様に漁に出れば魚は取れ、枯れていた畑には作物の芽が出てきたという。それに村人達は神の許しを得たと喜び、そのまま平穏に暮らせるものと信じていた。

 しかし、翌年の正月が開けて間もない頃、浜辺に白骨遺体が打ち上げられたのだ。

 それは骨だけの身体に白装束をまとい、足に縄が絡みついていた。そしてまるで海から這い出てきたかの様に、うつ伏せになり砂浜に爪を立てていたという。村人達は「冴だ!冴が帰って来た!!」と騒ぎ立て、その哀れな冴のむくろを墓地に埋葬して供養した。

 しかしその日の夜の事、骨だけとなった冴が白装束を着た身体を全身濡れそぼらせ

「正二郎…許さん…」

「どこだ…正二郎」と不気味にうめく様な声で、羽村の家の中を這いながら探し回ったという。

それを見た母親は「正二郎!お逃げなさい!」  そう言い僅かな金を持たせ、裏口から逃がしたのだ。涙ながらに背中を見送り、ここに居なければ命は取られまい。そう思ったそうだ。

 しかし冴の恨みは深く強いものだった。

翌朝、起きてみれば長男である正右衛門しょうえもんの姿が忽然こつぜんと消えていた。そして悪い予感がした母親が冴の墓へ走り着くと、埋葬した筈の冴のむくろが墓にもたれ、亡骸となった正右衛門を抱きしめていたという。

 この出来事で村人達はすっかり「冴の呪い」と恐れをなし、話し合った結果、羽村の家が貯蔵庫として使っていた裏庭の地下室に冴の骸を安置して、観音開きの扉を設えると鎖をして錠を掛けた。

 そしてそれを「村の磯辺いそべを守る女神」という意味を込め「磯女様」(いそめ様)と名付け、以降は羽村家の女が毎朝、米と塩と酒を供え供養する運びとなり、有事の際の為に短刀を持たされると、先ずは当時の親方の妻が努め、その後は正右衛門、正二郎の妹である千代ちよが受け継ぎ、それが脈々と現在まで続いていたのだという。

 しかし尚、磯女様いそめさまの怒りは鎮まらず、それ以降も何故か5年毎にその年、初めての時化しけが来る日、錠をしている観音扉は破られ、安置していた筈の磯女様はその姿をくらますのだ。

そしてその夜、どこからともなく現れて羽村家にいる若い男をさらって行くという。昨夜まで居た筈の若い男は忽然と消え、次の日の朝、いつもの様に羽村家の女がお参りすると、破られ開いていた観音扉は何事も無かった様に閉じられ、しかしその前には男が着ていた衣服が海水に濡れそぼり、無惨に落ちているのだという。

 私はにわかには信じがたく「まさか…そんな事が…」と呟いたが、確かに先程この目で見たのは、おそらく番頭の言う「磯女様」の姿だった。

「それでこの羽村の家では5年毎に男を磯女様の生贄にしてきた……と?」

 私が聞くと二人は苦しそうな表情で俯き

「……その通りです。その事については、この羽村の家の者も、村人も皆が胸を傷めておりました。しかし磯女様の呪いから逃れる為にはどうしても生贄を差し出すしか方法は無かったんです……。」と言いい、肩を落とした。

 私は「何か他の方法は無かったんですか?お祓いをするとか、それに5年毎に犠牲者が出ると分かっているなら、その日この家に誰も居なければ良かったんじゃないですか?」と、私は言った。

 それを聞いた番頭は首を横に振り「当然、羽村の者も村人達も同じ様に考えて、ご祈祷やお祓い、その他のあらゆる事を試したそうです。そしてお客さんの言う様に、その日誰もが避難して磯女様の生贄になるのを免れた年もあったそうです。 

 しかし、その後の5年間というもの、多くの村の者が病や怪我、数々の災難に見舞われ、結果多くの死人が出たとの事です。そしてすっかり恐れをなした村の者は、苦渋の決断でまた磯女様に生贄を差し出す事に決めたと言います」

 私はもう何も言えず、ただ番頭の話を黙って聞いていた。生贄を差し出す事を再開すると、村人達はいつしかその頃になると、村の外から若い男を連れてくるようになったと言う。その男達は皆、身寄りが無く消息を経っても探す者の居ない人ばかりだったそうだ。 

 先代の女将がこの羽村の家を民宿にしたのも、おそらく村人が連れてきた男達を宿泊させ磯女様に差し出す為だったのだろう。

 そうして江戸の頃から現在に至る今まで、この村では何人もの男が磯女様の生贄として捧げられて来たのだ。 

 私は「では女将…いや雪乃さんもやはり、その様にここで磯女様に生贄を捧げて来たのですか?」そう聞いた。

 すると番頭は「…はい。雪乃さんも二度、村人が連れてきた男が生贄になるのを、この民宿の女将として見届けました」と苦々しくそう言った。私はそれを聞き衝撃を受けた。

 どうやら雪乃さんは15年前に母親である先代女将が病死し、その後を受け継ぎ女将として務め始め、やっと女将の仕事が板に付いてきた10年前、ついに「その日」がやって来たという。

 次の年には磯女様の生贄が必要となる前年の11月、村人が都会へ行き、家出をして住む場所に困っている青年を住み込みで旅館の仕事をして貰うという体で連れて来て、翌年の「その日」まで従業員として雇ったのだそうだ。

 その青年は一度に住む場所と仕事の両方を手に入れて、たいそう喜んだそうである。女将も「運命のその日」を忘れたかの様に、その日まで懸命に働く青年を温かい目で見守り、まるで弟の様に可愛がったそうなのだ。

 しかし、年が開け残酷にも「その日」はやって来たのだ。

 朝から風が強く吹き、時化しけがやって来たその日の朝、女将がいつもの様に磯女様にお参りすると、磯女様を安置して厳重に閉じられていた扉が打ち開かれ、そこにはある筈の磯女様の姿は無かったという。そしてその翌日、青年が生贄となり忽然と姿を消した客間を目の当たりにすると、女将はその場で泣き崩れ、いつまでも泣き続けたそうだ。それを番頭と板前の二人で「これも全て村人の為」と慰め、何とか立ち直らせたという。

 更に5年後、二度目の運命の日はやって来た。その年も、やはり一度目と同じ様に、前年に村人が都会へと足を運ぶと、犯罪を犯し都会の片隅に隠れるように生きる青年を見つけ、やはり住み込みで働くという条件を出すと、二つ返事で乗ってきた青年を連れて来たのだ。

 そして「その日」磯女様の生贄になるまで働かせ、何も知らぬ青年を磯女様の生贄として捧げたのだという。これに女将は、再び深い悲しみに暮れ、受け継いだ短刀で自らの命を絶とうとしていたという。それを番頭が見つけて何とか思い留まらせ、そして女将はなんとかこれまで、この民宿のあるじとしての職務を務めてきたのだという。

 私は言った。「それでまた磯女様が生贄を必要とする今年、偶然、私が取材でここを訪れ宿泊したという訳ですね」と。

 すると番頭は「……はい。その通りです。本当に沢村様には、お詫びの言葉もございません」と涙を流し、板前と二人で畳に頭をつけた。

 私はそんな二人を見て、もう何も言う言葉も見つからず、すっと立ち上がると「失礼します」と、ただ一言残し、急いで泊まっていた客室へ戻ると服を着替え手荷物をまとめ、まだ海水に濡れた畳に横たわった魚達を横目にして、逃げるように民宿を出た。

 外に出ると夜は明け、早朝の霧に包まれた庭に、赤い椿がまるで血痕の様に散っていた。

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