私はある瞬間、ふと目を覚ました。床に就き、いつの間にか眠っていたのに、何故か突然目が覚めたのだ。そして直ぐに異変を感じた。

 床の間にある行灯あんどんをいつもの様につけて寝たのに何故か消え、部屋の中が真っ暗なのだ。

ひんやりと冷たい空気が部屋を包み、窓は外が結露して真っ暗な海がかすんで見える。

(どういう事だ?)と私は身を起こし、周りの様子を伺った。

 そして、ふと正面を見て驚いた。

壁の前に何故かもう一枚、水の壁が現れ、私はまるで水槽を上から見ている様な不思議な光景がそこにあったのだ。そしてその水が波を立て、暗い部屋の中で陽光が差した様に、その波の模様を後ろの壁に映し出しているのだ。

(これは夢か?それとも寝ぼけているのか?)そう思っていると、波も、聞こえる音も更に大きくなり、次の瞬間、その壁の真ん中にすみを垂らした様に、ぱっと黒い円が広がった。  

 そしてその中心に白い何かが現れ、それは徐々に大きくなってくるのだ。

 私はそれを映画のスクリーンを見る様に、不思議な気持ちで、ただじっと見ていた。

そして気付いたのだ。

――――あの白い物は女だ。

 そう、それは白い着物を着た女が、長い髪を揺らめかせ、壁に出来た黒い円を、まるで水中の真っ暗なトンネルの中を漂う様に、こちらへ向かって浮かんで来るのだ。そこから水滴が落ち、畳を叩く音がする。

 そして徐々に近付いてきた女は、遂にそこから水を破る音をさせ、頭をこちらに突き出した。私の頬に水飛沫が掛かる―――。

 私は底しれぬ恐怖を感じて、その場から逃げ出そうとするも、腰が抜けて動けない。

 すると白装束をまとい、全身ずぶ濡れの女は、ずるりと穴から這い出ると、ずちゃっと鈍い音を立て畳の上に落ちたのだ。


うああああああぅ……


 女はそう低いうなり声を上げ、畳の上に爪を立て、こちらに向かって這ってくる。足には縄が絡んでいて、その身体を引きずるように指の力だけで這ってくるのだ。

 私は恐怖で額に汗を滲ませた。そして次の瞬間、女が異様に大きく口を開け


うああああああああぅっ!!


 そう咆哮ほうこうを上げると、その口から大量の水と魚が吐き出され、畳の上で跳ねまわった。

(助けてくれ!)私は心のなかで叫んだ。

と同時に女が頭を振ると、その濡れた髪が生き物の様に伸びて来て、私の首に巻き付いた。 

 そしてそれは徐々に私の首をきつく締め上げ始めたのだ。私は呼吸が出来なくなり、意識が朦朧もうろうとしてきた。

(もう駄目だ―――)。そう思った時だった。

 部屋のふすまを勢いよく開ける音がした。

そして「おやめなさいっ!!」そう叫ぶ声がしたのだ。(……女将……?)遠のく意識の中で私は思った。すると女将が駆け寄って来て、

私の首に巻き付いた髪の毛を解こうとしているのだ。そして「ごめんなさい!こんな事に巻き込んで、本当にごめんなさい!!」泣きながらそう言うと、帯に差した短刀を抜き、髪の毛を勢いよく断ち切ったのだ。

 私は首を締める髪から開放され、痛みに首に手を遣ると激しく咳き込んだ。と、その時、

女将は女の化け物に向かい「もうこんな事は御仕舞おしまいです!さぁ、喰うなら私を喰らいなさい!!」そう叫んだ。

 すると化け物はまた咆哮を上げ、首を振ると今度は女将の腰にその髪を巻き付けたのだ。

「雪乃さん!!」私は思わず叫んだ。

 それを聞き、女将は私の顔を悲しい笑顔で見ると、その手で私の手を優しく包み「これでいいんです。いつかこんな日が来ると分かっていました。貴方には未来がある。さぁ、お逃げなさい……。」そう言うと、右手に持った短刀を振りかざし「これで最期おわりよ!」そう叫ぶと、化け物に飛び掛かり、その額に短刀を突き刺した――――。その瞬間、化け物は


ぎゃああああああっ……!!


 そう叫んでのたうち回り、そして自分が出て来た穴に吸い込まれる様に消えたのだ。

 私はそれに引っ張られる女将に手をだして叫んでいた。

「雪乃さん!この手を掴んで!!」

 しかし女将は首を横に振った。そして再び穴から伸びてきた化け物の髪が女将の首に巻き付き、その暗い穴の中へと引きずり込んだのだ。

「雪乃さん……」私が肩で息をしていると、

そこへ廊下を番頭と板前が走って来た。

「お客さん!!」そう言い、番頭は暗い部屋を手に持った懐中電灯で照らした。

 そして呆然と立ち尽くす私と、一面海水に濡れた畳、そして死んだ魚達を見て状況を察した様だった。

 「女将が……。」私が言うと、番頭は悲しげにうつむき首を横に振った。

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