Karte.27 PURELAND

 同棲を始めてどれくらい経っただろう?数えることが無くなったのは慣れてきたからだろうかとそんなことを考え始めていた頃。

 なんの変哲もない日々の中、平穏無事に過ごしていて、真実の対岸の悲劇に気付きもせずにいた。

 強いて言うなら数日前に家に帰るとすでに真実は先に帰ってきていて、私が家につき扉に手をかけようとした時の不可解な出来事が、今も頭に残っている。





――――――――――――


「ヒャアッハッハッハ!! 目眩めくるめく暴走にイカれ狂ったヘヴンよ! 最高に美しい世界……俺を何処まで連れていってくれる!?」


「真実? また公演の練習? にしては……」


「いいぞヘヴン! アモンを味方に付けた俺は今、最高に幸せだ! ヒャアッハッハッハ!!」


「こ、こわい……何か違う……」

 そう思った私は扉の前で耳を塞ぎしゃがみ込んで、何かに取り憑かれたかのような雄叫びに恐れ戦いた。

 するとガタンッと大きな音が聞こえた。


「真実!?」

 咄嗟に扉を開けると、座っていた椅子から真実は転倒していた。

「大丈夫……?」

「ハッハッハ! 演技の練習に力が入りすぎた」

 こちらを向いてそう笑いかけた。

 そこにあるのはいつもの真実の屈託のない笑顔だった。

「なんだ……すごい声と音がしたから心配した」

 私は安堵した表情を返した。


――――――――――――


 という出来事があった。

 軽めの朝食をとりながら数日前にあった出来事を思い返していると、寝室から音も立てずに真実が起きてきた。


「おはよう実花、もう起きてたのか」

「ええ、今日で研修最終日だから目が覚めちゃって」

 研修期間が二年というのは少々長いと感じた。資格を取ってから研修を経て晴れて精神科医として就任出来るのだが、私は最短で進んだはずだが、それでもかなり長かった。

 精神科医と言えど、人の命を預かっているというのは医師として噛み締めなければいけないということだろう。

 他の医師に比べて舐められる職業だと聞くが、私はそこで人の命を救うと決意した。カタチは違えど、どんな患者も死と隣り合わせなのは変わらないのだから土俵の違いを笑われようと私は精神科医として全力を尽くす。


「なんか顔が変わってきたな。良い表情してる」

「そう? 真実も公演まであと一週間切ったわね。お互い頑張ろう」

「ああ」


 同棲相手でありながら交際を重ねてきて思うのは、お互いを認め合い称え合う関係性になれたのは真実だからだろう。

 他の相手ならここまでの関係性にはきっとなれていない気がする。

 そんなことを考えていたら、真実が何時ぞやのようにまた唐突たることを口にする。


「なあ実花、PURELANDって言葉知ってるか?」

「浄土じゃない?」

「そう。直訳すると清らかな土地って意味になるんだろうけど、言葉だけ聞くとすごくポップに聞こえないか?」

「確かに……宗教的に考えても極楽浄土は悪いものではないみたいな意味になるからかしらね」

「一見綺麗に聞こえる……いや、綺麗なのかもな」

「どうしたの? 急に?」

「いや八舞さんが演目に入れるときに気になったって話をしてくれたんだよ」

「あなたそれを先に言ってよね」

 彼はいつも前置きが逆だ。一瞬なんでそんなことを言い始めたのかと冷々する。理由さえ聞けば理解はするのだが。


「そろそろ時間じゃないか? 呼び止めるような感じになって悪かったな」

「あ、本当だ! 行ってくる」

「行ってらしゃい」

「真実も今日は稽古でしょ?」

「ああ。帰る時間は同じくらいになりそうだな」

「そうね、それじゃ」

 そう言って私は車で病院へと向かった。彼は八舞さんが車で迎えに来るらしい。





 到着して職員専用駐車場へと停めて、もうすっかり行き慣れた職員専用休憩スペースへと迷うことなく歩いていく。すると後ろから聞き慣れた声で話しかけられた。


「おはよう。実花」

「我生、戻ってきてたのね」

 しばらく東京に出張に行っていた我生だったが、もう何事も無かったかのように当直に戻っていたようだ。

「ああ、昨日の夜にな……何も無かったが……」

 珍しく大きな欠伸をしながら答えた。

「東京でのスカウトの話どうだったの?」

「初めから俺の腹は決まっていた。断ったに決まっているだろ」

「でも相当気疲れしたようね。欠伸が物語ってる」

「なんだ……あのキャバクラというシステムは……酒を飲ませて女の子を横に付けてIQを下げさせれば落とせるとでも思ったのか」


※個人の見解です。とだけ私から注釈しておきます。


「そんな感じだったのね。上の人間もそういうことするのね」

「上だからこそじゃないか? 簡単に考えてるんだろうな」

 相変わらずである。だが、毒はあるものの媚びずに正しい医者とは何かをちゃんと考えている所はやはり信頼と尊敬に値する。

「ただ断って帰ってきたのね」

「いや、案外そうでも無かった。という面白い子に出会ったよ。彼女は必ず大物になる!」

「人を褒めるなんて珍しいじゃない。よほど期待の新人なのね」


 そんな話をしていると我生の院内専用PHSが鳴った。


「どうした? 何……わかったすぐ行く!」

「どうかしたの?」

 緊迫した表情から緊急であることはすぐにわかった。


「身元不明の男性2名が交通事故で緊急搬送されたらしい……研修最終日頑張れよ!」


「あ、ありがとう」

 ちゃっかりしている。兄は自分のことで忙しいはずなのにちゃんと最終日だということを覚えていた。そんな兄を見倣って私も立派な精神科医になると心に誓った。





 研修最終日はあっという間に終え、新館として創設された精神科病棟を下見に行く話があったので見に行ってみることにした。

 歩きながらいろんなことを考える。ここから私は精神科医として新たに歩み始めるんだと高ぶりと緊張が同時に呼応していた。

 見渡してみると壁一面が真っ白だった。患者が落ち着くように全て白に統一しようとこの時に決めた。

「天近……実花さん?」

 若い女性の看護師さんが後ろから声をかけてきた。

「はい、精神科医になります天近実花です」

 私はやっと胸を張って言えると思い、嬉しそうに答えた。

「外科医で看護師をしている中里です。外科医の病棟に今すぐお越しください!」

 急ぎ足で歩きながら話を聞く。大きい病院だと感心している場合では無かった。

「我生先生から与里道真実さんは実花さんの交際相手とお聞きして……」

「真実がどうかされたんですか」

「先ほど、身元不明で緊急搬送された患者さんですが、一人は藤藁夢介さん、もう一人が与里道真実さんでした」

 先の高ぶりと緊張を超えてくる領域で鼓動は音を立てて暴れた。

「真実は無事なんですか?」

「一命は取り留めました……我生先生よりお話がありますので」

 淡々と説明しているが、看護師さんも事務的でないことは表情より伝わった。

 我生が通称ICUと呼ばれる集中治療室の前に立っていた。


「実花、来たか」

「真実は!? 真実は無事なの?」

 必死に私は我生の両手にしがみつき揺さぶった。相当なほど気が高ぶっていたらしい。


「一命は取り留めた。だが、意識はまだ戻っていない」

「そんな……」

 私はその場に肩を落とし、膝から崩れ落ちて、声も出さず物凄まじい勢いで泣き崩れた。

「安心しろ……俺が必ず真実を救う」

 こんな時の兄は強い……崩れ落ちたまま長身の我生を見上げ、唇を噛み締めてコクリと頷く。

「もう一人の藤藁夢介さんは運び込まれた時すでに心肺停止状態で助からなかった」

「ふじわら……ゆめすけ……?」

 私には聞き覚えのない名前だったが、一緒にいたであろう人物として見当がついた。

「八舞士郎……ペンネームだな。本名は藤藁夢介」

 繋がった。あのあとお迎えに来て稽古場へ向かう道中の出来事だろう。

「警察が現場検証をくわしく調べるみたいだが、事故の状況から見て横転による単独事故の可能性が高いらしい」

「単独事故? どんな状況だったの?」

「山道の途中でな……車通りもほとんど無い一本道で目撃情報も無いだろうな」

「そんな……面会は?」

「まだ治療室には入れない……今日はゆっくり休め」





 肩を落としていた私は、我生の言葉を信じて頷き重い足取りで自宅へと戻った。真実の居ない部屋が広く感じた。


 今までひとりでいたほうが長かったのに……。






「真実……」


 悲しみと孤独に空虚な身体が変則的に締めつけられて、絞り出されたかのように慟哭した。

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