Karte.25 evil
食事を終えたあと、洗い物をしながらふと考えていた。
このあと俗に言う同棲カップルは何をするのだろう。
映画なら一緒に見られるだろうか。
真実は台本に目を通していて、時々ボソッと呟くような声が聞こえる。いつもこのような形でセリフを確認をしているのだろう。
「そうだそうだ……もっとくれ……毒素は俺の薬となる」
何やら背筋が凍りつくほど、すごく気がかりな言葉を小さな声で囁いた。
「それ、演目のセリフ?」
私は洗い物を終えた手をタオルで拭きながら、テーブルに座っている真実の台本を覗き込むようにして近付いた。
「ああ。意味が解ればもっと役に入り込めるんだが……」
「我生が良く言っていたわ! すべての物質は毒であり、毒ではない物はない。容量が毒かどうかを決める……元々はパラケルススという医師の言葉みたいだけど……」
「すべてが毒?」
「そう! 用法・容量を守ってくださいと言うのはそのためなんだとか……オーバードーズだったり、薬でないものですら摂取量を超えると毒になることもあるんだって」
「そうなのか……恐ろしいな」
真実は腕を組んでブルブルと身の毛がよだつようにして震えるリアクションを取った。
「私はそれを精神科医的に当て嵌めてネガティブやストレスも、丁度いいスパイスとして取り入れれば薬になるのでは無いかと思っているわ。増大し続けると精神的に病んでしまう」
「なるほど……このセリフはネガティブな感情でさえ自分を奮い立たせる薬にはなり得るが、過剰になるなという意味が隠されている?」
「そんな気がする。人はウォーキングなどで歩くことに快感を覚えたりもするけれど、同時に疲れや体力の消耗というようなストレスは抱えている。生きている以上、ストレスはかかるもの……そこに外的要因の他のストレスが加われば、毒にもなり精神を蝕んでいく」
「与える負荷や考え方次第で毒にも薬にもなるってことか……ありがとう参考になったよ」
「よかったわ」
お互いに土俵は違っても、こうしてそれぞれの仕事や考え方に活かせるのは良い刺激だ。同棲して良かったと思えることのひとつだろう。
「あっ、その話で思い出した! そろそろジョギング行ってくるかな」
「ジョギングしてるの?」
そして同棲すると意外と知らないことにも気が付くものだ。
「ああ、体力づくりで始めたんだよ。演技の幅も広がるしな」
「そうなんだ。ストイックね……私もダイエットしないと」
「いや実花はダイエットなんて必要ないよ。なんなら一緒に走るか?」
「私は今日は研修のおさらいしたいからいいかな」
「お互いストイックだね。初日は自由に行こうか。少しずつウチらの生活をつくっていければいいんじゃないか」
私が悩んでいた同棲カップルの形をたった一言で払拭するように真実は持ってきた軽微なジョギングウェアに着替えながら答えた。
「そ、そうだね。いってらっしゃい」
「行ってくる!」
そう言って真実は部屋を出ていった。私は研修のことで頭がいっぱいだったため、一人の時間はもう一度メモなどを見て研修内容を思い返していた。
真実は帰ってきたあとジョギング中に出くわした、色んな人との出会いのエピソードを話してくれた。
――――――――――――
「可愛いと思って声かけちゃった〜君、高校生?」
「いいえ。中学生です」
「最近の中学生は大人っぽいね〜何? 塾の帰り?」
日常的に声を掛けられているのか当たり前のようにスルーしている女の子に出会ったようだ。
「なんだかいけ好かない人がいるねぇ。試してみようかイーヴィルの実力とやらを……」
そうして、真実は軽はずみで例の薬に手を出したのだった。
「や、やめてください!! 誰か助けて!」
「こんな路地裏に誰も来ないよ〜人が通らない道を使ったのが裏目に出たね」
男は手を引っ張りどこか物陰へと連れ込もうとしていたらしい。
「おっと、君は一体何をしているんだい? 中学生だと知っておきながら……そうか君はロリコンか」
護身術のような軽やかな身のこなしで捕まった女の子から男の手をすっと払い、少しだけ捻りを加える。
「痛っ! 誰がロリコンだ! 痛っ! やめろ……」
「ロリコンそのものは否定しないよ。でも理性を保てないのなら、その感情は要らない」
ソロモンの指輪によって、感情は取り払われていき、男は何も言わずに立ち去った。
「大丈夫かい? 君、どこかで会ったこと無い?」
女の子は引き攣った表情に変わり質問に答えた。
「助けておきながら、新手のナンパですか?」
動揺して目を逸らす彼女の覗き込むようにして見つめ続ける。
「やっぱりそうだ! 零花ちゃんだね。覚えてる? 真実だよ!」
「真実さん……って実花姉ちゃんの彼氏さん?」
「そうだよ! 小学生だった頃に会ったきりだけど随分大人っぽくなったね」
「そうですかね? 顔まで覚えていなくてすみません」
「いや、小さい頃に会っただけだし、無理もないよ。危ないから近くまで送ろう」
「ありがとうございます」
そして真実は零花のことが心配だったため家の方まで送ることにしたようだ。
「へぇ、今日から実花姉ちゃんと同棲始めたんですね」
「そっ! 零花ちゃんは彼氏とかいないの?」
「えっえっ……いっ、いませんよそんなの」
「その動揺……好きな人はいそうだね」
「うーん、でも気になる人なら……」
「どんな子なんだい?」
「それが……人を好きになるという感情がわからないらしいんです」
「僕もだよ。だけど実花を好きになった」
「きっかけってなんですか?」
「わからない……でもその子と僕は何処か似ているような気がするね……好きになった理由を説明できるようになったら教えるよ」
――――――――――――
と、一通り話を聞いたが薬を使用したことはこのときには聞かされなかった。
ただ偶然出会って絡まれていたので助けたということだけだ。
「そんなことがあったのね。零花もひとりで塾帰りは怖いわね」
「ああ……その後は一人じゃ危ないと思って家まで送っていったよ」
「でも人助けなんて意外ね」
「困っている人がいたら放っておけない性格でね」
「まあ、でも物騒な世の中だから、自分の身の危険も気を付けてよね」
「ああ。わかってるよ」
そう、この困っている人がいたら放っておけないという真実の性格がきっと裏目に出てしまったのではないだろうかと思う。
知らない所で彼の暴走はどんどん加速していく。
そして机の上にあった台本を見て聞こうと思って気になったのは『Ⅰ』という表記がされていたことだった。
この物語にはまだ続きがある。
真実は私が台本に視線を向けているのを気にして、手に取り「読んでみる?」と差し出した。交際相手であることの特権だ……公開されていない公演の台本を読むことなど夢想だにせぬ出来事であると理解しながら喉を絞らせ唾を飲みコクリと頷いた。
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