Chapter.Ⅴ 明かされる真実【過去編】

Karte.23 PAST

 これはいつかは話さなければならないと思っていた私たちの過去の話。

 我生や真実本人の話を基に繋ぎ合わせた部分も含めて話していこうと思う。

 天近実花、私が大学卒業後、研修期間修了を経て晴れて精神科医として就職が決まる少し前の出来事。


「人間は未来を先読み出来ると思うか?」

「無理じゃないかしら? 予測は出来ても時間の流れは過去から現在、現在から未来にしか進まない。見えないものを見ることなど出来ないはず」

 待ち合わせ場所で出会って早々、奇怪な言動を放った彼、真面目そうだが陽キャにいればモテそうなのに陰キャに身を置いているようなちょっと控えめな好青年。

 与里道真実よりみちまことは私の交際相手で、突拍子もない哲学的なことをいきなり聞いてくる人間だ。

 兄の影響もあってか、そんな話に付き合うのは嫌いじゃないので、こういった話には乗っかることにしている。

「確かに時間の流れは実花の言う通り一定の方向に進んでいる。だがそれは時間という概念が邪魔をしているからだと思うんだ」

「なるほどね。じゃ、実は逆に流れているということかしら?」

 なんとなく知ってはいるが、着地点を聞きたくて私は話を続けるように促す。

「そうだ。今この瞬間にも未来が現在に変わり、現在だった出来事が過去に変わっていく。過去が未来に向かっているのでは無く、未来だったことが一瞬で過去になっていくんだよ」

「それと先読みの話がどう関係してくるのかしら?」

 そこには少し興味がある。彼の話は一体どこに着地するんだろう。

「つまり、変わっていく一瞬の未来をミクロに考えて、マクロとミクロを瞬時に行き来してほんのコンマ何秒の世界を予測する。例えば……」

 そう言って、彼は周囲を見渡して一人の人間を指差した。

「あの人は携帯電話で時間を確認する」

 すると本当に指し示した人間が携帯電話を手に取り時間を確認した。

「どうしてわかったの?」

「単純に腕時計を確認する仕草をしたからだ。でも彼は腕時計をしていなかった。付け忘れて来たのにも関わらず、いつもの癖で確認してしまったんだろう」

 それが彼の言う腕時計を確認したというミクロから、時間を気にしているというマクロへ移行して未来を予測するということらしい。

「確かにね。推測の延長ではあるけれど、鍛錬次第では先読みに近いことは出来るかもね」

「だろ? 具体と抽象、一見すると正反対に属する二項対立を限り無くゼロ地点に近付ければ近いことは出来るはず」

 彼はそう言って、人差し指で鼻の下をこすりドヤった顔をした。

「それでも遅刻は予測できなかったの?」

 そう彼は、遅刻してきた待ち合わせ場所に来て早々、そのことを話し始めたのだった。

「昨日、台本を読み込んでしまって……起きれないと確信した。だからいつも予約でいっぱいのカフェを数日前に予約したよ」

「え!? 本当!? じゃ、許してやろう!」

 私は遅刻してきたことを一瞬で忘れるほど喜んだ。

 そのカフェはいつ行っても予約しないと入店出来ないと話題の紅茶もケーキも美味しいカフェだったからだ。

 確かに昨日という出来事に対して数日前に予約するという行為は、相対的ではあるがこの時期は台本を読み込んでしまうという未来を先読みしているかのような行動だ。

 そうそう、彼は『劇団リメンシ』という所で劇団員をやっている。

 現実と虚構、現世と異次元、そんなものを曖昧にしてしまうような不思議な世界観を持った劇団に所属している。

 劇団などに興味は無かった私だったが、大学時代の友達に強引に誘われて見に行ったとき、特に彼だけ異質を放った存在だったのを覚えている。

 まるで人格が入れ替わったように感情を操り、何かに取り憑かれたような華麗な演技。

 私は一気に彼に夢中になっていき、いつしか人間として好きになっていった。


「次にやろうとしている劇が『Amon』っていう演目で悪魔を題材にした現代劇なんだけど、読んでいるだけでハラハラするよ」

 彼はケーキを口に運んだフォークでジェスチャーを交えながら嬉しそうな顔で話した。

「へぇ。どんな話? 真実に適役なのは言わずもがなだけど……」

「道で偶然ソロモンの指輪を拾った若者が、過去と未来の知識を与えて、人間同士の不和を招いたり逆に和解させたりできるっていう悪魔Amonを召喚して、人間とは何なのかを探っていくサスペンス戯曲って感じかな」

「やっぱり異質よね。真実の所属する劇団は、毒にも薬にもなる劇薬を飲んだような気分になる」

「言い得て妙な喩えをするな。脚本担当している代表の八舞やまいさんもきっと喜ぶよ」

「公演楽しみにしているわ」

 こうして彼が劇団の話を楽しそうに語る姿がたまらなく好きだった。

 だけどこの公演は初日を迎えることなく延期となってしまう。

 ある事件をきっかけに……。


「実花もそろそろ精神科医として活躍できる日も近いんだろ?」

「ええ。そろそろ臨床研修が終わるからね。我生の病院で精神科を新設することも決まっているから」

「もう順風満帆じゃないか」

「お陰様で! 我生が新設の話を掛け合ってくれたみたいで」

「我生はやっぱりすごいよな。実力だけでのし上がった男って感じ! 大学病院とは言え、あれだけの技術と頭が良ければもっと上を目指せるのに……」

 

 こんな当たり前の日常がずっと続くものだと思っていた。

 私は精神科医を目指していた身でありながら、彼の異変に気付くことが出来なかった。不思議なもので……私の前でこそ彼は自然な笑顔を見せる。

 当たり前といえば当たり前の行為なのだが、気付けなかったということが何よりもの後悔だ。私には心配かけさせまいと、相談はしなかったのだろう。

 或いは、私が精神科医でなければ……単なる恋人だったなら、彼は私に相談しただろうか。そんなことすら頭を張り巡らせた。


「なあ。そろそろ俺たち同棲を始めないか?」

「貴方は、そういうことも唐突に言うのね」

 節目の何かはちゃんとした前置きや環境をある程度は用意してほしいと思うのが女性の本音では無いだろうか。

「なんかまずいか? 少しでも一緒にいたい。独り大好き人間な俺が一緒にいたいなんて感情を抱いたのは実花が初めてだ」

「いいよ。私もそのほうが楽しいし、気が楽だから」

 不器用ではあると思ったが、嬉しいことを言ってくれる。多分彼のそういう感情も症状の一つなんだろう。私と出逢わなければこんな感情を抱かなかったという話も何度も聞いた。

「明日も朝早いのか?」

「そうね。研修も最終段階だし……」

「今日は早めに切り上げるか」

「そうね。気を使ってくれてありがとう」

 早く同棲したいと思ったが、恥ずかしさのあまり出かけた言葉を飲み込んだ。


 証言などを基に話を擦り合わせた結果、恐らくこの日に真実はジョーカーとオンライン診断という形でコンタクトを取ったと思われる。


真実は自宅にて自分の症状を調べていて、オンライン相談というリンクに辿り着いたらしい。

 チェック項目をすべて入力して送信ボタンをクリックした。


 そこで彼も景くんと同様に離人症性障害の可能性があると診断され、ジョーカーとコンタクトを取った辺りから非ぬ方向へと話は進んでいく。


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