Karte.20 Lotus bloom

 景の母親がやってくる当日……

 精神科病棟で実花はソファに腰掛けたり、デスクに向かい意味もなくノートパソコンを開いたりと、意外にもそわそわしていた。


「どうした? 珍しいな……そんなに動揺して」

「何かしらね? 私にもわからないけれど、なんか落ち着かないのよね」


 昨日の景の事実を知ってしまった以上、一人では対応しきれないかもしれないという不安と、終えたあと気持ちの整理が付かないと考え、我生にも付き添ってもらうことにしていたのだ。


「とりあえず、景くんの母親との対応に専念しよう。昨日のことはとりあえず内密にして、あとで方向性を考えれば良い」

「そうね」

 実花は我生に宥められ、自分に言い聞かせるようにして納得した。


「黒岩博士にも協力を仰いでおいた」

「ありがとう。心強いわ」

 黒岩博士とは黒岩純司という我生の恩師であり、現在は米国で最先端医療の研究をしている。

 過去にも何度となく真実の件などを調べてもらっていた二人にとって信頼できる存在だ。


「そろそろ、来る頃かしらね」


 すると扉をノックする音が聞こえた。

 いつもより静寂であるが故、ノック音が大きく鳴り響いて感じたのと同時に、景と同じく母親も時間には遅れてくることは無いという状況が、張り詰めた緊張とリラックスを調和させた。


「どうぞ」


 音を感じさせないほど静かに、まるで音の波形を操るほどしなやかに扉を空けて入ってきたその姿に、二人は時が止まったように釘付けになった。


「はじめましてですね。忍夜景の母、忍夜茉莉おしやまりです」

 二人の目をしっかり確認し、深々とお辞儀をした。

 蓮の花をあしらったヘアピンが窓から射し込む光に反射して美しく見えた。


「はじめまして。私は当院の精神科医・天近実花です」

「同じく、当院の外科医をしている天近我生です」


「外科医の方ですか?」

 茉莉は幾らか驚いた顔をして首を傾げた。


「景くんとも面識はあって、知識は豊富なので精神科医とは違う立場からケアや補助したりしています」


「なるほど……」


 茉莉は羽織っていた上着をそっと脱いだ。


「あ、お預かりしますよ」

「すみません。ありがとうございます」


 実花は壁掛けのフックからハンガーを手に取り、上着を預かった。

 その時に、茉莉は後ろで手を組み肩甲骨を伸ばすような仕草をすると、より胸が強調されるような姿勢になった。

 すると我生と目が合い、少し首を傾けて目をくりっとさせて、きょとんとした顔をする。


「……?」


「さあ、どうぞお座りになってください」


 実花の病棟の机は角の無い円い机であるため、三角形に向かい合う形で椅子が配置されていた。

 机が円いのも患者に圧迫感を感じさせない配慮だろうか。


「改めまして。わざわざお越し頂きありがとうございます」

「いえ、こちらこそ挨拶遅れて申し訳ありません。やはり景の口からでは無いことも知っておいたほうがよろしいかと思い……」


 失礼だとは理解しながら、しばらく実花は茉莉のことを見つめてしまった。


「随分とお若いですよね? てっきりお姉さんかと……」

「よく言われます。でも景はハタチの頃に産んだ子なんですよ」

 茉莉は終始やわらかい笑顔のまま会話をする。


「驚きだな……ってことは俺と同い年くらいか」

「いや、貴方も見た目若いのよ。私と年が離れてることに毎回驚かれるんだから」


 実花は年齢の話になると形相が変わるように声を張り上げることがある。


「そうだな! 八歳離れ……」

「それ以上は言わないでいいのよ!」

 食い気味で実花は話を遮った。


「茉莉さんに年齢聞いておきながら……」

「とにかく! バレたくない領域があるでしょ!」

「高次元の話か……」


 これ以上は触れないでおこう。


「すみません。こちらお口に合うかわかりませんが……」


 そう言って茉莉は手に持っていた紙袋から菓子折りを差し出した。


「わざわざありがとうございます」

「ご存知ですか? コホンッ! マスターマインド」

 咳払いをしてヘアピンを少し直すような仕草をする茉莉。


「近くの有名なカフェのお店ですね」

「我生もたまに行ってるお店ね。私は珈琲をあまり飲まないけど」

「ここは紅茶もすごく美味しいですよ。そちらも茶葉のクッキーでして……」

「そうなんですね! 紅茶は好きなので今度行ってみます」

「是非」


 実花は紅茶の用意をしながら、貰ったお菓子をデスクの引き出しへそっとしまった。


「景くんも話せる範囲で色々お話してくれました。茉莉さんもどうか無理のない範囲でなんでも聞きますよ」


「今思うと……コホンッ! わたくしは利用されているんですよ」

「どういうことです?」


 入れた紅茶を机に並べながら実花は話に気に入った。


「虐待の話は聞いてますか?」

「はい。お聞きしてます」

「わたくしも大変話しにくいのですが……コホンッ! 子供なんてきっと作る気無かった」

「だからって虐待して良いと言う訳では……」

「コホンッ! 彼は幼少期の頃に消息を経ったので景は虐待の記憶は有っても顔は覚えていません」

「辛い記憶だけが残ってしまったのね」


 我生は実花に対話を任せ、ひたすら聞き手に回っている。

 時々、茉莉に目を合わせて持ち前の分析力で何かを考えているようにも見える。


「そのあと学校でもいじめにあって……帰ってくるなり、コホンッ! 監視や盗聴をされているって……」

「景くんがそう言ったんですか?」

「はい。それはきっと物事を俯瞰して見ている自分のことなのでしょう」

「それが、離人症性障害のきっかけなんでしょうね」


 そして実花は話を聞きながら別のことが気になって、黙っていようと思ったが切り出した。


「茉莉さん? たまに咳払いのような症状がありますが……」

「癖なのかたまに話すと出てしまいます。特に言い難い話をするときなどに……」

 そう言って我生のほうにも目を向けた。


「ストレスなどでそういった症状も出ることあるのでどうか、ご無理なさらずに」

「ありがとうございます」


 ほんの一瞬だけ無言が訪れ、黙っていた我生が口を開く。

「あまり話さないほうが良さそうだな。連絡先を交換しましょう。時間をかけてやり取りしたほうが良い」

「そうね。私もそのほうが良いと思うわ。辛そうですしね」

「ありがとうございます」


 話がある程度進んだところで連絡先交換をしていると我生のスマホが鳴った。


「ちょっと失礼します」


「もしもし、ご無沙汰しております」

「先程、メール確認したよ。こちらも色々調べてはみるとしよう」

「ありがとうございます」

「それで、折り入ってこちらからのお願いなんだが……」

「わかりました。」

「いや、助かるよ。じゃ頼んだよ!」

「はい……はい……失礼します」


「黒岩博士かしら??」

「ああ、まだ調べは付いていないようだが……こっちで講演会が予定されていたみたいだが、三日後にイギリスに出張になったらしく代わりを頼まれた」

「それで二つ返事で承諾したの?」

「ああ」

「軽く言うわね」


 茉莉は壁の一点を見つめながら二人の会話を聞いていた。


「二日後に皇海すかい高校で講演会をやる」

「皇海高校は景の通っている学校です!」

「あら偶然ね。しばらく会っていなかったので、こちらからも景くんの様子を見に行ってみます」

「ありがとうございます! 私はそろそろ失礼しますね」

「いえ、こちらこそ今日はありがとうございました」


 茉莉は上着を羽織ってまた深々とお辞儀をして帰っていった。


「大変そうね。茉莉さんも……」

「忍夜……茉莉……か」

「どうしたの? まさか変なこと考えてないでしょうね」

「まさか……蓮の花のヘアピン綺麗だった」

「貴方ねぇ!!」

「花言葉は、清らかな心、離れゆく愛」

「意味あったのかしら?」

「もしくは……極楽浄土」

「縁起でもないこと言わないでよね!」

「冗談さ……学会と講演会があるからそろそろ業務に戻るよ」

「……今日はありがとう」

「また何かわかったら連絡する」


 そう言って我生は診察室を後にした。



――――――

「ルーシーか? 俺だ。少し頼みたいことがある」

「おひさー!! 我生ちゃんから電話くれるなんて珍しいじゃん!! どしたの〜??」

 彼女はアメリカ人と日本人のハーフで金髪ロングヘアにきりっとした眉に澄み切った目をしていてハリウッド女優のような見た目だが、喋るとひとたびギャルになる。

「お前のその喋り方はどうも調子が狂う。頭良いんだからもう少しまともな喋り方をだな……」

「あれ〜?? それが人にモノを頼む態度かなあ??」

「くっ……」

 意外と手の平で転がされている我生も珍しい。

「すまなかった……とにかく調べてほしい」

「は〜い! ルーシー頑張る!」

 頭も良く我生は彼女を信頼しているので、重要な頼みごとがあると大抵彼女にお願いをする。

 どうやら我生には先を見据えて何か勘付いたモノがあったようだ。

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