Karte.19 連鎖

「あ、瑠璃羽ちゃん!」


 瑠璃羽は帰宅途中、後ろから声をかけられて振り返った。


「明快くん」


「今日は零花と一緒じゃないのか?」

「急いでるから別の道で先に帰るって。明快くんこそ、景くんは?」

「オレはいつもそこの手前の道で別れるんだけど……瑠璃羽ちゃんこっちの道なのか!」


 あんなにも大きな家で近所にあれば目立つのに、知らないということに心底驚いた。

 やっぱり明快は心の声も聞こえてこないし他の人とは少し違う。

 そんなことを考えながら、普段改めて話す機会も無いので話しながら帰宅する流れになった。


「へぇ! 建築家の親ってやっぱり忙しいんだな」


「どうなのかしら? 忙しいフリをしているのかもって思うときもあるけど」


「お母さんは?」


「あの人も夜勤ばっかり。元々は同じ建築業界で働いていて、子育ての関係で清掃員になったんだけどね……わざと夜勤を選んでるのかも」


「なんか複雑だなあ」


「家にいるのが嫌なのよきっと……あんな無駄に大きな家建てておいて」


 瑠璃羽は明快から心の声が聞こえないからか、心が開放的になり自然と他人に話したことのないことまで無意識に話してしまっていた。


「親がいるだけまだいいじゃん! オレは両親いないんだ! 父ちゃんは小学生の頃に事故で亡くなっちゃったし、母ちゃんも中学の頃に事件に巻き込まれて、今は俺の弟と母ちゃんの兄貴と暮らしてるんだ!」



 そこまで波瀾万丈の人生ならば、少なからずネガティブを抱えていても不思議ではない。

 瑠璃羽は心の声が聞こえるようになって、人のネガティブは嫌ってほど聞いているのに、明快からは全く聞こえてこないのがどうも不思議で仕方がなかった。


「そうなんだ……ごめんね思い出させちゃって」


「大丈夫! 辛くないって言ったら嘘になるのかな! よくわかんないけど、その度に覚悟は決めて生きてきたから」


「どうしてそんなに強くいられるの?」


「わかんねぇ! 心が死んじゃってんのかもな」


 そう言って明快は笑っていたが、負の感情が聞こえてこない瑠璃羽には、笑っている顔が辛さを隠した表情なのかまでは見抜くことが出来なかった。

 本当に辛くないのだろうか。


「そんなこと無いと思うけど……」


「あ、オレこっちだから、じゃあな!」


「う…うん。じゃあね」


 明快と分かれ道で振り返ったあと、自然とアビスと瑠璃羽は目が合った。


「やっぱり明快くん、何か不思議なモノを持っている」

「……ふふ……気になるねぇ……気になるのかしら?」


 瑠璃羽は再び首を振りアビスを睨んだ。


「知ってるの?」

「……さあねぇ……全てを見通せるわけでは無いわ……」


 知っていたとしても素直に教えてくれないのは解っていた。

 


 やがて夜は静まり返り、それぞれが読書をしたりして家で過ごしている時間だろう。


「もうこんな時間か……少し休憩するか」


 学会の発表が近付いていた我生は、集中しすぎてお昼を食べるのも忘れるほど休むことなく資料をまとめていた。

 気分転換にコンビニに行こうと、部屋着の上にグレーのロングチェスターコートを羽織り外へ出た。

 駅近くの高層マンションに住んでいて、歩いて行けるほどの距離にコンビニはあるが、週末ともなると駅の近くには飲み屋街があるので騒がしい声を掻い潜らなければならなかった。


「最近の若いのはよぉ……付き合いが悪いんだよ! もう一件行くぞ! そんなだから営業も取ってこれねんだろうが!」

「いや、あのでも僕もう飲めないですし……」

「あぁ!? 生意気言ってんじゃねぇよ!」


 我生は一瞬目を閉じてやれやれと言った顔をして見て見ぬふりをした。


「そのへんにしときなよ。嫌がっているのに」

「ああ!? なんだてめぇは……関係ない奴は黙ってろ!」


 酔っぱらいなんて放って置けば良いのに……。

 そう思いながら目をやると、思わず二度見をしてしまうほどに驚いた。


「景くん!?」


 止めに入っていたのは凄く冷静な眼差しで酔っぱらいを見つめている景だった。


「てめぇよく見たらガキだなぁ」


 即座に止めに入ろうと思ったが、道路の反対側だったため、信号を待たなければならなかった。

 酔っぱらいは景に殴りかかろうとしていた。


「まずいっ!!」

 大声を出して止めに入ろうとしたその時だった。

 景は顔つきを全く変えずに冷静に酔っぱらいのパンチを交わした。

 酔っぱらいはよろけて殴りかかった手から先に滑るように倒れこんでしまった。


「貴様……何しやが……」

 抵抗して立ち上がろうとする酔っぱらいのおでこに黙って握り拳を翳した。

 まるで一瞬の出来事だった。

 秒を数える時間があっただろうか、全員時が止まったように固まった。


「すまない……言いすぎた。お前には一人前の営業マンになってもらいたいんだよ」

 急に酔っぱらいが優しい笑顔になったのだ。


「何が……起きた?」

 我生はその場に立ち止まったまま驚いていた。


「よくわからないけど、ありがとうございました!」

 営業マンは景に深々とお辞儀をした。


「いや、耳障りな悪魔の声がしたんでね……」


「良ければ……お名前だけでも……」


「メフィスト」


「メフィスト??」

 酔っぱらいの上司も営業マンもぽかんとした顔で、背を向けて帰っていく景を見つめながら声を揃えて首を傾げた。


「メフィストの正体は景くんなのか……不本意だが後をつけてみよう」

 我生は声をかけるのをやめて景の後をつけてみることにした。

 すると景は人気の無い路地裏へと入っていた。


「これ以上は近付けないな」

 路地裏手前でちょうどよく隠れられる看板を見つけたので様子を伺っていた。


「エデン……やっぱりここに来れば会える気がしたんだ」

「順調に……悪魔蒐めをしてくれているみたいだね……嬉しいよ」


「一体、誰と話をしているんだ??」

 我生にはエデンの姿は見えていないので、景は独り言を言っているようにしか見えなかった。


「もう少しヴィランが欲しい」

「いいよ……今のところ上手く使えているみたいだね……理性を保ってしっかりね……君なら安心して任せられるよ」


 話を終えて我生のほうに近付いてきた。

 咄嗟の判断で顔を合わせないように後ろを向き上手く交わした。


「もしもし俺だ」

「我生、こんな時間にどうしたの?」

「実花……さっき景くんを見かけたんだが、どうも見た俺も理解が追いつかない」

「何が?」

「例のメフィストの正体だが、恐らく景くんで間違いない。夜に徘徊して患者や困っている人を救済しているようだ」

「何よそれ……やっぱり真実の時と一緒じゃない! しかも景くんだったなんて……ここ数日も受診をキャンセルしてきた患者がいたわ」


 二人とも理解が追い付かず、しばしの沈黙が流れたが会話こそ至って冷静だった。

 まるでお互いの心臓が共鳴しているから全身に爆発的な鼓動が鳴り響いているのでは無いかと錯覚するほどに強く高鳴っていた。



「確か、真実も見えない誰かと話していたって言ってたよな? 景くんもエデンと呼んでいる者と接触をしていて、もう少しヴィランが欲しいと言っているのが聞こえた」



「真実のときはヘヴンとイーヴィルだった! こっちからも伝えたいことがあるんだけど、明日診療はお休みなんだけど景くんのお母さんが訪ねてくるのよ」


「この話は……」


「とりあえずしないほうがいいわね。どんな親かわからないけど、混乱を招く可能性がある」


 偶発を装うように必然が連鎖して動いていく世界が、ただ悪戯に過ぎていくのを二人は感じていた。

 そろそろ真実の話をする必要がありそうだ。

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