Karte.16 利己的な遺伝子

 景がエデンと契約を交わしてから1週間ほど経っていた。

 悪魔蒐めというものがどういうことなのか……そもそも悪魔とはいったい……依然としてそれすらも掴めないままだった。


「今日は同好会の日だね」


「そうだな。オレもそろそろ小説とかに手を出してみようかなあ」


 景と明快が窓際の後ろの席で話をしていると、零花が瑠璃羽を連れてやってきた。


「ねぇ、景と明快! 今日の同好会に瑠璃羽ちゃんも連れて行ってもいいかな?」


「全然、構わないよ」


「オレも構わないぜ! 情報共有するのは多い方が良いしな」


「ありがとう」


 瑠璃羽は少し恥ずかしそうに返事をした。


「そうと決まれば、また後でよろしくね」


 こうして、瑠璃羽も放課後の図書室に集まることになった。


「へぇ、瑠璃羽ちゃんも本読むんだね」


「うん。家に帰ってもやること無いから」


 そして決まって明快が話を仕切ろうとする。


「それじゃ、みんなの話は今度にして今回は瑠璃羽ちゃんの読んでる本の話を聞く会にしようぜ」


「いいね。瑠璃羽ちゃんは今、どんな本を読んでいるの?」


 二人の問いかけに瑠璃羽は少しソワソワしているような様子で口を開く。

 意外と照れ屋なようだ。


「わたしは、利己的な遺伝子という本を読んでいる」


もそれ気になって、読もうと思って保留にしていたやつだ」


「ちょっと待って! 話関係ないけど景っていつもって言ってなかった?」


 瑠璃羽の読んでいる本に真っ先に反応したのは景であったが、零花は景の一人称にひっかかったようだ。


「確かにぼくだったような気がするな」


 続けて明快も反応する。


「そういえば……変かな?」


 どうやら景自身も無意識だったらしい。


「変じゃないけど……気になったから」


「寧ろ、そっちのほうがいいじゃん!」


 二人とも思春期による変化として受け止めてはいるが、ヴィランによってメフィストが浸食しはじめているのか真偽の程は定かではない。


「あ、ごめんね。瑠璃羽ちゃん話を続けて!」


「そう、利己的な遺伝子という本を読んでいて……」


 自身に戸惑い、世間に疑問を持って生きてきた二人には、人間とは何か?だったり、生きていると自ずと辿り着いてしまう生きる理由のような考えから、引き寄せられる作品が似ているのかもしれない。


「意外と二人って共通点あったりしてな」


「確かに景と瑠璃羽ちゃんって好きになる作品の傾向は似てるのかもね」


「あれぇ? 零花ちゃん妬いてる?」


 明快が茶化すように冷ややかな笑みを浮かべている。


「そんなんじゃないよ! 本の話しよう!」


 動揺しているのか、零花は少し声を張り上げてしきりに話を戻そうとした。


「瑠璃羽ちゃん話を続けていいよ」


 零花は景にアイコンタクトで、目をキリッとさせてナイスフォローという合図を送った。


「元々は進化論とかそういったものに興味があって読み始めたんだけど、進化論を遺伝子という視点から捉えていて、凄く読み応えがある」


 景はあまり口には出さないものの、眼光から伝わってくる興味関心は尋常ではない。


「凄く難しいこと言うけど、みんなそういうの平気?」


 瑠璃羽は周りのご機嫌を伺いすぎるくらい相手のことを考え過ぎて、何も言えないタイプなのであえてお伺いを立てた。


「大丈夫! そのための同好会だよ。聞かない人間はいないから」


 透かさず零花がその心配を払拭した。


「ありがとう。ダーウィンの進化論って聞いたことある?」


「多分、この中では景しかわからないかもね」


 零花は景から一度だけ聞いたことがあるという程度の知識しかない。


「それなら世界の教養で読んだな。ダーウィンの自然選択? とかってやつ。あの本はそこまでくわしくは書かれてないんだけど……」


 明快も知識として入っている程度だった。


「簡単に言うと、生物が進化の過程において、他の生物との生存競争のために、子孫を残す上で有利な個体、不利な個体が突然変異などで産まれたとき、最終的に不利な個体が滅んでいく理論のことだよね?」


 景が付いていけなさそうな二人に補足説明を加えた。


「そう。例えばどうしてキリンの首は長くなったのかなど、ダーウィンの進化論では景くんの言っているようなことが書かれているんだけど、そこに遺伝子の話が加わっているのが利己的な遺伝子なんだけど更に複雑なの」


「ふむふむ」


 零花と明快は少し目を光らせて聞いている。

 同好会のメンバーは決して興味が無いなどとは口にせず、他分野にも興味を示してくれるのでとても話しやすい。


「進化論は個体という生物の視点から書かれているのに対して、この本では遺伝子は本来利己的でありながら、生物は個体としては利他的な行動を取るということが書かれているの」


「利己的……利他的……初めて聞く言葉すぎて頭がこんがらがるな」


 普通に生きていれば明快の示す反応は正しい。

景は聞きながら、うんうんと頷いている。


「わかりやすい例が、ミツバチなんかは働き蜂が女王蜂を守ろうとしたり、子孫繁栄のために自己を犠牲にする行動を取るのは、遺伝子からすると己の利益のため、つまり利己的な行動、でも生物単体からすると、自分を犠牲にしているから他者の利益である利他的な行動ということになる」


「ああ。なるほど、わかってきた」


「うーん、オレもなんとなくって感じかな」


 零花も明快も本質には気付けていないものの、掠る程度で理解をしているようだ。



「個体としての利他主義と遺伝子としての利己主義がイコールであるということ?」


「そういうことだと思う」


 景は興味のある分野として精通しているだけあって、理解するのは早い。


「そして、わたしは作品において自らの解釈を残すようにしているから、ここからはわたしの解釈の延長にはなるんだけど、人間も本来は同じなのよ。でも、時として人間は感情が邪魔をして禁忌を犯す。親の子殺しや、本来バトンを渡すはずの若者の可能性を潰すといったように……」


 聞いていた三人は背筋が凍りつくほどにゾクッとした。


「すごく深い……理性とか本能と呼ばれていることは最終的に遺伝子に帰結するのね」


「理解はしたいが、ややこしすぎるぜ」


「次の同好会の時までに、この話を自分なりの言葉にまとめてくるってのはどう?」


 景がみんなの理解と刺激を煽るために課題を出した。


「いいね」


「よし!そうしよう!」


「じゃ、今日は解散かな」


「聞いてくれてありがとう」


「すごいわかりやすい説明だったよ。また聞かせてね」


 満場一致で決まった。

 このような刺激のある日々、それだけで生きていける。

 でも、人はどこか物足りなさを感じてしまうこともある。

 人間の欲望というものは…。

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