第7話 えんぴつの届け先


 好物の甘酸っぱい実に似た綺麗な赤色を見つけたのは、森に棲む幻獣だった。

 興味はあれど不思議な気配がして触れずにいると、近くの集落の子供が互いに追いかけ合いながら幻獣の前に転がり出てきた。

 人の子だ。

 少し前まで、人は幻獣たちにとっては道端の草のような存在だった。踏み躙っても気にもならないが、煩わしければ刈り取るような。

 けれど今は、特にこの魔法伯家の領地では、人と幻獣は隣人である。


「これは何か、知っているか?」


 問われた子供たちは緊張を見せながらも怯えたりはせず、恐る恐る、ひと抱えもある赤い何かを探った。


「これ、鞄です。何か中に入ってます」

「人のものか」


 野の幻獣は鞄など持たない。


「では、人の持ち主を見つけるといい。きっと大切なものだ。そう感じる」





 子供たちは鞄を家に持ち帰り、両親と一緒にそっと中身を確認した。変わった形をした子猫の腹のように柔らかな人形にひとりは夢中になり、もうひとりは、ぎっちりと詰まった中身にうかつに触れないと手を止め、親と揃って困った顔をした。


「こっちの隙間にも、何かある……あ、鉛筆だ!」


 子供たちは顔を見合わせた。

 鉛筆。この前集落に来たコセキを作る役人が使っていたものだ。魔法伯は子供には無条件で与えよとおっしゃるのだと、集落の子供たちは一本ずつ、その魔法のような筆記具をもらった。

 だから子供達は、それぞれ鉛筆を一本ずつ持っている。

 けれど本当は、とても貴重なもののはず。

 一家は鉛筆を戻し、抱き締めていた人形もそっと戻して、鞄の蓋を閉じた。




 一家の父親が、ちょうど出稼ぎに出るという友人と共に大きな町まで鞄を届けることになった。人は隠れ住んでいた岩山や谷から少しずつ離れ、幻獣と相談した決まり事に沿って道を作り、畑を作り、町を作っている。町には仕事があり、働くことができ、報酬を貨幣で受け取り、食べ物や道具を買うことができる。

 なにより、堂々と頭上を遮るものがない道を歩き、平らな土地に住みやすい家を作り、大きな声で笑うことができる。

 すべて、人と幻獣の架け橋となってくれる魔法伯のおかげだと、二人は道中よく語り合った。




 大きな町の役所で赤い鞄を見せると、役人たちは困惑顔になった。


「確かに鉛筆は貴重だが、だからといって……」

「魔法伯家の方たちがそちら方面に出かけられたとは聞かないしなあ」


 だが、役所の長がやってきて、はははと笑い飛ばした。


「どう見ても普通の品じゃない。お尋ねしてみればいい。魔法伯様はそんなことで叱ったりはなさらないさ。さて、届けてくれた功労者の名前をここに、おや、もう子供二人の名前は書いて来たんだな。偉いな、自分で名前が書けるのか。ならばお礼をいただけるとしたら、子供たち宛になるだろうな」


 長は父親が持参した紙代わりの葉っぱを受け取り、たどたどしい子供の筆跡に並べて父親の名と集落の名を鉛筆で書くと、赤い鞄と一緒に預かった。


 もうひとつ隣の大きな町の役所の長が、魔法伯の屋敷へ息子を働きに出すと聞いていた。間に合えば、その子に直接届けてもらうこともできるかもしれない。

 祝いの品を見繕って早速今晩行ってみよう、と長は算段した。よいところに雇っていただけたと喜ぶ泣き上戸に付き合うはめになるが、こればかりは甘んじるほかない。酒の付き合いにいい顔をしない妻も、魔法伯への届け物だと言えば、快く送り出してくれるはずだ。




 青年は、大きな屋敷の門前で一度足を止めた。婚姻を機に魔法伯に叙され、同時に幻獣王に祝いとして賜ったという屋敷だ。想像したほど大袈裟でも厳めしくもない。明るく、居心地が良さそうだ。

 ただ、辺り一面に強い幻獣の祝福の気配がした。

 怯えて暮らしていたのはもう何年も前のことなのに。気を抜くと反射的に逃げ出しそうになるのを、深呼吸して落ち着かせる。

 怖がる気持ちはどちらにもある。ゆっくり慣れていけばよい。そう人と幻獣に繰り返し伝えているのも魔法伯だ。その言葉に青年は希望を見た。


 静かに門から覗くと、見通しの良い庭がある。

 そこを駆け回る子供たち。それを見守る使用人たちと、気配を抑えた幻獣たちがあちらこちらに。


 いや、今自分と同じく門から覗いている幻獣がいないか?

 青年はぱっと横を向いた。すぐ隣に青年の三倍は背丈のありそうな立派な獅子が見えた気がしたが、瞬きの内に消えてしまった。

 ごくりと唾を飲む。見間違いに違いない。

 獅子型の幻獣など、幻獣王しか聞いたことはない。


 やがて覚悟を決めて、人と幻獣の共存する庭へ入り挨拶をした。快く受け入れられ、これから住まう部屋へと案内される前に。

 青年は、責任の分だけ一番重く感じていた、赤い鞄を取り出した。


「こちらが、もしかすると魔法伯爵様ゆかりの鞄ではないかと、私が預かって参りました。お確かめください」


 他の荷は下ろし、大切に両手で持って掲げた鞄が、日差しにきらりと煌めいた。

 黒い髪の小さな女の子が、兄らしき子供の手をすり抜けて走り寄ってきた。おそらく魔法伯の子女、青年がこれから仕える子供たちだ。

 緊張する青年にこんにちはと挨拶をすると、目をキラキラさせながら、行儀よくあちこちから鞄を眺める。

 と思えば、くるりと踵を返して、屋敷の方へと猛然と走り出した。かけ足、速い。

 

「おかあさーん!」


 令嬢が自分たちと同じような気安い呼びかけをするのに、青年は驚いたが。

 兄も使用人たちも、幻獣たちも、誰もが微笑んで見守っている。

 なあに、と優しく声がかえることをあたりまえに知っているのだろう。


「おかあさん! すごく綺麗な赤い鞄が届いたよ! ねえ、早くきて!」





<結>

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ちびえんぴつ耐久レース ちぐ・日室千種 @ChiguHimu

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