第59話「海に向かう」
海に来るのは久しぶりだ。
社会に出ると、あんまり海に行かなくなるような気がする。
「おはようございます、せんせい」
「ああ、おはよう」
起きてきた月島の前に朝食を並べながら、挨拶を済ませる。
月島は朝に弱いというわけではない。
ただ、最近は事情が異なる。
「きょう、がっしゅくですよね……」
「そうだな。荷物とかってまとめてるか?」
「きのうわんだちゃんが……」
「やってくれたんだな」
昨日も遅くまで原稿と向き合っていたのだろう。
いつにもまして眠そうで、顔と口調がふにゃふにゃになっている。
こういう姿を見ていると、心が温かくなる。
「今日は移動中に寝れるはずだから、もうちょっとだけ頑張ろうな」
「はい……」
うとうとしながら朝食を食べている月島を見つつ、俺は「そういえば移動手段を全く聞いてないけどどうするんだろう」と思った。
電車だろうか。
そうだろうな。
むらむら先生とわんださんは女子高生であり、運転免許を取得できる年齢ではない。
そして俺は運転免許を持っているが、車を持っていない。
レンタカーを借りたほうがよかったのかもしれないが、わんださんから移動手段は任せてくれと言われたので何もしていない。
車の窓が開いて、運転席に座る女性と、助手席に座るわんださんの顔が見える。
朝八時だというのに、わんださんはいつも通り元気そうだ。
助手席から乗り出して、月島に向かって手をぶんぶん振っている。
運転席の女性は、げんなりした顔をしながら、何事か操作を始める。
後部座席のドアがゆっくりと開く。
乗り込めという意味だと察し、俺達は後部座席に乗り込んだ。
「おはようございます、絵里ちゃん、日高先生」
「おはよう。そちらにいるのはわんださんの保護者さん、ではないですよね?」
俺は、わんださんの隣ーー運転席にいる白衣を着た女性に話しかけた。
二十代に見えるので、まず間違いなくわんださんの親御さんではないはず。
姉の可能性もあるが……わんださんは一人っ子だと月島の口から以前聞いていたのでそれもない。
これが、移動手段ということなんだろうが。
「ああ、私は」
「ああーっ!」
俺の後ろでぼんやりしていた月島が大声を出してこちらに駆け寄ってくる。
「ロリリズムさん!」
「知り合いか?」
「はい!」
月島がここまで目を輝かせるとは珍しい。
友達だろうか。
いや待て、ロリリズムという名前には聞き覚えがあるような。
「ああ、君が噂の『助手君』か。私はロリリズム。モデラ―の仕事をやっているよ」
思い出した。
Vtuber月煮むらむら先生、そして助手君。
その二人のモデリングを担当したモデラ―の名前がロリリズムだったはず。
名前のインパクトが強すぎて、よく覚えている。
「今日は、この四人で合宿に行きます」
「わんだちゃんからむらむら先生のスランプ解消合宿をやるって聞かされてね?そりゃあ私も友達のために一肌脱ごうかなと思ったわけさ」
「なるほど。ちなみに、この車って」
「私のだよ。運転も私に任せてほしい」
「「「ありがとうございます!」」」
ちなみにだが、俺も運転はあんまり自信がない。
というかぶっちゃけ苦手だ。
自分で車を持ってないので、練習する機会がないのだ。
◇
「海だー!」
「海だな……」
「海ですねえ」
二時間ほどたって、俺達は目的地に着いた。
海の側にある、巨大な一軒家。
月島家より少しだけ大きいだろうか。
綺麗な海と同じくらい、こちらにも圧倒されてしまう。
「おお……」
「荷物各自運んでってね―」
「ここは、ロリリズムさんの別荘か何かですか?」
「いいや、実はとあるコネでね、こういう別荘をお借りしていいことになったのさ」
ロリリズムさんは百を超えるVtuberのモデリングを担当している凄腕のモデラ―だ。
つまり、多くのコネを有しており、今回の別荘もその中の一つということなんだろう。
「じゃあ、私はちょっと動画の撮影があるのでこれで失礼します」
「私も、わんだちゃんに付き添うことにするよ」
「「えっ」」
「そういうわけだから二人で遊んでてよ。色々道具は用意したからさ」
ロリリズムが指さした方向には、ビーチパラソルやビーチチェア、海で遊ぶおもちゃなどが所狭しと並べられていた。
いったいいつの間に用意したんだあんなもの。
「あれ、全部ロリリズムさんの私物なんですか?」
「そうなんだよ日高君、モデラ―として活動していると色々と参考資料が欲しくなるんだよね……」
ああ、浮き輪とかビーチバレーボールとか、水着衣装に使いそうなやつが色々あるな。
だとしてもビーチパラソルとかは使い道わからんけど。
3D配信とかだとああいう小道具を出したりするらしいから、そのための資料かな?
3Dか……月煮むらむら先生も、登録者数を考えればもう3D化してもおかしくないんだよな。
わんださんの所属しているVtuber事務所なんかはチャンネル登録者数が十万人を超えると3D化できると聞いている。
「ロリリズムさん、行きますよ」
「あはは、そうだね、あとはお若いものだけでごゆっくり」
「いや、俺は別に若くはないですけど」
ちょいちょい、とわんださんがこちらに手招きしてくる。
何だろうと思いながら、近づき、耳を寄せる。
「どうかしたの?」
「いえ、一つだけ、言っておきたいことがありまして」
わんださんが、いつになく真剣な顔をしている。
ここまで真剣な顔は、始めてみる。
波の音が響く中、おれもまた真剣な表情を作り、耳を澄ませた。
「海で二人きりだからって、えっちなことしちゃだめだよ?」
「やらねえよ!」
やっぱりこいつはダメだ。
脳みそがカップリングに支配されてやがる!
◇
余談
モデラ―のロリリズムさんはこちらの作品にも登場します。
「転生したら、Vtuberのダミーヘッドマイクだったんだけど質問ある?」
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