【ネタバレ有り】映画『THE FIRST SLAM DUNK』のちょっとした感想とそれを基にした新しい創作術についての妄言です。

杉林重工

【ネタバレ有り】映画『THE FIRST SLAM DUNK』のちょっとした感想とそれを基にした新しい創作術についての妄言です。

※ただの架空のお話です。架空の登場人物が映画『THE FIRST SLAM DUNK』のちょっとした感想とそれを基にした新しい創作術について喋るだけです。


「馬鹿な。ここで消える魔球だと?」


 真血出端留(まぢで はしる。十六歳。罪斗罰高等学校二年生。男性。四号文芸部部長)はその狭い部室で狼狽した。


「端留さんはまだまだお甘いですね。消える魔球は面白いですが、所詮はただのボール球ぐらいに考えましょう。必殺技ではありません。使いどころなんです。びびび」


 不滅田為子(ふめつだ ためこ。十七歳。罪斗罰高等学校二年生。女性。四号文芸部副部長)は妖艶に微笑みながら、目の前で狼狽する彼を見つめた。


「真っ向勝負じゃなかったのか。今までずっとストレートで勝負してきただろう」


 端留は不平を述べた。


「いいえ。その考えが甘いというものです。そもそも、端留さんが空振りした遅い球は、わたしのミスではなくチェンジアップです。わたしはわざと空振りを誘ったのです。分類も変化球なんですよ」


「なんだそれは。そんな技があるのか?」


 端留は両手を机に突いて前のめりになる。


「よろしければ、もっと野球の深い所をお教えできますよ。ええ、それはもう、ずっぷりと」


 そういいながら、為子はそっと机の下で足を延ばし、ゆっくりと端留に絡め始めた。


「なにやってんですか、二人とも」


 その時、ちょうど四号文芸部の部室に入ってきた生徒、向風心炉(むかいかぜ こころ。十五歳。罪斗罰高等学校一年生。女性。四号文芸部部員)はやや怒気を籠めて声を発す。


「あら、ご存知ないのですか、向風さん。これは、野球盤ですよ」


 為子と端留、二人は細い机を挟んで座っている。机には大振りな、プラスチック製の、装飾が賑やかな箱が鎮座していた。心炉が上から覗き込むと、ホームベースに一塁二塁三塁とマウンドもあるし、それはちょうど、圧縮された野球場であるのがわかった。細かく観客席のモールドもあるし、何故か投光器まで付属している。野球を模したボードゲームのようなものだろう。玩具にしてはよく出来ていると心炉は思った。ちゃんとスコアボードまで用意されている。


 試合は四回裏、スコアボードにはチーム名を書いた付箋が貼られていて、これまでに真血出ドラグーンズが三点、不滅田バンシーズが十点も取っていることが分かった。しかも真血出ドラグーンズの得点は一回裏のみ。チュートリアル代わりの一回で得たものだろうとは想像に易い。


「真血出先輩、ボロ負けですね」


 同情もなければ蔑みもない。ただただ一本の直線のような声で心炉は言った。


「違う、試合はこれからだ」端留は爪を噛む。


「いいえ、もう終わりです」


 そう言いながら、為子は野球盤のボールカウントピンを指差す。ワンボールツーストライクツーアウト。先ほどの口ぶりからして、たった今この状況になったわけではないのだろう。心炉は別に野球に詳しいわけではないが、この状況が何を指しているのかはわかる。


「なるほど、チェンジですね」


「まだ四回裏だ。五回以降は分からない」


「ええ、ええ、そうでしょう。端留さんなら出来ますよ。応援しています」


 為子の顔にはねっとりとした愉悦が張り付いている。文字通り心にも無いことを言っているのは間違いない。為子にはきっと、野球盤に噛り付く彼が、タッパーに詰められた可哀想な鼠にでも見えているに違いない。


「でも、なんで野球を?」


 心炉は疑問を口にした。この二人が文芸部にあるまじき怠惰な過ごし方を日々していることは熟知しているが、今回もまた奇天烈である。


「端留さんの次回作の為ですよ。スポーツをする描写が必要なのに、特に知見もなく困っていらしたのです。ですから、わたしから提案いたしました」


「そうだ。乃公は、今書いている小説に野球をしている場面が必要なことに気づいて困っていたんだ」


「なら、素直にスポーツ観戦するか、せめて中継とか観た方がよくないですか。それか野球部にでも取材とか。否、いっそのことキャッチボールだけでもした方が、投げる感覚とかが描写で活かせますし……」


 こんな玩具じゃなくても、と心炉は野球盤を指す。


「それは……」


「端留さんの運動能力は高が知れていますし、それを衆目に晒すことを恥と捉えてやりたがる訳がありません。ですから、こうして狭い範囲で野球を体験して、やった気になろうとしているのです。びびび」


 為子は端留の言葉を遮って説明した。説明しながら、蛇の舌の様に長く滑らかな指先で、硬直している端留の頬を撫で、顎をさする。


「違う、乃公は今、この試合の一連の流れを記録し、それをそのまま著作に組み込もうとしているのだ」


 がた、と彼は立ち上がり、野球盤の横に置いたノートを心炉に突き付けた。心炉は一歩二歩と下がってその文面を見る。確かに、一回表から四回裏まで、如何にして真血出ドラグーンズが不滅田バンシーズにしてやられてきたかが克明に記録されている。


「これを、そのまま?」


 あまりにも酷い試合っぷりに、心炉は動揺してしまった。何せ、二回以降、真血出ドラグーンズは一切得点を取っていない。常識的に考えると、不滅田バンシーズが後三点以上取ったらこの試合はコールドゲームになるだろう。甲子園だったらその心配は無用だが、二人のチーム名は明らかにプロを意識しているため、このルールは適用されないと心炉は推測した。


「考えても見ろ、これを逆転させたら伝説の試合になる。それこそ、映画みたいにな」


「無理じゃないですか? どうやって?」


「うぎう」


 心炉の指摘に端留は潰れた鼠の様な悲鳴を上げた。しかして悔しさを滲ませ、だが、まだ、それでも、などという言葉を口の中で捏ねる。


「そうです。端留さんはまだ希望を捨てていないのです。なにせ、野球盤の試合の流れを小説に組み込もうとしているのは、映画『THE FIRST SLAM DUNK』の影響があるからです」


「『THE FIRST SLAM DUNK』ですか?」


 心炉は目を丸くした。


「そうです。端留さんは映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観てからというものの、頭の片隅から『あるアイデア』が離れないようなのです」


 為子は優しく端留の頭を撫でながら、そっと着席を促した。端留は気まずそうにその誘導に従って椅子に戻った。


「確かに『THE FIRST SLAM DUNK』は面白かったですが、あれを小説に?」


「そうだ。向風もあれを観たなら、気持ちはわかるだろう」


 端留は顔を上げた。


「あんなに話題になっていたので。面白かったし損した気持ちもありません。原作は知りませんでしたが、キャラクターそれぞれの背負うものも、試合の流れもとても分かりやすかったです。その上で爽快感のある逆転劇が見れて、とても満足しました。あ」


 そこで心炉は、端留から跳び出した、まだ逆転できる、という虚しい言葉を思い出した。現実とフィクションは違うのだと、野球盤が雄弁に語っている。心炉はつい目を伏せた。


「そうか。向風はそう思ったのか」


 心炉の異変に気づかない端留は、ふんふん、と頷き、


「だが、『THE FIRST SLAM DUNK』に違和感はなかったか?」


 と急に声を落として訊ねた。


「違和感、ですか?」


 心炉は首を傾げた。なんといったものか、フィクションと現実は違う、だなんてことを今更言うのは馬鹿げていると思った。


「確かに、映画『THE FIRST SLAM DUNK』は面白かった。正直言って原作は知ってるし、オチも当然わかっていたから、今更という所もあったが、それを補って余りある、迫力のある映像と絶妙なタイミングでかかる10-FEETさんの『第ゼロ感』や各種BGM、そして回想が挟まることで、全てのシーンを盛り上げる。片時も目が離せなかった」


 黙り込んだ心炉を見かねてか、端留が言った。どうやら思っていたことと違うようなので、心炉も言葉をつなぐ。


「はい。真血出先輩に同意するのはあまり好みませんが、その通りだと思います。一人一人が積み重ねた努力や葛藤を乗り越えて試合に収束していく様は見事でした。それでも、物語の都合、みたいに見える勝敗に、山王工業のキャプテン? の回想シーンを被せることで駄目押しする様はもう、そうでしたね、としか言いようがありませんでした」


 最後の悲痛な叫びがある種総会でもありましたし、とても彼に同情出来て得難い経験でした、と心炉は振り返る。


「そうだな。だが、だからこそ、乃公は思うのだが、あれ、映画だったのか?」


「横暴だ」


 心炉は眉を顰めた。


「確かに、映画の定義というのはない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『シャークトパス』または『コヤニスカッツィ』から『イレイザーヘッド』まで、映画のすそ野は広いからな。でも、乃公の思想の一部は、あれを未来のスポーツ観戦だと言って聞かないのだ」


「未来のスポーツ観戦、とは?」


 理解に苦しむ。しかして、真血出端留という先輩が奇怪なことを言って自らの首を絞め苦しみ始めることはよくあるので、心炉の心中は意外に平静だった。


「敢えて言うが、映画『THE FIRST SLAM DUNK』に、原作漫画ほどのストーリーはないと思う」


「横暴だ」心炉は同じ言葉をしかし、語気を強めて口にする。


「流石に怒られますよ。ファンの多い作品です」為子も声を上げる。


「そこまで言わなくてもいいんじゃないですか。不滅田先輩は人の顔色を窺いますね」つまらなさそうに心炉は指摘した。


「今の時代、何が起こるかわかりませんから」つん、と為子はそっぽを向いた。


「大丈夫です。みんな他人の妄言に付き合うほど暇じゃないですよ。そんな情けない人、この■■■■にいるわけがありません」


 向風心炉は窓の外に目をやった。小鳥がぱたぱたと枯れた青空を飛んで行く。


「乃公も映画『THE FIRST SLAM DUNK』は大好きだ。それは忘れてほしくない。一方、映画の面白さにストーリーの有無は必須でないと思っているし、その上で、だ。映画『THE FIRST SLAM DUNK』にあるのは、大きな試合の流れが一つ。そこに、各登場人物の回想シーンやバックボーンが挟まる。そこに観客は感情移入し、気付けば手を握って応援している。そうだろう」


「はい、まあ」彼の熱に押され気味に、心炉は首肯する。


「この登場人物の回想やバックボーンの紹介は、ワイドショーやテレビで何かのスポーツを放送する前にある、選手の紹介と同じ効果なんだ。そのおかげで乃公はうっすらとではあるが八村塁選手や渡邊雄太選手の情報を持ち、へえ、と思いながら試合を観れる。WBCだって、大谷翔平選手とマイク・トラウト選手の因縁をニュースで知っていたからこそより盛り上がれたというものだろう。ここをストーリーだ、と言われれば、勿論その通りだ。だが、やはり原作だけを切り出し、 『THE FIRST SLAM DUNK』 と比較して、どうもまっさらな気持ちで見ると、後者はワイドショーの延長線上にあると感じた。『乃公は』な?」


「もう一度言いますが、あくまで『端留さんの感想』です」


「不滅田先輩は気にし過ぎなんですよ。みんな他人の妄言に付き合うほど暇じゃないです。そんな情けない人、この■■■■にいるわけがありません」


 同じことを心炉はもう一度言った。大事なことだからである。これはあくまでただの妄言の延長線にあり、何かを否定するわけではないし、蔑む意図も一切ない。つまりは、全て適当に読み流せばいいということを現代人は忘れがちだと心炉は常々思っている。青空を渡る鳥たちに思いを馳せ、だが、きっと、彼らも自分たちがこんなに自由だと思ってはいないことに渇きを覚える。


「今でこそ技術的に無理だから、『選手の情報』と『試合』は切り離されているが、その内映像技術が上がれば、この二つは同時に吸収できるようになるのではないか」


「どうやって」


 荒唐無稽な端留の言葉に、心炉は思わず我に返った。窓の外の小鳥などどうでもいいのだ。


「それは……まあ、地震速報みたいな感じでL字型に画面を割ってもいいし、その内ホログラム的なテレビが出てくれば、三次元的に各選手の情報を試合と同時に出せるだろう」


 調子が悪そうに端留は言った。


「或いは、それこそ脳内に直接情報を送り込む技術が、わたし達の生きている間に完成すればいいのです」


「エスエフですね」


 気を入れず心炉は為子の意見に答える。二人の滅茶苦茶な発言に辟易してしまったからだ。


「実際、野球観戦に行くと大きなモニターに各バッターの紹介がちょっとだけ入りますよね。あれをもっと拡大したものが普及すればいいのです」


「それに、音楽もそうだ。まあ、当然ごちゃごちゃとした情報がなくてもスポーツ観戦を楽しめるのは理解できるが、ここぞというときにいい感じの音楽が流れるのが楽しい、というのは 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 を観ればわかるだろう」


「現に野球でもチャンステーマとかありますので。他のスポーツにもあるのでしょうか? そのあたりはわたしもあまり詳しくはありませんので」


「カメラワークもなんかドローンとか今流行ってるし選手の邪魔にならない範囲のサイズや安全性の高いものができれば行けるんじゃないか。或いは試合会場全体をリアルタイムで3Dレンダリングして放送できればカメラワークはやりたい放題だ」


「ははあ」


 妄想の域に達する端留の意見に、心炉は適当に相槌を打った。


「だから、乃公はずっと、 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 を映画と区分するべきか、試合観戦と区別するべきか悩んでいるのだ」


「へえ。でも面白いならどっちでもいいじゃないですか。大事なのは楽しいと思った気持ちの方ですよ」


 呆れながらそう言うと、心炉は椅子を引いて座り、鞄から『十角館の殺人』を取り出した。


「なんと今更」


「映像化するそうなので、きっと読み直すおつもりなんですよ」


 心炉が何かを言う前に為子は口を挟んだ。心炉は少しだけむっとした。


「それよりも、早く試合の続きをしましょう。ピッチャーの設定をお早く」


 野球盤の向きを百八十度変え、為子は端留の手を取ってその縁に添えさせる。その様子に、一瞬だけ心炉は思案し、


「で、結局、 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 と野球盤のつながりがよく分からなくなっちゃったんですが」


 と、指摘した。


「いいじゃないですか、それよりも……」


「そうだったな。乃公の中で 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 を映画として割り切って楽しめばいいのか、それとも試合観戦としてその感動に身を任せればいいのか、それはまだ定まっていない。だが、それはともかくとして、向風の言う通り、楽しかったことに嘘はない。注目すべきは、それで十二分なエンターテイメント性が確保されていたことにある」


 為子の言葉を塗り潰し、端留は言った。


「エンターテイメント性?」


「よくあるスポーツ系のフィクションのストーリーは、大体が日常パートと試合パートに二分されている。日常パートで得た知見や、練習の成果が伏線となって、試合パートに結集するわけだな」


「不滅田先輩、細かい脚注はもうよしませんか。それだけがスポーツ物のすべてではない事ぐらい、みんな分かっていますよ」


 何かを言いかけた為子を、心炉は止めた。為子は黙って目を伏せた。


「だが、それゆえ次の展開が読まれやすい。あの時の練習の成果が! とかマネージャーのふとした台詞が攻略のヒントになる、なんてのも、よほどうまく組み込まなければ読者に勘付かれてしまう。この辺りが書き手の巧拙に出るわけだ。なにもスポーツ物に限らない普遍的課題ではあるが、読者に気付かれないよう、かつ、納得できる驚きの展開を用意するのは難しい。だが、そもそも、日常パートがなくてよいとしたら、これは革命じゃないか」


「ちょっとついていけないのですが」


 急に一人盛り上がり始めた端留に、心炉は困惑した。


「 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 は、その日常パートがほとんど存在しない。各キャラクターのバックボーンや、日常パートは試合の合間にガンガン盛り込まれる。山王の強固なディフェンスで前に出られないとき、普通なら誰もが、『無理』と言ってポップコーンを摘まむところだ。だが、その瞬間に選手の回想シーンが挟まりバックボーンの説明が入って同情してしまったら最後、皆が皆、『このディフェンスは抜けていい』なんて思ってしまう、否、『抜けろ!』とまで思ってしまう。同時にかっこいい曲が流れればなおのこと、爽快感が胸を打つ。こんなことを堂々と、しかも 映画『THE FIRST SLAM DUNK』 は何度もやる。乃公自身、こんなやり方は流石に白けるし禁忌だと思っていたが、実際観てみると案外普通に飲み込めてしまった。だから、これを堂々と組み込んだ小説を作ってしまおうと考えている」


「端留さんはこの野球盤の試合展開をもとに、後追いでバッターやピッチャーなど、選手一人ひとりの回想シーンを作って、理由付けをし、壮大な物語を作ろうとしているのです」


「なんだか輪をかけて無理な気がします」


「いいや。それともう一つ。こう言っては何だが、この作劇が通用するなら実にコスパがいい。そうは思わないか」


 どやり、と端留は口角を上げた。


「うーん」


 心炉は悩んだ。確かに、日常パートを丁寧に作り込めば作り込む程、試合パートの展開の読みやすさに直結してしまう。逆に、驚きを持たせようとして意外性に振ってしまえば、日常パートを無碍にすることになり読者が白けるのは明らかである。それに対し、試合を前面に押し出して、都度回想シーンを挟めば、読者が納得する限り、読めない展開、驚きの試合を魅せ続けることができる。特に、読者に悟られない日常パートの作り込みの手間暇を考えると実に『コスパ』は良いと思った。試合も野球盤で適当に行ったものをもとに書き起こせば、まあパクリだのなんだの、と言われることもないだろう。


「既存の有名な試合展開をもとにしてもいいですが、折角ですし、結果がばれてしまうのはよくありません。だからわたし達がこうして野球盤で愛を、否、試合を育むのは実に正しいのです」


 為子は野球盤のレバーを上げ下げする。盤上のバッターがそれに応じてバットを振り回した。がくがくと野球盤が揺れる。その様を心炉は嫌悪した。はあ、と溜息をつく。


「言いたいことは何となくわかりました、画期的でござんすね」


「語尾が変だぞ」端留はやや恐れて言う。心炉は静かに首を振った。


「ですが、それで物語を作って、楽しいですか? 否、正しいのでしょうか」


「なに?」


「どんな話を真血出先輩が構想しているかは知りません。ただ野球の話を作りたいのであれば最悪それでいいと思います。しかし困難に立ち向かう主人公の気高さや、努力の大切さを訴えたいとか、なんかそういうのが起点にあってこその物語ではないですか? 何か、本末転倒にはなっていませんか」


「それは……」


 端留は言葉に詰まった。


「気高さとか努力の大切さは陳腐だと思いますよ」


「それは、今、適当に思いついたことを言っただけです」


 為子の呆れた声に、心炉の顔はしかし赤くなる。


「とにかく、物語の作成に、コスパなんて言葉を持ち出すのは間違っています。試合展開の読めなさもスポーツを題材した場合、重要な一要素ですが、所詮は一要素であることを忘れてはいけないと思います」


「ぐぎ」


 端留は異音の様な悲鳴を上げた。


「その様子では、選手一人ひとりの設定なんかも、本当に考えてはいないのでしょう。そんなもの、本当に面白くなるのでしょうか? 先輩は怠惰に任せ、ふと一番楽そうな方法を選んでいるだけではないですか?」


「ち、違う、乃公は……」


 端留は明らかに動揺し、手にしていた試合展開をメモしていたノートを握りひねっていた。その様子を見て、一人が興奮し始める。


「びびびびびびびび」


 口に手を当て、悲鳴とも歓喜の声ともつかない不気味な音を不滅田為子は立て始めた。心炉は心底震えた。


「嗚呼、嗚呼、いいんですよ、端留さん」


 為子はそっと端留の耳元で囁いた。


「そうやって、正論に怯え、本質を見失って迷走してもいいんですよ。びびびびびびびび」


 目が泳ぐ端留の両頬に、為子は堪らず両手を添えた。


「あの、マジで乃公がこの先、延々と迷走を続けてもいいんですか?」


 大変情けないことを真血出端留は言い始めた。


「はい。勿論です。どんなに端留さんが本質を見失い、ただただ毎日毎日明後日の方向へ彷徨する駄目人間になっても、わたしが後ろをついていきます」


「毎度毎度今の流行りものに跳び付いて的外れな妄想を書き垂れても」


「はい。文字を打つあなたの手の上に、わたしの指を重ねましょう」


「己を失い必死で誰にも届かない媚びた言葉を並べる屑になっても」


「はい。わたしも一緒に叫びましょう」


「それすらやらず、流行りもののアニメを録画するだけして、結局一クール後には削除するようになっても」


「当然です。例えそうなっても、わたしが毎クール、週次で一緒に録画をお手伝いします」


 ついに二人は、心炉の知らぬ泥沼に沈み始めた。心炉はため息をついた。


「だっさ。では、一生、明後日の方向へ消えてください」


「ええ。そうしましょう。さあ端留さん、続きを」


「だが……」端留の視線が一点に定まった。


「確かに、乃公は自分を見失っていたのかもしれない」がたん、と真血出端留は立ち上がった。


「一から話を見直す必要がある。少し考えさせてくれ」


 そう言って端留は、野球盤のスコアボードから真血出ドラグーンズの付箋を剝ぎ取った。


「え? そんな、端留さん!」


 どこか泣きそうな声で為子は縋り、そして、き、と心炉を睨んだ。心炉は笑みで返した。


「そうです。その意気です」


 心炉は得意げだった。もしも今、不滅田為子の手元に真っ白な手ぬぐいがあれば間違いなく噛みついて悔しがったに違いない。だが、今彼女の手元にあるのは一年前に端留がくれたハンカチだけだった。故に悔しさをぶつける矛先は無く、全身を震わせることしかできなかった。


「ところで不滅田先輩、わたしと試合しませんか」


 心炉は野球盤を手繰り寄せた。


「何故?」


「それは当然、野球盤の試合を元に、小説を書くからです」


「なんだと!」


 心炉の言葉に、為子より早く端留は反応した。彼はすっかり、これから運動でもする気だったのか、スクワットの途中だった。端留の様子に、心炉は余裕たっぷりに言う。


「別に、そのままの意味です。次の文集にはわたしが書いた野球をモチーフにした小説が載るでしょう。一号文芸部の馬鹿どもの鼻を明かすのはわたしです」


「違う、さっき問題点をつらつら言って、お前は乃公を批判したばかりじゃないか」


「物はやり様です。課題はわかりました。そして、それを改善する方法を思いついたのです。先輩のアイデア『改』或いはマークツーとでもいいましょうか。これがうまくいけば、より完璧で納得度が高く、意外性も強いしメッセージ性もある作品が作れます。 よもや、まさか先輩から映画『THE FIRST SLAM DUNK』 を超える作品のヒントを貰えるとは思いませんでしたが」


 ごちそうさまです、と心炉は笑った。


「本当にそんなことを思いついたのですか? 嘘ではないでしょうか。まるで気を引くためだけの……」為子は疑義を呈す。


「意味が分からない! どういうことだ、教えろ!」端留はひたすらに吼えた。


「いいでしょう、わたしに勝てたら、ですが。その前にもう百回ぐらい 『THE FIRST SLAM DUNK』 を観るべきですよ。なんかこう、方々への謝罪の気持ちも込めて」


「急に弱気になりましたね」


 不滅田為子が不満そうに差し込んだ。心炉は机の上の付箋をちぎり、ペンを持って考える。野球盤の上には、今か今かとプレイヤーを待つ顔のない選手たちが詰めている。


「わたしも人の目が気になることはあります。できれば狭い部屋でずっと、ちくちく野球に興じるのことだって」


 向風心炉はちらと、野球盤のセッティングをする真血出端留を見、不滅田為子はぎゅむ、顔を強張らせた。


「さあ、向風サンダースの試合をお見せします。始めましょう」

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【ネタバレ有り】映画『THE FIRST SLAM DUNK』のちょっとした感想とそれを基にした新しい創作術についての妄言です。 杉林重工 @tomato_fiber

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