寒風と意地っ張り

寺音

寒風と意地っ張り

 我ながら、バカなことをしたと思う。こんなので本来の目的が果たせるわけじゃないし、ただ寒くて自分の首を絞めただけ。私は自分に呆れて、深くため息を吐いた。

 白い息が淡い水色の空に溶けていく。冬の空は澄んでいるけれど、水を入れすぎて色が見えなくなった水彩絵の具みたい。夏の鮮やかな青色が恋しい。

 冷たい風に合わせて揺れる木の枝は、針金を組み合わせたように細くて今にも折れてしまいそう。

 赤や黄色に色づいて皆の目を楽しませていた紅葉は、歩道の上に落ちて茶色の絨毯となっていた。私の足下からも、そして左斜め後ろからも、カサカサと乾いた音が鳴っている。


 私の後ろを従順な家来のようについてくるは、さっきから一言も喋らない。ついイライラしてきてしまって、私は一歩踏み出す度につま先で軽く落ち葉を蹴り上げた。

 木の葉が擦れて割れる軽快な音が鳴る。少し楽しくなってきて、私の心が僅かに弾む。


広美ひろみちゃん」

 恐る恐るといった調子で、後ろから声がかかる。その声で、また私はしてしまう。ちらりと肩越しに後ろを振り返った。

 鋭い視線を受けて小動物のように肩を振るわせた彼、愛斗まなとは、顎をマフラーに埋めて上目遣いで私を見る。女の私が霞んでしまうほど、その表情は庇護欲を誘って可愛らしい。


「もしかして、怒ってる? 僕、何かしちゃったかな?」

「別に……」

 ああ、駄目だ。突き放すような言い方をしてしまった。愛斗は全く悪くないのに、これじゃあ八つ当たりだ。

 しかし上手く誤魔化すことができなくて、私は唇を引き結んで再び前を向いた。


 穴だらけの枯れ葉が、北風によって車道に飛ばされていく。そして通りすぎた車が起こした風で、再び不規則な動きで宙へ舞い上がる。

 空気の冷たさに、私は背中を振るわせた。手袋をつけていない私の両手は冷え切っていて、もう指先の感覚すら危うい。


「ごめんなさい」

 私がようやく口にできた謝罪の言葉は刺々しくて、これじゃあ、また愛斗を怖がらせてしまうかもしれない。大きく息を吸い、なるべく感情を抑えて静かに言葉を発する。

「ただ、寒くて。イライラしてただけよ」

 これは嘘だ。視線をどこに向けたら良いのか分からなくて、私は再び風に舞う落ち葉を目で追った。



『ひ、広美ちゃん! その、良かったら、ぼ、僕の恋人になってくだひゃい!』

 一ヶ月前のクリスマス。私たちの関係を変えたのは、愛斗の方だった。顔を真っ赤にして声を上擦らせて、全然カッコ良くない表情で。


 ふわふわで子犬のように愛らしい愛斗と、どこか人を寄せ付けない、ツンとすました猫のような私。幼稚園から高校まで学校はずっと一緒。幼馴染という言葉以外に、私たちを表す手段はないのだと思っていたから、本当にびっくりした。

 そして正直、とても嬉しかった。


 けれど一ヶ月経ってみて、私は気づく。私たちの関係は全く変わっていないのだと。

 半歩下がって、いつも私の後ろを着いてくる愛斗。会話の内容も、学校がどうとか週刊連載の漫画の展開がどうだったとか、甘い言葉を交わすわけでもない。これが「恋人」の交わす会話なのだろうか。キスどころか、スキンシップも一切なかった。

 愛斗がしてくれた「告白」は、罰ゲームかもしくは夢だったのではという気すらしてくる。


 そんなことを考えていた私は数日前、学校帰りにとある母子を目撃した。

 ほら。こうしたら、あったかいでしょう。

 そう言って、男の子の手を自分の手で包み込んで温めてあげる母親。男の子はとても嬉しげにケラケラと笑っている。とても微笑ましくて、羨ましい光景。


 そして私は今日、何を血迷ったかわざと手袋をつけずに出かけてしまったのだ。



「愛斗、行こう。目的は本屋さんでしょ?」

「え? ああ、うん」

 彼に声をかけて、私は少し速度を上げて歩き出した。愛斗が慌てて後を追って来るのが分かる。


 今朝の私は、手袋を外すことで、あの母子と同じようにできるとでも思ったのだろうか。なんでも良いからきっかけを与えることで、愛斗が一ヶ月前のように一歩を踏み出してくれると期待していたのだろうか。

 そして、勝手に期待して、勝手に察してくれないことにガッカリするなんて。

 最低だ。愛斗もいい迷惑だろう。いい加減、気持ちを切り替えなくては。


 私は寒風さむかぜに晒したままだった両手を、諦めてコートのポケットに突っ込んだ。少しマシにはなったが、冷えた指先はこのくらいではちっとも温まらない。素直に手袋をつけてくれば良かった。

 本当に、バカだった。

 私の口から、再び白い息が吐き出されて風に散らされていった。


 不意に愛斗が小走りで近づいてきて、珍しく私の横に並んだ。きっとまだ私は、いつも以上に可愛くない顔をしている。

 見られたくなくて、私は更に歩く速度を早めた。


「ちょ、ちょっと広美ちゃん、待って!」

 愛斗は焦ったような声を上げると、全力で走って私の目の前に回り込んだ。そして、私の胸に押しつけるようにして何かを差し出す。

「これ、良かったら使って!」

「は?」


 差し出されていたのは、愛斗の手袋だった。青と黒と白の毛糸で編まれた、彼らしく少し可愛らしい柄の毛糸の手袋。

 彼はコートのポケットから私の手を引き抜くと、てきぱきと私に手袋をはめていく。彼の雪のような指先が、私の手首に添えられている。

 直前まで彼がはめていた手袋はカイロのように温かく、じんわりと冷えた指先を温めていった。


「僕が着けてたので悪いけど、さっきから広美ちゃんの手が冷たそうで、もう見ていられなくて……」

「でも、そしたら愛斗が」

「僕のことは良いから!」

 いつになく真剣な声色に、私の心臓が大きく跳ねる。愛斗は眉を寄せ、気遣わしげな瞳を私に向けていた。必死な表情は、妙に大人っぽく見える。


「その、たまには格好つけさせてよ。カレシなんだから、か……カノジョが寒そうにしてたら、心配なんだよ!」

 言うだけ言って、愛斗は逃げるように背を向けて歩き出してしまった。彼の耳が赤いのは、寒さのせいだけではないのだろう。多分。

 カレシ。

 カノジョ。

 彼の口から出た言葉が胸を柔らかくくすぐって、むず痒い。けど。


「私がして欲しかったのは、じゃないのよねぇ」

 私は自分の手を包んでいる愛斗の手袋を見つめた。

 私の思い通りに動いてくれなかった愛斗。けれど、私のためを思って、私の手を温めようとしてくれた。彼なりに、必死で考えて。


 なんだか悩んでたことも、遠回りをしたことも、私が変な意地を張っていたことも、全てが馬鹿馬鹿しくなってくる。

 私は思わず吹き出して、声を上げて笑った。

「ねぇ、ちょっと待ってよ!」


 大声を上げながら愛斗に駆け寄って、私は迷わず彼の手を強く握った。

 弾かれたように振り返る愛斗と視線を交わして、私はわざと怒ったように告げる。


「――カッコつけるなら、にして」

 繋がれた手を真っ赤にして見つめる愛斗。けれど私の手を振り解こうとはしなかった。


 寒風さむかぜで体が冷えてしまうから、本当は早く目的地に辿り着きたいところだけれど。私たちはどちらからともなく、そっと歩く速度を緩めた。


 そう。多分、私たちはこれで良い。

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