第10話 幕間
脇坂未明は真っ暗な空間にいた。
闇に溶け込むような黒い服を纏い、陽の光が一切届かない闇の中に佇む。
彼女の美しく長い銀髪だけが、暗闇のなかで光を放つかのように輝きをもって揺れる。
錦糸が風にたなびくような光景は、彼女の漆黒の瞳にぼんやりと映るだけだ。
人は、やはり愚かしい。
自ら絶望への道を歩き、脇坂が導くままにその淵の淵まで歩いていく。
そして、自分の選択を以てして深淵へと落ちていくのだ。
どこまでも、愚かで虚しい。滑稽なほどに。
無能で愚かだ。脇坂は松本葉造という作家にそう言った。
だからこそ、切ないんじゃないか。
人間というものを真っ直ぐに見つめ、その真髄を書き続けた松本葉造という作家はそう言った。脇坂はとても嬉しかった。
自分とはまるで対極にいる人間の存在が、脇坂の胸を刺激した。
それでも――そんな言葉を吐いた松本葉造でさえ、自らの魂と志を卑しい金に換えてしまった挙句、絶望の淵へと飛び降りて行った。
脇坂にとってそれは失望でもあり、享楽でもあった。
ひとは、人間は愚かしい。彼らを絶望へと導くことこそ、私の唯一の存在理由。
そしてただひとつの愉しみでもあるのだ。
もっともっと。たくさんの人間を導いてあげなくてはいけない。
絶望の底に。限りない闇の根底に。光さえ届かない、深い深い闇の奥底に。
ほうら、耳を澄ませば聞こえてくる。
人々が絶望する声が。嗚咽が。泣き叫ぶ、張り裂けそうな思いが。
彼らを、更なる絶望へと導き追い落とす。一歩、一歩、ゆっくりと影のように忍び寄る。
自分がなぜそのように生まれたのか、脇坂はわからない。
だけど脇坂は真っ暗なところで目覚め、人々を暗闇に案内するために生まれた。
それだけは、なぜか自分でもわかっていた。
そしてそれが、どうしようもないほどの愉悦でもある。
脇坂はなぜ自分が『こんな風に』生まれたのか、自分でも知らなかった。
微かに残るのは、産声もあげずに産まれ、生きたまま荼毘にふされた赤子の見た光景。
けれど、このように生まれた自分の存在を脇坂は悦んで受け入れていた。
人々の嘆き苦しむ顔を見た時、絶望に顔を伏せた瞬間、脇坂の胸はどうしようもなく踊るのだ。自分はこの一瞬のために生きている。
それは根拠など必要としないほどに、強い確信を脇坂に与えていた。
思い出すだけで、脇坂の奥底が再び疼きだす。
さあ、もう行こう。
脇坂が導くべき人間が、この世界には溢れすぎている。
ふわりと空間を舞い、脇坂が地面に降り立った。
微かな足音を響かせて、脇坂が光の差す世界を目指す。
陽の光は好きではなかった。けれど、人間の世界は居心地が良かった。
なぜなら、彼ら一人一人が陽の光などかき消すような真っ暗な絶望を抱いているのだから。
脇坂はそれを少しだけ、そっと後押ししてあげるだけでいい。
さあ、絶望が呼んでいる。その声に応えねば。
行かなくてはいけない。どこへ? どこへでも。
絶望が呼ぶ限り、脇坂はどこへでもいける。
どのようにでもなれる。どんなことだって出来る。
そこに人間が存在する限り、絶望は絶えずあり続けるのだから。
「くふふっ、くふふふふっ……まだまだ、全然足りないんだ」
脇坂の声が闇のなかを泳ぐ。
その姿が自らの影のなかに溶け込み、音もたてずどこかへと消え去っていった。
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