第一章 天才薬師のヴァイオレット④

 とう会が終わって、約一時間後。

 三日後にヴァイオレットの実家にあいさつに行くという約束を取りつけてから彼女と別れたシュヴァリエは、ソファーでホッと息をつく。

 気をけばついついゆるんでしまいそうになる表情を必死に引きめれば、従者に話しかけられた。

「シュヴァリエ様、まだほおが緩んでおりますよ」

 彼はロン・ゲルハルト。かたにかかったつややかなはくはつとくちよう的な、二十代の従者だ。体の線はやや細くやわらかな顔つきの男だが、ぼうなシュヴァリエのスケジュール管理や書類仕事をすんなりこなし、シュヴァリエは絶大なしんらいを置いていた。

「……仕方がないだろう。ずっと好きだったヴァイオレット嬢が求婚を受け入れてくれたんだ。こんやくされて傷付いた彼女には悪いが……これを喜ばずにいられるか」

 シュヴァリエは破顔した表情をかくすようにうつむく。

 そんなシュヴァリエに、ロンは目を細めてフッと微笑ほほえんだ。

「まあ、そうですね。それにしても、案外すんなりと求婚を受け入れてくださって良かったですね。ヴァイオレット様ならば、婚約解消された私では……と断るのではないかと思いましたが」

「ああ。そう言われそうな空気を感じたから、先に手を打った」

「え? なにをしたのですか?」

 目を見開いているロンに対して、シュヴァリエはしれっと言い放った。

「皇帝に即位したものは、初めて口付けを交わした者しか妻にできないと。断られたら俺は一生独身だと言った」

「は!? あの時耳元でささやいていたのって、そのことだったんですか? その決まりって確か、大昔に無くなりましたよね? シュヴァリエ様知ってますよね!? なんでそんなことをわざわざ言うんですか! つうにずっと好きだったから貴女以外じゃいやなんだって伝えれば良いじゃないですか!」

「そう伝えようかとも思ったんだがな──」

 すでにダッサムの婚約者だったヴァイオレットに外交で会ったのは、もうかれこれ五年前になるだろうか。

 かげでは必死に努力し、くすとしてもゆうしゆうだというのにえらぶらず、次期王太子候補としての使命を必死にまつとうしようとするヴァイオレット。

 そんな彼女に興味を持ち、ひんぱんに目で追うようになれば、今までは見えていなかったヴァイオレットが見えてきた。

 ダッサムに強い言葉をかれた後、ほんの少し悲しそうにまゆじりを下げる彼女の姿。新しい薬草が見つかったと話した時の、隠しきれていないワクワクとした表情。

 王太子妃候補としてりんとしている姿にも惹かれたが、ときおり見せる弱い部分や、薬草や薬のこととなるとキラキラとした目をする可愛かわいらしいヴァイオレットに、シュヴァリエは心をうばわれた。

 好きだと自覚するのには、それ程時間はかからなかったとおくしている。

「ヴァイオレット嬢は、なにも悪くないのに婚約破棄をされて、この国の王太子妃としての未来を奪われた。今まで必死に努力し続けてきたのにだ。きっと傷付いているだろう。それに、もしかしたら、あんなクソ男へも、多少の情はあったかもしれない。それならなおさら深く傷付いているかもしれないだろう? そんな状態の彼女に俺が愛を囁いたって、負担になるだけだと考えたんだ」

「……シュヴァリエ様」

「だが、やっとだれのものでも無くなったヴァイオレット嬢を、俺は手に入れたかった。彼女を幸せにするのは俺でありたいと強く思った」

 他国の王太子のこんやく者を好きになったって、そのこいかなうはずがない。

 だから、何度もあきらめようと思った。何度も、この思いは捨てようと思った。

 けれど、捨てるどころか、外交の際や、パーティーなどでヴァイオレットと会うたびに、好きだという気持ちはつのっていった。そんなヴァイオレットがようやく、自身の妻になってくれるかもしれない機会がおとずれたのだ。

 シュヴァリエは、どんな手を使ってもヴァイオレットを自身の妻にしたいと願った。

「だから、ヴァイオレット嬢には、貴女あなたしか妻にできないと伝えた。そうすればヴァイオレット嬢の性格からして絶対求婚を受けてくれるだろう。それに、この結婚は政略的なものだと思えば、俺の愛が負担になることはないだろうから」

「それなら、今後は伝えないおつもりなのですか? シュヴァリエ様が、ヴァイオレット様のことを深く愛していることを」

「ヴァイオレット嬢の傷がえたらぐに伝えるさ。俺がどれだけ彼女のことを愛していて、なにがあっても一生離してやる気はないということも。だが、それまでは、彼女に好きになってもらえるよう、できる限りのことはする。この機会、絶対にのがしてたまるか」

 そう言ったシュヴァリエのひとみは、ヴァイオレットをだましている罪悪感からか、少しだけ切なさがにじむ。

 けれど、そのあおい瞳の奥には、切なさを簡単にりようするほどの熱情がある。そのことに気付いているロンは、ハァとためいきいて、ぽつりとつぶやいた。

「私としては、さっさと本当の思いを伝えたほうがヴァイオレット様にとっても、シュヴァリエ様にとっても良いと思いますがね」

「ん? なにか言ったか?」

「いえいえ、なんでもございませんよ」

「……? そうか」

 ロンの言葉になつとくしたシュヴァリエは直後、自身のくちびるに指をわせた。

「ヴァイオレット嬢……俺は早く、貴女に愛していると伝えたい」

 りようこういつかんだとしても、しっかりれたヴァイオレットの唇の温度や柔らかさを思い出し、シュヴァリエはいとおしそうにそう呟いた。

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接吻したら即結婚!? 婚約破棄された薬師令嬢が助けたのは隣国の皇帝でした 櫻田りん/角川ビーンズ文庫 @beans

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