第13話 羽ばたくために
次の日、今日は体育の授業でテニスをやることになっていた。
もちろん、俺は怪我のため見学。
ただ、審判ぐらいは出来るだろと言う事で、今は審判台に登ってジャッチをしていた。
「とぅー!」
そんな中、梨世が力任せにボールを打ち返す。
「ちょっと梨世ちゃん! どこ飛ばしてるの!」
梨世が放ったボールは見事なホームラン。
フェンスの上を越え、ボールは裏手の茂みへと消えて行ってしまう。
「佐倉! ボール無くしたら承知しないからな! 拾ってこい」
「そんなぁぁぁぁっ」
梨世は頭を抱えながらテニスコートを出ていき、裏手に転がっていったボールを探しに行ってしまう。
その間、時間を効率よく使うため、別のペアが試合を行うことになった。
「ほい!」
そこで、形原さんが相手のサーブのバウンド地点を見極めて、見事なリターンエースをしてみせる。
「15-0《ふぃふてぃーおーる》」
「凄い形原さん!」
形原さんのスーパーショットに、クラスメイトの女子が彼女の元へと集まった。
「形原さんテニスの才能あるんじゃない?」
「えーそうかな?」
「絶対あるって! 良かったらテニス部入らない?」
「えーっ? でも、今からやってできるかな?」
「心配いらないって! 私が全国行けるレベルまで育て上げてあげるから!」
意気揚々と勧誘しているのは、女子テニス部の主将だ。
彼女のリターンエースを見てほれ込んだらしいく、熱量が半端じゃない。
形原さんも、まんざらでもない様子で頭を掻いているものの、その笑顔はどこか表面上なものに見えた。
きっと本心では、やりたいことはもう決まっているのだから。
◇◇◇
体育の授業が終わり、迎えた放課後。
「形原さん! 良かったらテニス部の体験入部に来ない⁉」
先ほどのテニス部の主将が、形原さんをテニス部へと本格的に勧誘しようとしていた。
形原さんは顎に手を当てて、少々考えるようなしぐさを見せた後――
「誘ってくれて嬉しいんだけど、今日はママと予定があるんだ。ごめんね」
と、テニス部への部活動参加を丁重に断った。
「そっかぁー。残念だけど、また今度誘うね」
「うん、ありがとー!」
テニス部の主将は残念そうに形原さんの元を立ち去っていくが、その時の形原さんの表情ときたら、それはまあ複雑だった。
眉根を寄せて申し訳なさそうでもあり、その笑みには、どこか影のようなものが宿っている。
そこで俺は、彼女がまだ諦めきれていないことを確信した。
◇◇◇
帰り道、川岸を歩いていると、俺が思った通り、形原さんが川岸の堤防に足をプラプラとさせながら腰掛けていた。
視線の先には、形原さんがこの前少年たちとバスケをしていた公園があり、公園内では今日もバスケット少年たちがバスケを楽しんでいる。
俺は足を引きずりながら、ゆっくりと彼女の元へと向かっていく。
「形原さん」
「あっ大樹君だ! 今帰り?」
俺が声を掛けると、形原さんはパっと華やかな笑みを浮かべる。
しかし、その表情はどこか困っているようにも見えた。
「隣、座ってもいい?」
「うん、いいよー!」
俺は形原さんの隣に腰掛けて、公園の方を眺めた。
フェンス内のコートでは、少年たちがワーキャー言いながらバスケットボールを追い駆けている。
「テニス部に熱心に誘われてたみたいだけど、練習参加しなくて良かったの?」
「うーん。なんか今日は気分じゃなくて」
「そっか」
気分じゃないなら仕方ない。
会話が途切れ、川のせせらぎと風で木々がさざめく音が聞こえてくる。
「子供は無邪気でいいよね。何も考えずにああやって楽しめて」
公園でバスケをしている少年たちを見ながら、形原さんが羨ましそうに呟いた。
「この前公園で少年と遊んでた時の形原さんは、凄く楽しそうに見えたけど?」
「そうかな?」
「そうだよ。だって形原さんは、本気でバスケットが好きなんだからさ」
「……」
俺が言い切ると、形原さんは何も言い返してこなかった。
沈黙を肯定と捉えて、俺はさらに言葉を続ける。
「形原さんの中にもまだ残ってるんでしょ? 俺と同じようにバスケをやりたいっていう情熱が」
「あはっ、やっぱりバレちゃった?」
形原さんはペロっと舌を出して照れくさそうな笑みを浮かべた。
「そりゃね。テニス部の勧誘を渋ってたのも、まだ心のどこかでバスケをやりたい気持ちがあるからでしょ? 違う?」
「……瀬戸君は何でもお見通しだね。同じ怪我をした同士だからか、それとも同じ情熱を持っているからか、はたまたその両方か……そうだよ、結局私は、日本に来て新しいことを見つけたいとか口では言っておきながら、頭の中ではずっとバスケのことばかり考えてる。それぐらい、私にはバスケしかないの」
そう言って、彼女は西へと傾く太陽へ向かって手を伸ばした。
「でも、私の理想とするバスケは、あの太陽に届かないのと一緒で、はるか遠くへ行ってしまった。もう私の好きなバスケを表現することは出来ないんだよ」
伸ばしていた腕を、ペタっと地面に下ろす。
それはまるで、地獄の底に突き落とされた子ライオンのようで、飛ぶことを忘れてしまった蝶のようだった。
地べたに倒れ込み、今にも朽ち果ててしまいそうな彼女に手を差し伸べられるのだとしたら、それは同じ境遇に立ったものだけなのだと思う。
だからこそ、俺は彼女と向き合うと決めたのだ。
俺は堤防から降りて、形原さんの正面へと立つ。
そして、右手をすっと差し出して、彼女をまっすぐに見据えながら言い放った。
「俺は、君が失ったものを取り戻させてあげたい」
バスケの情熱を残したもの同士、もし通じ合えるものがあるとしたら、俺が出来る手段はこれしかないと思ったのだ。
俺の言葉を聞いて、形原さんか青い瞳を真ん丸にして驚いている。
「な、なに言ってるの? 冗談はやめてってば……」
「冗談なんかじゃない。俺は形原さんを復活させてあげたい。本気でそう思ってる」
「でも、私なんてもう、ただの素人同然だよ?」
「そんなことない。形原さん言っただろ。バスケが好きな情熱があれば怪我なんてどうにかなるって」
俺がにっと笑顔を浮かべて見せるものの、形原さんの表情は曇ったままだ。
自身の身体を手で抱き締めながら、悲痛な表情を浮かべている。
「そんな事言われても……私怖いよ……また本気でやるのが」
「分かるよ。最初の一歩を踏み出すのは怖い。でも俺がそばで見守ってやる」
俺はもう、彼女の輝きを取り戻すと決めたのだから。
ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
形原さんは伏し目がちな様子でこちらを窺ってくる。
「……下手くそでも幻滅しない?」
「するわけないだろ」
「惨めなプレーでも笑わない?」
「笑わないよ。むしろ大歓迎さ。だってほら、その涙こそ、形原さんの心からの気持ちの確たる証拠なんだから」
「あれっ……私なんで泣いてるの?」
形原さんは自分でも気づかぬうちに、その青い瞳から一筋の涙を流していた。
「おかしいな……私、向こうに情熱は置いてきたはずだったのに」
「まだ形原さんの中に情熱は残ってるよ。その炎をもう一度
俺の希望を言い切ると、形原さんは顔を歪めて下唇を噛む。
「私、昔みたいなプレーが元に戻るなんて保証できないよ?」
「別に昔に戻る必要なんてない。新たなバスケットプレイヤ―形原を見せてくれればそれでいい。だから俺が必ず、形原さんを羽ばたかせて見せるから!」
目からこぼれ落ちる涙は、とめどなく溢れ出る。
やはり、彼女の情熱は冷めきってなんていなかった。
彼女が本当に欲していたのは、優しく手を差し伸べてくれる救世主だったのかもしれない。
「約束……」
「えっ……?」
しばらく彼女の様子を見守っていると、目元を拭った形原さんが頬を赤く染めて唇を尖らせた。
「言葉だけじゃ信用できない。だから、私がまた羽ばたけるようになるまで、誓いの契りを結んで」
「ち、契り⁉ そう言われてもなぁ……」
「名前」
「えっ?」
「私の事。君が考えた名前で呼んでよ。そしたら私も、君の事を名前で呼ぶから」
「えっ⁉ で、でも……いきなり名前呼びはちょっと……」
「いいから呼んで!」
形原さんは駄々をこねる子供のように言ってくる。
俺は頭を掻きながらどうしたものかと考えた末、パッといいアイディアが思い浮かんできた。
「じゃ、じゃあ! ミドルネームのティアリから取って、『ティア』とかはどう……かな?」
恐る恐る尋ねると、彼女はポカンとした表情を浮かべて、自身の名前を確かめるように復唱する。
「ティア……ティア……へへっ。そんな風に呼ばれたの、君が初めてだよ」
ティアが浮かべた笑顔は、今まで見た彼女の笑顔の中で、一番嬉しそうだった。
「私の事、ちゃんと羽ばたけるように育ててよね! 大樹!」
彼女は恥じらいながら俺の名前を呼んで、差し出していた手をギュっと掴んできた。
こうして俺は、ティアを再び羽ばたかせるため、バスケに関わり続けるという道を選んだのである。
そして、無事にティアをバスケの道へ戻すことに成功した。
「それじゃ、早速行こうか」
「えっ、行くってどこに?」
「ふふっ、それは着いてからのお楽しみ」
「ちょっと大樹⁉ どこに行くのー?」
「いいからついてきて」
俺が歩き始めると、ティアは俺の隣でぶつくさ言いながらついてきてくれる。
もちろん、固く結ばれた手は繋いだまま。
二人が向かった先は――
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