第12話 バスケをやらない理由
「バスケが怖くなった?」
俺がオウム返しに尋ねると、彼女はへにゃりとした笑みを浮かべながら頷いた。
「それは……どうして?」
俺が再び尋ねると、彼女は少々顔を俯かせて言葉を続けた。
「私ね、向こうでは結構有名な選手だったの。年代別の代表とかにも選ばれたりしてて、ずっと楽しくバスケをやってきた。でも、怪我をしてから私の歯車は狂っちゃったの」
彼女は悲痛な表情を浮かべながら、怪我をした膝に視線を落とす。
「最初はもちろん、もう一度コートに立つためにって、懸命にリハビリを続けてたよ。それで徐々に練習参加できるようになっていって、『やっと戻れる!』って嬉しくなった。でも実際プレーして見たらね、今まで培ってきた私の中の感覚が全部失われてたの。ドリブルするコースからパスの判断、今まで見えてた世界がまるで白黒の世界になっちゃったみたいに、全く自分の思い通りのプレーができなくなってた」
それは、今彼女が見ている世界なのかもしれない。
まるで、羽ばたいていたころの輝きを失い、飛べなくなってしまった白鳥のように……。
「それに、向こうは実力がものを言う世界でしょ? 元のプレーが出来なくなっていった私は、気づいたら周りからからの信用も失ってて、パスすら貰えなくなってた。そこで気付いちゃったんだよね。あっ、もうココに私の居場所はないんだって」
彼女は終始明るい口調で話してくれたけど、その苦悩がどれほどのものだったか、俺には全く想像がつかない。
形原さんにとって、きっと人生で一、二を争う辛い経験。
もしかしたら、人生最大の挫折かもしれない。
「それで、アメリカから日本に戻ろうって事になったワケ! 心機一転、何か新しいことが見つかるかもしれないと思ってね! だから日本に来たら、色んな事を体験して、新しい自分を見つけようって決めたの。だからもう、バスケとは一旦おさらばってわけ」
「……そうだったんだ」
形原さんの話しを聞き終え、俺は自然と左膝に力が入ってしまっていた。
リハビリを続ければ元通りになる。
そんなのは幻想なんだということを、彼女はアメリカという遠い地で学んできたのだ。
もちろん、リハビリを続ければある程度運動出来る身体に回復することは出来るだろう。
けれど、今まで練習で培ってきた経験や感覚は衰えてしまうのは当然のことで、その感覚が再び輝きを取り戻すのかは分からない。
彼女が陥った現象に、自分もいずれ陥ってしまうのではないか。
そんな恐怖心にも似たような感覚が脳裏によぎってしまい、膝が笑ってしまっているのだ。
我ながら情けない。
ここで、『彼女の感覚を取り戻させてやる』ぐらい言えれば、どれだけよかっただろうか。
やはり、俺はまだ心のどこかで……。
「足、震えてるよ? 大丈夫?」
とそこで、俺の異変に気付いた形原さんが心配そうに尋ねてくる。
俺はふっと口角を上げて、自虐的な笑みを浮かべた。
「ごめん、今の話を聞いて、正直ぞっとしちゃったんだ。もしかしたら自分も同じ事になるかもしれないって。情けない話だよ。どこかまだ諦めきれてない自分がいるんだ。現役を続けられるんじゃないかって淡い期待をね」
怪我が治ったとしても、復帰は三年生なってから。
俺がチームに合流した頃には、チームは完成形に近い形になっていて、一年ブランクがある俺に隙き入る余地は無いだろう。
「君は大丈夫だよ」
形原さんが優しい口調で言ってくれる。
「そんなの、その時にならないと分からないだろ?」
「分かるよ。だって君は、私と違って強いから」
そう言って、形原さんは今日一番の優しい笑みを浮かべてくれる。
彼女の青い瞳の奥には、どこか淡い希望を俺に見出しているようにも感じられた。
形原さんはすっと立ち上がると、スカートをふわりと靡いた。
スカートの袖からしなやかな筋肉質の太ももが際どい所まで見え隠れして、俺は思わず視線をそらしてしまう。
彼女はそんな俺の様子を気にすることなく、慈愛に満ちた笑みでこちらを見据えてきた。
「だから君は、私みたいにならないよう、しっかり今残ってる感覚を研ぎ澄ましておくんだぞ! Understand《分かった?》?」
俺のことを指差しながら、そう宣言してくる形原さん。
彼女はまるで、自分が置いてきてしまった魂を、俺に受け継いで欲しいと言っているように思えた。
そんな彼女に対して、俺はどこかやりきれないモヤッとした気持ちが沸き上がってくる。
「分かったよ……」
しかし、その気持ちを本人の間で口にすることは出来ず、俺はただそう頷くことしか出来なかった。
◇◇◇
自宅に戻ってから、俺は一人自室のベッドに横になり、形原さんが語ってくれたことを思い返していた。
『だから君は、私みたいにならないよう、しっかり今残ってる感覚を研ぎ澄ましておくんだぞ!』
「感覚を研ぎ澄ませておけ……か」
視線を下に向け、がっちり器具で固定されている左膝を見つめる。
目を瞑り、頭の中で想像を膨らませていく。
俺はコートの中で縦横無尽に動き周り、スリーポイントライン上でボールを受けると、一つドリブルを入れて相手をいなしてから、大きく膝を曲げ、すっと真上に飛びあがった。
手を頭の上に掲げて、シュートモーションへと入る。
そのまますっと右手の手首を回しながら、ボールを押し出すようにしてスリーポイントシュートを放つ。
ボールは虹を描くような軌道でリングへと向かっていく。
そして、着地をした瞬間だった。
「痛っ⁉」
俺の意識は現実へと引き戻される。
どうやら、無意識のうちに左膝に力を込めていたらしい。
ずきずきとした痛みが、俺の左膝を襲う。
俺は左膝を抱え、ベッドで悶絶する羽目になってしまった。
しばらくして、ようやく痛みが収まってくる。
俺はほっと一つ息を吐く。
「何やってんだ俺は」
そんな独り言を呟いて、俺は再びベッドに寝転がる。
部屋を見渡すと、壁には『全国出場』という目標がデカデカと掲げられており、その下にはバスケットボールとシューズが無造作に置かれたままだ。
形原さんと話していて、一つ気付いたことがある。
それは、結局の所、俺はバスケが大好きなんだと言う事。
形原さんの話を聞いた今もなお、頭の中では怪我が治った後、自分がプレーしている姿を想像しているのだから。
「ホント、何やってんだ俺は……」
言ってること思っていることが支離滅裂で、自分が嫌になってくる。
退部届を提出してけじめをつけたつもりが、未練タラタラなのだから。
本当はバスケが大好きで、バスケが生活にない人生なんて自分には考えられない。
結局はそこに尽きるのだ。
形原さんは、そんな当たり前のことを気づかせてくれたのである。
であれば、俺が彼女にお返ししてあげられることは、一つしかなかった。
「やるっきゃないよな」
俺は反動を付けてベッドから起き上がり、窓の外を眺めた。
外は既に暗闇に包まれており、南の空に月が輝いている。
彼女が俺にこの気持ちを気づかせてくれたのであれば、今度は俺が彼女の内なる気持ちに気づかせてあげる番だ。
俺はぐっと手を窓から見える月へと伸ばす。
月を手で掴み取り、彼女の魂を受け取った。
「絶対に逃がさねぇよ」
そして、俺はそれと同時に決意を固めた。
やるべきことは一つしかない。
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