第10話 親友からのすすめ


「形原さん、良かったらこの後遊びに行かない?」


 HRが終わった直後、形原さんはクラスメイトの女子から、放課後のお誘いを受けている。

 バスケはもうやらない宣言があった後も、形原さんの周りには毎休み時間ごとに人だかりが出来ていて、俺が話をする隙などゼロに等しかった。

 そんな形原さんの様子を遠目から眺めていると――


「私はこのまま部活行くけど、大樹はどうする?」


 帰り支度を済ませた梨世が、恐る恐ると言った様子で尋ねてきた。


「俺は帰るよ」

「そっか。一人で帰れる?」

「平気だ、心配すんな」


 梨世は一瞬残念そうな表情をしたものの、すぐにパッと華やかな笑顔を浮かべた。


「ん、じゃあ昇降口まで一緒に行こ!」


 梨世に促され、俺は席を立って荷物を肩に担いだ。

 そのまま足を引きずりながら、教室の扉に向かって歩き始める。

 形原さんの横を通り過ぎる際、横目で彼女の様子を窺うと、クラスメイトの女の子と楽しそうに談笑していた。


 勿体ないな……。

 心の中で、俺はそう一言零しつつ、梨世と一緒に教室を後にした。



 ◇◇◇



 昇降口へ向かっていると、体育館へ続く連絡通路の方から、ダムダムバスケットボールを突く大きな音が聞こえてくる。

 どうやら、バスケ部員達が既にアップを始めているらしい。


「それじゃ、部活頑張れよ」

「うん! 大樹も気を付けて帰るんだよー!」


 別れの挨拶を交わして、梨世が体育館へ向かっていくのを見届けてから、俺は下駄箱へと歩き出す。


「大樹!」


 その時である。

 名前を呼ばれたのは……。

 俺は歩みを止めてその場で立ち止まり、声がした方へ視線を向ける。

 すると、そこにいたのは、コーチの相沢あいざわさんだった。

 隣には、航一も一緒に並んでいる。

 どうやら、二人で体育館へ向かう途中だったらしい。

 ジャージ姿の相沢さんは、顔を綻ばせながら俺の元へと駆け寄ってくる。


「大樹、良かった。学校には復帰したんだね」

「相沢さん、お疲れ様です。はい、先日退院しました」

「学校に復帰したなら一度ぐらい部活に顔を出してくれ。みんな心配してるんだぞ」

「すいません」


 俺があまり乗り気じゃない口調で謝ると、相沢さんは心中を察してくれたのか、慈愛のような微笑みを浮かべてくれる。


「膝の状態はどうだ?」

「何もしないで立ってるだけなら問題ないです。ただ、踏み込むとまだ痛みはありますし、歩くのがやっとって感じです」


 膝の状態を端的に説明すると、「そうかそうか」とほっと安堵した様子を見せる相沢さん。


「まあでも、ひとまず元気そうでよかったよ。大樹のタイミングでいいから、一度だけでも練習に顔を出してくれ。僕はいつでも君を待っているから」


 そう言って、相沢さんが優しい笑みを浮かべながら俺の肩をトントンと叩いてきた。

 相沢さんがコーチで本当に良かったなと実感する。

 退部届を提出した俺なんかにも、こうして気を使ってくれるのだから。


 

 俺は相沢さんがお見舞いに駆けつけてきてくれた時に退部届を提出したのだが、実はその時、相沢さんは俺の退部届を承諾してくれなかった。


「大樹は今、気持ちの整理がついていない状態だ。これを受け取ることは、今の僕にはできないよ」

 

 そう言われて退部届を返されたのだが、俺はそれを強引に相沢さんの手に受け取らせ、断固として返却を拒否したのである。

 なので、表向きには退部したということになっているが、俺のバスケ部退部の件は実際の所保留という形になっていて、退部届は相沢さんが預かっている状況なのだ。


「それじゃ、僕はそろそろ体育館へ戻るよ。夏休みも時間があったらたまには顔を出してくれ」


 相沢さんはそう俺に声をかけて微笑むと、名残惜しそうにしながらも体育館の方へと歩き始めた。

 コーチの姿を見送って、その場には俺と航一だけが残されてしまう。

 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。


「んじゃ、部活頑張れよ」


 俺がそう一言添えて、踵を返して昇降口へと向かおうとした時だった。


「なんで、俺や梨世に相談の一つもしないでてバスケ部辞めるなんて決めちまったんだよ……」


 気まずい空気を一蹴するようにして、航一が鋭い口調で尋ねてきる。

 振り返ると、航一はぎゅっと唇を噛み締めて握りこぶしを作り、力強い視線でこちらを睨み付けてきていた。


「……」


 俺は航一の言葉に何も返すことが出来なかった。

 いや、むしろ返事をしたくなかったのかもしれない。

 俺は航一や梨世に一切相談もせず、自分の意思で退部届を提出したのだから。

 あの時、相沢さんの言う通り、自分の意思であったのかは正直分からない。

 けれど、退部届を出したという事実は事実であり、保留とはいえもうもう取り返しがつかないことをしてしまったのだ。

 そんな俺の心情を気にもせず、航一は言葉を続ける。


「俺は悔しかったよ、ずっと一緒続けてきた仲間が、何も言わずにいなくなっちまうのは……」


 航一の声が少し震えている。

 その表情は、どこか悔しさが滲み出ていた。


「だけど、俺はお前が……っ! 大樹が誰よりもバスケが好きだってことを、一番理解してるつもりだ。だから……!」


 航一は身体を震わせながら、黒いヘアバンドをした髪を手で掻き上げながら、強い口調で言い切った。


「だから……! 俺はお前を絶対バスケ部に連れ戻す! それが俺の使命だ。たとえどんな形であれ、絶対にバスケから離れさせないからな!」


 航一の言葉が俺の胸の奥深くに届く。

 やめろ……これ以上俺の心を揺さぶらせるのはやめてくれ……。

 胸騒ぎがするのを感じつつ、俺は心を落ち着かせる代わりに、髪の毛をくちゃくちゃと掻きながらため息を吐き、ふっと屁理屈な笑みを浮かべながら口を開いた。


「相変わらず諦めが悪い野郎だ」

「あぁ、それが俺の取り柄だからな」


 ふっと笑みを返してくる航一の表情は、眩しいほどに爽やかだった。

 俺の方に向ける眼差しは、今までと何も変わらない。

 ただひたむきにバスケを楽しむ、少年の姿そものだ。


「ふっ、何が取り柄だよ」


 そう虚空に呟くと、なぜか自然と笑いが込み上げてきてしまう。

 航一もまたくすくすと肩を揺らして笑っている。

 そして気づけば、二人とも声を出した笑い合っていた。

 どうやら、ぎくしゃくしていた関係も緩和され、いつもの二人に戻れたらしい。

 この笑いは、そんな親友との仲直りのような証なのだろう。

 航一は笑い終えると、再び俺に向かって笑みを浮かべた。


「女子バスケ部のコーチをやってくれって頼まれてるんだろ?」

「……梨世から聞いたのか??」

「あぁ、見てやらなくていいのか?」

「なんか、まだ気が乗らなくてな……」


 俺が明確な理由を説明出来ず曖昧に答えると、航一はさらに言葉を紡いだ。


「まっ、確かに気が乗らないのはわからなくもないさ。気持ちの整理がついてないのも分かる。ただ、梨世のバスケットに対する姿勢は、一度でもいいから客観的に見てみてやったほうがいいんじゃないか?」

 

 確かに、俺が選手としてやっていた時、合同で練習することもあったが、その時は自分のプレーでいっぱいいっぱいだったため、梨世を気遣っている余裕なんてなかった。

 たまに練習に混ざっているなという認識程度で、梨世が練習している姿をまともに見たことはないのである。


「それに、梨世もお前が見に来てくれたら、喜んでくれると思うけどな」

「余計なお世話だ」

「ははっ、そうかもな。まあでも、新たな発見があるかも知んねーし。少しでもいいから、覗きに行ってあげたらどうだ」


 航一の後押しで、俺の心が少し揺らぐ。


「まっ、考えておくよ」


 ただ、その場で俺の決心がつくことはなく、ただ結論を先延ばしにすることしか出来ないのであった。

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